時間跳躍篇 第2章 菊水総隊 警察派遣団
みなさん、おはようございます、こんにちは、こんばんは、お疲れさまです。
警視庁副総監である本庄慈警視監は警察庁の廊下を歩いていた。
今朝、出勤したら警察庁長官の秘書から突然に呼び出された。
警察庁長官の部屋の前に立つと、秘書がドアをノックし、警察庁長官室に入室した。
「失礼します。副総監をお連れしました」
秘書が言った。
本庄は秘書の後から警察庁長官室に入室した。
「失礼します」
本庄は15度の敬礼をした。
「おはよう。こんな朝早くにすまないな」
警察庁長官である揚島光男が穏やかな表情で言った。
「いえ、これも仕事です」
本庄は警察庁長官室にいるもう1人の顔に気づいた。
彼の上司であり、警視総監である佐枝方助だ。
佐枝は難しそうな表情をしている。
「まあ、かけたまえ」
「はい」
揚島が応接用のソファーを進めた。
「失礼します」
本庄はそう言って、ソファーに腰掛けた。
揚島は立ち上がり、本庄の前の応接用のソファーに腰掛けた。
「君は下がっていい」
「はい」
揚島は秘書にそう言った。
秘書は一礼し、退室した。
「本庄君。君に特殊な任務の指揮官を任せたい」
揚島は秘書が退室したのを確認してから、本庄に言った。
「特殊任務?」
「そうだ。その前にこちらの書類にサインしてくれ」
揚島は1枚の書類を彼に手渡した。
本庄はその書類に目を通した。
その書類には、これから聞いたことは絶対に口外しないことを誓約する書類だった。
「わかりました」
本庄はその書類にサインした。
「結構」
揚島はその書類を受け取ると、言った。
「それで特殊任務というものは?」
「本庄君。君には菊水総隊警察派遣団団長になってもらう。同時に菊水総隊副司令官も兼務だ」
聞き慣れない名前に本庄は首を傾げた。
「菊水総隊とは陸海空自衛隊が創設した統合部隊だ。その中に我々警察組織と消防組織が組み込まれることになった。菊水総隊の任務で、この任務は我々警察だけにしかできない」
揚島の説明に本庄は質問した。
「その特殊任務というのはどこかの国に総隊を派遣するということですか?そして我々警察が現地の治安維持にあたると」
「ある意味半分は正解だな。しかし、菊水総隊が派遣されるのは現代の国ではない」
揚島の言葉に本庄は怪訝な顔をした。
「菊水総隊が派遣されるのは過去の日本だ。太平洋戦争前の時代にタイムスリップする」
揚島は爆弾を炸裂させた。
本庄は最初その意味がまったく理解できなかった。何度も頭の中で揚島が言ったことを復唱した。
「理解できないのは無理もない。私もそうだった」
佐枝が言った。
「・・・・・・」
本庄はどんな顔をすればいいのかわからなかった。
「そしてこの特殊任務は片道切符だ。つまり、一度太平洋戦争時代にタイムスリップすると2度と元の世界には戻れない。それでもやってくれないか?」
揚島は強い視線で本庄の目を見た。
本庄は考え込んだ。2度と元の世界には帰れない。これはつまり家族には2度と会えないということだ。単身赴任とは訳が違う。
しかし、本庄の頭の中に終戦から現在にいたるまでのことが思い出された。
1945年から1980年代まで日本国民は暗い時代を生きた。それを回避できるかもしれない。
本庄は決断した。その時、残される家族の顔が頭に過ぎった。しかし、それは一瞬だけだった。
「その任務、私にやらせてください」
「そうか、ではこちらの書類に目を通してもらいたい」
かなり厚みのある書類を手渡された。
(随分、手回しの良い事だ)
表情に出さず、心の内で皮肉を言った。
だが、書類のページを捲って、派遣団の概要を見た瞬間、さすがに驚愕を隠せなかった。
「・・・長官、本気ですか?」
声が上ずった。
次に、武器の一覧を見て、驚きより呆れた。
(どこかに戦争でも仕掛けるつもりか?)
