震災と動乱篇 終章 後篇 裁判
みなさん、おはようございます、こんにちは、こんばんは、お疲れさまです。
山陰地方での地震災害を利用した軍民の革命家たちによる武力による革命活動が鎮圧された3ヶ月後、逮捕された革命勢力の総帥以下、幹部クラスたちは大日本帝国外務省と日本共和区統合省外務局の協議により、裁判は大日本帝国陸軍軍法会議では無く、日本共和区高等裁判所で総帥並びに幹部クラスの刑事裁判が行われた。
これは、今回の革命活動は明らかに日本共和区の民主制に対する挑戦であり、民主主義を武力で脅かす事態であると判断されたからだ。
日本共和区拘置所から被告人として北高等裁判所に移送された革命勢力の総帥である新郷隆元は背広姿で出廷した。
裁判長は国立大学法学部の教授出身の成田勝司であり、他に裁判官4名が出席している。
検察は国分雅美検事、弁護人は霧川弘毅である。
傍聴席には大日本帝国と日本共和区の公人がほとんどであり、マスコミ関係者は特別な判断により、日本共和区のみである。
裁判が開始されると、検察側は罪状等を発言した。
「被告人が犯した内乱罪に関しましては、かなり前から念入りに計画され、大日本帝国の国内情勢が混乱又は機能低下が見られた時に実行するという、国民の不幸を利用した卑劣な計画的革命行為であります。この件に関しましては被告人並びに関係者全員が検察の取調の際に認めております」
国分が立ち上がり、発言する。
「弁護側の証言は?」
成田は国分が席に座るのを確認してから、弁護士である霧川に聞いた。
「検察側の主張の通り、被告人を含め関係者たちは罪を認めておりますが、大日本帝国特別高等警察並びに憲兵隊から日本共和区に引き渡された際に明らかに拷問を行った事が確認されています。これに関しましては大日本帝国司法側に確認した所、日本国憲法で禁止されている拷問が行われた事を認めました。被告人を含めて関係者たちは拷問等の肉体的苦痛及び精神的苦痛を受けた状況下での検察の取調による自白は法廷の自白として信憑性を欠いております」
霧川の発言は問題点を的確についたものだった。
「検察側の意見は?」
成田が国分に視線を向けて、聞くと、彼女はすぐに立ち上がりその指摘された事について反論した。
「検察も大日本帝国の特別高等警察と憲兵隊による拷問は把握しております。送検された際、被告人並びに関係者たちには日本共和区立大学医学部付属病院に移送し、精神科医等による精神鑑定等を含む検査を行い。自白の信憑性について信頼できるか否かの判断をしております。さらに、こちらに送検される前に検察局長より、被告人を含む関係者の精神鑑定等を含むあらゆる検査を行う事と十分な休養を与えるように指示しております」
国分が説明すると、被告人並びに関係者たちに医療行為を行った日本共和区側の医師、医官、看護師等と大日本帝国側の医師、軍医、看護師等が証人として出廷された。
彼らに対して、検察、弁護、判事という順で質問が行われた。
証人の意見を聞いた後、成田は新郷に被告席に立つ事を指示した。
「被告人。貴方はご自分の罪を認めますか?」
成田の質問に新郷は短く答えた。
「認めます」
新郷の罪を認める発言を聞いた後、裁判は手順通りに被告人の刑罰に議論がされた。
「被告人は震災地域に置いて誤情報を流し、被災地域の治安を悪化させただけでは無く、災害派遣された軍、自衛隊、警察、消防等の捜索と救助を妨害し、被災地域の視察に向かった皇室並びに大日本帝国の大臣クラスの使節団に襲撃又は襲撃する計画を行っており、極めて重罪であります。検察は被告人の死刑を求めます」
国分が主張した刑罰に霧川が反論した。
「被告人が皇室を含む政府機関の使節団の襲撃又は襲撃計画を指示した物的証拠はありません。あくまでも状況証拠と被告人と関係者の証言によるものです。物的証拠が無い以上は死刑は極めて軽率な刑罰であり、被告人も罪を認めております。そのため、情状酌量の余地を認め、被告人に無期懲役を求刑します」
検察と弁護の真っ向からの対立により、裁判長を含め裁判官たちは大いに悩んだのもこの裁判の特徴だ。
新郷を含め検察局に引き渡された被疑者たちは全員が罪を認めている。自分たちが国内の不安を利用して革命行為に踏み切った事についても反省している点も多いが、革命行為そのものについては正しい決断と主張している。
そもそもこの1件は東京を含む関東地区等で発生した軍事クーデター未遂や占拠事件、暴動事件を起こした容疑者又は関係者を扇動したのも彼らだ。こちらは昭和事変という名で大日本帝国と日本共和区の国民に知れ渡っており、彼らの行いは仕方の無い事が大きい。そのため、ほとんどの実刑判決を受けず、減刑又は不起訴処分になっている。
だが、今回の昭和の動乱と名付けられた動乱は話が別である。
成田を含めて裁判官たちはかなりの時間をかけて、革命勢力の総帥である新郷の刑罰が決定された。
「被告人の行った行動は震災によって心身共に疲労し、傷を負った者たちにさらに追い打ちをかけるように心身にダメージを与えただけでは無く、大日本帝国のために戦った名誉ある革命家たちを冒涜する極めて悪質な行いであり、被告人に情状酌量の余地を認めず。死刑を言い渡す」
成田は検察が求刑した死刑判決を言い渡した。
この裁判は裁判側が昭和事変を行った軍人、文民の行動を英雄視する極めて稀な裁判である事で有名な裁判となった(しかし、この事が大日本帝国国民に伝えられたのは後の事だ)。
死刑判決を受けた新郷は不動の姿勢をとり、軍人らしく堂々とした態度で10度の敬礼を行った。
昭和事変と昭和の動乱と区分されたこの年の最大の事件は1942年12月8日まで続き、大日本帝国陸海軍及び航空予備軍、日本共和区菊水総隊による武力行使により、沈静化された。
結局、昭和の動乱が大日本帝国政府と軍部、日本共和区統合省に戦争を史実通りに行わなくてはならない切っ掛けの1つとなった。
震災と動乱篇 終章後篇をお読みいただきありがとうございます。
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