時間跳躍篇 第5章 聖断
みなさん、おはようございます、こんにちは、こんばんは、お疲れさまです。
その人物は、自分の前で不動の姿勢で佇む大日本帝国内閣総理大臣の近衛文麿を静かな視線で眺めていた。
近衛より一歩下がった位置で同じように不動の姿勢の陸軍大臣の東条英機中将、海軍大臣の及川古志郎大将が控えている。
「未来から来た軍隊・・・自衛隊であったか。彼らの報告書は全て目を通した」
その人物は静かに語った。
「陛下の宸襟を乱すような報告書を奏上するにあたり、臣らの不敬なる行いを深く陳謝いたします」
3人は揃って頭を下げた。
「いや、知らされぬ方が余程心が痛むであろう。未来からの客人に私が謝意を述べていたと伝えて欲しい」
「御意」
彼は、美しく紅葉した木々の見える窓に歩み寄った。
「いつ、どのような時代であっても四季は必ず巡って来る。この国の歴史を顧みても、平和な時代もあれば、戦乱に乱れた時代もあった・・・それでも季節は乱れる事なく、時の移ろいを伝えてくれる」
彼はゆっくりと振り返った。
「私は彼らを信じようと思う。我々が歩む暗い道に、小さな灯りを灯す為に全てを捨てた客人たちを・・・」
1940年(昭和15年)12月8日。
なぜこの日が選ばれたのかはわからないが、日本全国に全国民は必ず傾聴するようにと通達のあったラジオ放送が流れた。
それは、全国民が驚愕するものであった。
これまで一般の国民はその人物の肉声を聞いた事が無かった。
その声はこう語った。
ドロ沼化した日中戦争の終結と講和。その条件として満州を中国に返還する事、植民地として統治している朝鮮と台湾を独立国家として対等の関係を築く事、そして、日独伊三国同盟の破棄。
米英等西欧諸国と対話を通じて、平和的に対等な関係を築く為の外交政策の推進であった。
最後に彼はこう述べた。
「恒久的な平和こそが我が国民の安寧に繋がると私は信じる。そしてこれは、私の願いであり望みである」と。
その後、近衛の全国民に理解を求める声明が発表された。
「陸軍大臣、貴方はこれでメデタシメデタシと思っているのですか?」
市ヶ谷の陸軍省の執務室に招いた客人の言葉に東条は振り返った。
「・・・何が言いたいのかね?」
「私が言わずともわかっているでしょう。剃刀と言われるほど切れ者の貴方ならね」
そう言って探るような視線で石原莞爾陸軍中将は東条を見る。
「・・・だから、貴官を呼んだのだ。貴官が私を嫌っている事は知っている、私も貴官は嫌いだが、陸軍の強硬派を説得するのは私でも無理だろう。しかし、貴官の言葉なら聞く耳を持つだろう・・・貴官の協力を要請・・・いや、協力を頼みたいのだ。伏して頼めと言うなら喜んでそうしよう。あの悲惨な未来から国民とこの国を守るために」
「・・・・・・」
頭を下げた東条を石原は無言で眺めていたが、急に笑い出した。
「いやいや、私も偉くなったものだ。陸軍大臣閣下に頭を下げられるとは・・・」
笑った後で石原は真顔になった。
「東条閣下、私は呉の軍港でファントムの艦隊を見た時から思っていたのです。あの幽霊たちがこの日本をどう変えていくかを見てみたいとね・・・こちらこそ伏してお願いしたい。是非協力させていただきたい」
「ありがとう」
東条は石原の手を握った。
「しかし、東条閣下。事はそう簡単にはいかないでしょう。強硬派と言われる私でさえ説得できない輩も当然出て来る。その時どうするかは必ず考慮しておいて下さい」
石原は険しい表情でそう述べた。
天皇の放送があった翌日。
[くらま]の幕僚室で、菊水総隊最高幕僚会議が開かれた。
最高幕僚会議とうのは、菊水総隊司令官山縣幹也海将を議長とし、4人の副議長(陸自部隊副司令官である星柿いさめ陸将、海自部隊副司令官である黒山一松海将、空自部隊副司令官である吉満寿史空将、警察派遣団[陽炎団]副団長であり、副司令官である本庄慈警視監と幕僚長、各隊の指揮官クラスが出席している。
もちろん、海保、消防関係者も出席しているがあくまでも幕僚議員であり、副司令官クラスではない。
なぜかと言うと、海上保安庁は海上自衛隊の指揮下であるからだ(ただし、国内問題であれば警察の指揮下である)。消防はもともと警察の指揮下に置かれている。
幕僚室係の海士たちが議長、副議長、幕僚議員たちにコーヒーを配膳する。
「おほん、コーヒーが行き渡ったところで、会議を開くことにしよう」
海士たちが退室したところで、山縣が咳払いをして、会議を開始した。