冗談のレベルは超えていた。
「・・・国民にどう説明するつもりなのですか?」
ここまでくれば、むしろ冷静になってしまった。
「それは、心配しなくて良い」
揚島は断言した。それを聞いて、納得する事にした。
すでにこれは決定事項という事だ、懸念を述べても仕方がない。
本庄は、頭を切り替えた。
書類は後で詳しく確認すればよい。実行段階での懸念を解消しておく必要がある。
「長官、1つ確認しておきたい事があるのですが?」
「何かな?」
「自衛隊の統合部隊に組み込まれるという事ですが、警察団の指揮権も自衛隊にあるという事ですか?」
質問の形を取っていても、これは明確に拒否の意思を示している。
「自衛隊に警察権はない」
揚島は、そう言って新たな書類を差し出した。
何とも勿体ぶったやり方だと思いながら、受け取った。
内閣総理大臣を始め、防衛大臣、警察庁長官、そして菊水総隊司令官の山縣幹也海将の連名で、警察権の独立を認めるという命令書にサインがしてあった。
「君の事だ、必ずそう言うと思っていたのでこの件に関しては事前に了解を取っている」
「了解しました」
そう言って、本庄は立ち上がった。
決定したのなら、やるべき事は多い。
自分の後任になる副総監が仕事がしやすいように、引き継ぎをキチンとしておく必要がある。
几帳面な性格である本庄は、まずそう考えた。
その時、長官室のドアからノック音がした。
「入れ」
揚島がそう言うと秘書が入ってきた。
「長官。川口警視正がお見えになりました」
「そうか、入ってもらえ」
「かしこまりました」
秘書は一礼して、川口を通した。
「失礼します」
川口が15度の敬礼をした。
「ふじ・・・」
長官室に入室した男を見て、本庄が言いかけた。しかし、言葉を飲み込んだ。
「正しい判断だ。もし、その名前を口にしたら、拘束しなければならない」
佐枝が言った。
「お久しぶりです」
川口は本庄に向かって一礼した。
その後、本庄は秘密組織である国家治安維持局の存在を知らされた。そして、彼らが自分の部下になることも知らされたのだ。
時刻は既に深夜であった。
本庄は帰宅せず、副総監室の執務机の前で資料を読み返していた。
「まったく、ここまでやるかね?」
派遣の目的は歴史改変。こんな馬鹿げた話など、今時の子供向けの漫画でもないだろう。
もはや、呆れるというより笑うしかない。
何しろ、それをやろうとしているのが、いい歳をした大人たちなのだから・・・
長時間、資料を読んでいたので、肩が凝って来た。
本庄は立ち上がり窓の外を見た。
窓の外には美しい夜景が広がっていた。
「所詮はまやかしだ・・・」
あの大戦から80年。この国は平和だった。
だが、その平和は矛盾を抱えた歪なものだった。
その矛盾は更なる歪みを生み、平和の光の影にはその矛盾が闇を孕んで澱んでいる。
このままでは、遅かれ早かれこの国はその闇に呑まれるだろう。
もしも・・・もしも、その歪みを正す事ができるなら?
もしも、もう1度やり直す事ができるのなら?