「天皇陛下と近衛内閣が中国、満州から撤退を受け入れたことで、我々は本格的に第2次世界大戦に介入することになった。作戦内容は統幕(統合幕僚監部)、陸幕(陸上幕僚監部)、海幕(海上幕僚監部)、空幕(航空幕僚監部)でそれぞれ立案されているが、すでに歴史は変わった。今後は我々の予想がつかないことが起きるかもしれない。そこで諸君等に今後について予想できることを発言してくれ」
山縣が出席者たちの顔を見回した。
「私が思うのに」
星柿が腕を組んで、発言した。
「中国は共産党軍と国民党軍が再び衝突するでしょう。あの2つがなぜ、手を組んだかと言うと、旧日本軍に侵略されたからです。つまり、敵の敵は味方ということです。しかし、今回のことで、旧日本軍は撤退します。共通の敵がなくなれば共闘も空中分解するのは当然です」
星柿の言葉に山縣が口を開いた。
「そのことについては坂下君から報告書が上がって来た。報告によれば、中国は中国史上最大の内戦になるだろう、と予想されている」
山縣は記憶を探るように言った。
「だが、そのことについては、無視していいそうだ。中国にはある程度消耗してもらわないといけないそうだ」
山縣の言葉に出席者たちはうなずいた。
中国が混乱していれば、アメリカと開戦しても、アメリカ軍が中国を航空基地として、日本本土空襲は難しくなる。それが彼らの狙いだ。
「皆様は国外にしか敵はいないように思っているように聞こえますが、敵は国内にもいるとは考えないのですか?」
挑発的な口調で本庄が発言した。
出席者たちの視線が本庄に集中する。
「これは山縣司令官には伝えていますが、敵は国内にもいます」
「それはどういうことですか、昨日、天皇陛下と東条英機陸軍大臣、及川古志郎海軍大臣、石原莞爾陸軍中将等の陸海軍のトップがラジオ放送したではありませんか。ほとんどの国民がそれを受け入れたのではありませんか?」
陸自部隊幕僚長である飯崎稀之助陸将補が言った。
「確かにラジオ放送はしました。しかし、史実では玉音放送の後、各地で無条件降伏に反対する事件が発生しています」
「それで本庄君は何を求めているのかね?」
山縣は本庄が何を言いたいのか予想がつくような表情で問うた。
「それでは単刀直入に言わせてもらいます。国内で行う我々のやり方に自衛隊はいっさい干渉しないでいただきたい。それをここではっきりしていただきたい」
本庄の言葉に山縣は、やっぱりか、と言ったような表情をした。
「この意見に異議がある者は?」
山縣は出席者たちの顔を見回し、聞いた。
誰も異議を唱えない。
「国内事情に関しては本庄君に一任する。これは原田首相と警察庁長官の間で決まった命令書通りにする」
「ありがとうございます」
本庄は山縣に頭を下げた。
菊水総隊最高幕僚会議を終えると、本庄は一息つく暇もなく、MV-22Jに乗り込み、東京に戻った。
東京に戻ると、公用車に乗り、警視庁に向かった。
警視庁に到着すると、公用車を降り、陽炎団に与えられた会議室に向かった。
「遅くなった」
会議室に入ると、本庄は幕僚たちに詫びた。
「遅くはなっていません。我々も今、集まったところです」
竜島が言った。
本庄が椅子に腰掛けると、幕僚たちも席についた。
「では、会議を始めよう」
本庄が切り出す。
「菊水総隊の最高幕僚会議で、我々がとるすべての警察行動に自衛隊は介入しないことを約束させた。これは元の時代の総理と警察庁長官との間で決められた契約書通りだ」
本庄の言葉に幕僚たちは安堵した表情になる。
「それを聞いて安心しました。自衛隊に我々が行う行動に介入されたら、やりづらいですからね」
幕僚の1人がつぶやく。
「いや、まだ、安堵するのは早い」
本庄は幕僚たちを見回した。
「自衛隊からの介入はなくなったが、この時代の警察組織は違う。彼らが我々の行動に口を挟む可能性はある」
本庄の言葉に竜島がうなずく。
「わかりやすく、説明すれば1972年の真冬に起きた山荘での立てこもり発砲事件がいい例ですね。あの事件は地元の警察と警視庁が共同で事件を解決しましたが、地元の警察の縄張り意識から、中々連携が取れませんでしたからね。この時代でも同じことが予想されます」
竜島の説明に本庄はうなずいた。
もっとも、この事件については、当時の事件を経験した警察幹部はもういない。
「昨日行われた放送により、大日本帝国国民に日独伊三国同盟の破棄、中国、満州からの撤退に大多数の国民は賛成してくれるだろうが、もちろん賛成しない者もいるだろう。特に親独派の帝国陸海軍の一部はクーデターを計画するだろう。我々はそのクーデターを阻止しなければならない」
本庄の言葉に幕僚たちの表情が変わる。