本庄は秀麗な顔に、笑みを浮かべた。
それは、鬼神の笑みであった。
「社会の闇に潜んだ悪を狩れるのは、極悪人のみ」
そうつぶやいて、笑った。最初は小さかったが、やがてその声は高く高くなった。
その笑い声は深い闇に吸い込まれていった。
北富士演習場。
陸上自衛隊の第1施設団や第1ヘリコプター団が集結している場所にその場には似合わない者たちの姿があった。
その中に警察の制服を着た者たちがいた。
「こうして見ると、なかなかのものだな・・・」
50代になったばかりの中年の警察官が自衛隊の車輛を見ながら、つぶやいた。
彼は菊池正和警視正。
警察庁総務課広報室長である。
「ここにいる部隊は戦闘部隊ではありません。主力である施設隊は民間で言う土木業者のようなものです」
隣にいる女性警察官が言った。
彼女は菊池の部下である荻宮智美警部だ。
「荻宮君は自衛隊に詳しいのか?」
「いえ、私の友人が自衛官でして、よく話を聞くんです」
「そうか」
菊池は自衛隊車輛から目を離し、空を見上げた。
「後悔はないか?」
「はい?」
荻宮が振り向いた。
「この任務はもう2度と元の時代に戻ることはできない。たとえ、今の時代まで生き延びたとしても、そこは我々の知る時代ではない」
菊池の言葉に荻宮は決意した口調で、言った。
「ここまで来るのに時間はたっぷりありました。私は時間をかけ、しっかりと考えました。確かに残される家族のことは気がかりですが、迷いはありません」
彼女の言葉に菊池は、そうか、とつぶやいた。
「菊池警視正は、どうなんですか?」
「俺か?」
菊池は視線を下に戻し、ポケットから1枚の写真を取り出した。
その写真は今年の4月に撮った家族写真だ。
成人の日に20歳になった彼の1人娘と妻と撮った大切な写真だ。
自分も妻も娘も、満面の笑みで写っている。
「俺も最初、この話が来た時は断ろうと思っていた。しかし、この任務に志願するのは俺だけではない。自衛官、消防官、他の警察官たちも自らの意思で志願した。残される者たちがいるということを承知で・・・なのに俺が個人的な感情で断る訳にはいかないだろう。それに政府と警察庁は残される家族たちにできる限りの保障をすると約束してくれた。娘は後2年すれば大学を卒業する。妻には苦労はかけないと思う」
「・・・・・・」
荻宮は何か言いたそうな顔をしたが、何も言わなかった。
「まもなく、状況開始です。第1施設団、第1ヘリコプター団の隊員は車輛とヘリに待機してください」
拡声器で伝えられると、菊池と荻宮の会話はそこで中断された。
「さあ、車に乗ろう」
菊池が言った。
警察庁から用意されている公用車に乗り込んだ菊池と荻宮はタイムスリップの時を待った。
遠くてわからないが、1人の青年が両手を出していた。
「彼がダニエル、か」
菊池がそうつぶやいた時、青年は手を叩いた。
その時、菊池は目眩を感じた。
一瞬だけ意識がどこかに行くような感じがしたが、それだけであった。
その後、彼の目の前にいた自衛隊員や警察官たちの姿はなく、別の人たちの姿があった。
「タイムスリップしたのか・・・」
菊池はそう言って、公用車を出た。
「どうやら、そのようです」
荻宮が言った。
「出迎えに来た人が旧帝国海軍の将校です」
菊池が荻宮の視線の先に視線を向けると自衛官3人と純白の服装を着込んだ小柄な男と話をしていた。
「あの小さいおっさんは誰だ?」
運転手の巡査部長が言った。
「お前、知らねぇのか?山本五十六だよ。聯合艦隊司令長官の山本五十六大将・・・いや、まだ中将だったな」
助手席の巡査部長が得意顔で言った。
「山本五十六?10年前くらいに公開された、山本五十六を主人公にした映画の人とは全然違うぞ。もっと背が高かった」
「バカかお前は俳優と一緒にするな。向こうは本物だ」
2人の巡査部長の会話を聞きながら、菊池は苦笑した。
山本五十六と自衛隊の幹部が話し合っている頃、彼ら警察官たちに声をかける者たちがいた。
「君たちが未来から来た警察官たちか?」
丸眼鏡をかけ、髭を生やした男が声をかけた。
「はい、そうです。未来から来ました警察庁・・・いえ、警保局広報室長の菊池正和警視正です」
菊池が挙手の敬礼をする。
「私は・・・」
「存じております。安井英二大臣ですね。そして、そちらにおられるのは警保局長の藤原孝夫氏、警視総監の安倍源基氏ですね」
「ほぅ~我々のことを知っているのか」
安井と呼ばれた男が感心した口調で言った。
藤原と安倍もうなずいた。
「なぁ、安井英二って誰?警保局って何?」
話を聞いていた運転手の巡査部長が同僚に耳打ちした。
「お前、知らないのか?よく警察官になったな」
同僚は呆れた口調で言った。
「安井英二はこの当時の内務大臣だ。俺たちで言う国家公安委員長だよ。警保局ってのは、警察庁に相当する組織だ」
「へぇ~そうなんだ」
運転手の巡査部長が理解したようにうなずいた。
「未来の帝国陸海軍の制服は少し変わっているが、未来の警察の制服は変わっていないな」
安倍が菊池の制服を眺めながら、言った。
「変わる要素がありませんから」
菊池は少し緊張しながら、答えた。
それもそうである安倍は[赤狩り安倍]と呼ばれたほどの人物であるからだ。さらに警視総監だけではなく、鈴木貫太郎内閣で内務大臣に就任している。しかし、戦後は東条英機陸軍大将と同様にA級戦犯の容疑者の1人にされた。
「それで菊池警視正。後ろにいる婦人は?」
安倍は訝しげな表情で荻宮を見た。
「はい、紹介します・・・」
菊池が言おうとした時、荻宮が挙手の敬礼をして、名乗った。
「警保局広報室所属の荻宮智美警部です」
彼女が炸裂させた爆弾は安井たちの思考を一時停止させた。
「お、女が警部だと!?」
やっと彼女が言った意味を理解した時、安倍は驚愕した表情で叫んだ。
ちなみに、この時女性自衛官の存在を知った、陸軍中佐が同じ事を叫んでいたが。
「なるほど、確かに状況によれば女性でないとわからない事件もあるからな。80年も先であれば警察組織の考えも変わるか」
意外にも安井が納得した表情で言った。
さすがは安井だ。文民で内務省の官僚になっただけはある。警察官や軍人とは違い頭は柔らかいのだ。
安倍も官僚出身ではあるが、警察の空気を味わっていない安井とは異なり、頭は硬いだろう。なぜなら、彼は初代特別高等警察部長であるからだ。
「菊池さん。貴方たちだけで話がはずんでいるようですな」
背後からの声に菊池たちは振り返った(安井、安倍、藤原は声がした方に向いた)。
「菊池警視正。彼らは?」
安井が問うた。
菊池が答える前に彼らが答えた。
「東京消防庁企画調整部広報課長の本橋辰巳消防司令長です」
消防吏員の制服を着た者たちは挙手の敬礼をした。
「東京消防庁?内務省警察に組み込まれている消防組のようなものか?」
安井が言った。
「そうです。未来の日本では消防は独立した組織になっています」
本橋がうなずいた。
「本橋消防司令長。消防司令長というのは、警察で言うどのあたりに相当するのだ?」
藤原が問うた。
「警視正ぐらいだと思います」
本橋は少し考えながら答えた。
「では、詳しい話は内務省で聞こう。車はあるようだから、我々が案内しよう」
安井が菊池、本橋たちを見回しながら、言った。
「ああ、そうだ。ようこそ、大日本帝国へ、未来の日本人」
安井は微笑みながら、彼らを歓迎した。
内務省の大会議室に案内された彼らは未来の警察と消防について説明した。
荻宮の存在を知った内務省官僚、警保局員、警視庁(旧)幹部たちの反応は安倍とほとんど変わらなかった。
時間跳躍篇 第2章をお読みいただきありがとうございます。
誤字脱字があったと思いますが、ご了承ください。