「さらに敵は軍人だけではない。主戦論派の民衆からデモ、反乱行為が予想される。それらも我々はこの時代の警視庁と共同して、鎮圧しなければならない」
本庄が言い終えると、1人の幕僚が発言した。
「団長、副団長。1つ申し上げたい事があります」
陽炎団警備部部長である湯川昭雄警視長だ。
キャリア組の警察官ではない彼はノンキャリアで叩き上げされたベテラン警察官だ。
もともと警視庁機動隊に所属しており、警視正だった時は第1機動隊の隊長であった。
「何かね?」
本庄が問う。
「はい、帝国陸海軍の反乱部隊及び主戦論派の反乱部隊に銃器使用・・・いえ、この場合ははっきりと申し上げましょう。射殺を前提にした行動を承諾していただきたい」
湯川の言葉に会議室はざわめいた。
「湯川君。それはまずいだろう。我々警察は軍隊ではない。射殺ではなく逮捕、検挙するのが任務だ」
竜島が否定した。
その時、湯川は、バン、と机を叩いた。
「敵は旧式とはいえ、手動装填式小銃や機関銃、手榴弾を装備しているのですよ。銃器の使用許可もなく、SATや機動隊にどうやって犯罪者を制圧せよとおっしゃるのか?」
「そ、それは・・・」
竜島が言葉に詰まる。
「SAT隊長の意見は?」
本庄がこの会議に参加しているSAT隊長である千山一馬警視に視線を向けた。
千山は静かに立ち上がり、発言した。
「私も警備部長の意見とまったく同様です。射殺命令がなければ軍民の反乱部隊に対応できません」
「し、しかし、いきなり射殺では過剰防衛にはならないか?」
幕僚の1人である刑事部部長の北川唱和警視長が恐る恐る発言した。
彼はノンキャリアの湯村とは違いキャリア組の警察官だ。
「いえ、この事態は警察官職務遂行法第7条に記載されている[拳銃使用]の規定に該当します。同規定は正当防衛、緊急避難又は死刑若しくは懲役3年以上の凶悪犯罪を犯した者又はその疑いがある者の場合に限り、拳銃の使用を認めています。陸海軍の反乱部隊及び主戦論派の反乱部隊はこの場合は国家反逆罪に該当します。つまりは死刑です。我々の時代でも内乱罪に該当し、極刑が適応されます」
千山が言った。
「銃器や殺傷能力の高い武器を所持していれば、この場合は凶悪犯罪を犯した者若しくはその疑いがある者の対処として適応範囲内です」
湯川が幕僚たちを見回しながら言った。
「確かに陸海軍の反乱部隊に関しては射殺も可能だろうが、主戦論派の反乱部隊に関しては銃器の使用は賛成しかねる。彼らは銃を持っていない」
北川が言った。
「刑事部長。貴方はこの時代を我々の時代の日本と同じだと思っていませんか?この時代の日本は許可制ではありますが、銃器の所持が認められている時代です。銃器規制が厳しい我々の時代でも銃器による犯罪があります。銃社会の時代に警察官が銃を使わないのはいたずらに犠牲を出すだけです。例えるならアメリカの警察に銃器を持たずに凶悪犯を逮捕しろと言うようなものですよ」
「・・・・・・」
湯川の言葉に北川は黙った。
「湯川君、千山君。君たちの意見はわかった。しかし、まだ事件が起こってもいない状態で論議すべきではないと思うのだが」
竜島が言った。
「副団長。それでは困ります。事件が起こってからでは遅すぎます。多くの部下の命に関わる問題を後回しにはできません」
湯川は引き下がらない。
「団長はどうお考えですか?」
竜島が本庄に顔を向ける。
本庄は目を閉じたまま、黙っていた。
ゆっくりと目を開き、本庄は口を開いた。
「警備部長、SAT隊長の意見はもっともだ。この件に関しては私が責任を負う。軍民の反乱部隊に対し、銃器の使用を許可する。もちろん射殺前提で発砲しても構わん。自分勝手な正義を振りかざし、法に背き国と国民を損なう無法者に一切の容赦をする必要はない。基本的人権とは法を守る人間だけに適応されるものだ、他者の人権を平気で踏みにじるゴミが人権の擁護を受けるなど論外と言わねばならない」
本庄の言葉に湯川が頭を下げた。
「ありがとうございます」
「それでだ、警備部長、SAT隊長。陸海軍の反乱部隊に対して、警察力だけで対処できるか?」
本庄は2人の顔を交合に見ながら、聞いた。
湯川と千山は顔を見合わせたが、すぐに湯村が回答した。
「対処できると思います。機動隊の銃器対策部隊もSATも自衛隊で訓練を受けていますから、この時代の軍隊であれば何とかなるでしょう。しかし、敵の数が多ければ限度があります」
湯川の回答を聞き、本庄は少し考えた。
「自衛隊の協力も必要か・・・」
本庄はボソリとつぶやいた。
時間跳躍篇 第5章をお読みいただきありがとうございます。
誤字脱字があったと思いますが、ご了承ください。