昭和事変篇 第6章 第2次226事件 1
みなさん、おはようございます、こんにちは、こんばんは、お疲れさまです。
東京府にあるとある料亭。
その1室に帝国陸軍の若い士官たちが顔を揃えていた。
「ここで諸君等の意志を聞いておきたい。決行するのか?」
この集まりの指揮官クラスである稲葉浅次郎中佐が一同を見回した。
「我々の意志は変わりません。決行あるのみです」
上野陸軍大尉が一同を代表して言った。
「いいのか?もし、失敗したら我々は226事件の首謀者のように全員が処刑されるのだぞ」
「失敗はいたしません。絶対に」
「何事も時期というものがあります。今がその時です」
「香寿美山では、一部の主戦論派が立ち上がりました。我々も続かなくてはなりません」
陸軍大尉や中尉たちがそれぞれ口を揃えて主張する。
「だが、226事件のような失敗は許されないぞ。あの時は陛下が彼らの決起に賛同しなかったら、あのような事態になった」
「それはありえません。天皇陛下は洗脳されているのです。一部の陸海軍の者たちに。彼らを排除すれば陛下も目を覚まされます。我々こそ正義なのです」
上野が主張する。
「ええ、その通りです」
「我々の決起を支持してくれるのは主戦論派だけではありません。軍人の家族集会、企業等が支持してくれます。作戦が成功すれば全国にいる陸軍将兵が我々の指揮下に入ります」
陸軍中尉の1人が主張する。
「このクーデター計画には大きな問題がある陸軍を掌握しても海軍が我々に反攻しないか?」
稲葉の主張に上野が発言した。
「その点は、問題はありません。海軍の中にも我々と志を同じにする同志がいます。海軍の上層部が一掃されれば同志たちが海軍を掌握します」
「なるほど。すべて準備している訳だな」
「はい、その通りです」
陸軍大尉、中尉たちがうなずく。
「1つ諸君等に問う。この作戦で主力となる下士官や兵たちの意志はどうだ?226事件では陛下と陸軍の討伐部隊の放送で心が揺らぐ者もいたぞ」
稲葉は同志たちに質問した。
「その点も大丈夫です。全部隊ではありませんが、中国、満州から撤退した陸軍将兵がいます。彼らは陸軍参謀本部が発令した撤退命令に不満を持っています。不満を持っている国内外にいる下士官や兵たちを同志に集めました。これで、万が一陸軍省、陸軍参謀本部から武装解除の命令が下っても誰も従いません」
上野が報告した。
「上野大尉。このクーデター作戦に参加する兵力はどのくらいだ?」
稲葉が問うと、上野は即答した。
「兵力は1250名です。全員歴戦の猛者揃いです」
「これだけの兵力があれば政府中枢の制圧と閣僚全員を処刑できますね」
陸軍中尉の1人が感動した表情で言った。
ここまでの話を聞いて稲葉は同志たちの顔を見回した。
「同志諸君。私は重大な決断をした。クーデターを決行する。ただし、ここで1つあきらかにしておく。我々の目的はあくまでも天皇陛下を洗脳する近衛内閣を含む陸海軍の指導者たちの打倒だ。そのことを肝に命じておくように」
「「「はい!」」」
稲葉の言葉に陸軍大尉や中尉たちが力強くうなずいた。
「作戦決行は今年の2月26日。作戦名は第2次226作戦と呼称する」
稲葉の説明に同志たちは異議を唱えなかった。
「では、作戦の成功を願って、今日は飲もう」
と、言って、稲葉は手を叩く。
仲居たちが襖を開け、入って来た。
その手には熱燗や料理があった。
甲斐小五郎陸軍中尉は雪が降る中、東京府の下町を歩いていた。
彼は肌をかすめる冷たい風を受けながら、考えていた。
もし、第2次226作戦が失敗したら、自分の家族はどうなるのか、そう思うのであった。
しかし、自分は決断した。軍人としてそれを悩むことは許されない。
道を進んで行くと、すれ違う人々から頭を下げられる。
「あ、あの」
その時、1人の中年女性から声をかけられた。
「はい、何でしょう?」
甲斐は振り返る。
「陸軍の将校様ですね?」
中年女性は尋ねる。
「はい、自分は陸軍中尉の甲斐小五郎です」
甲斐は簡単に自己紹介をした。
「そうですか。この度は中国から軍を撤退させていただき、ありがとうございます」
中年女性は頭を下げた。
「この発言がとても不謹慎であることは承知しています。しかし、私はどうしても陸軍将校様にお礼を申し上げたかったのです」
中年女性は深く頭を下げながら、言った。
「私の最後の息子が中国から無事帰って来るのです。2日前にその息子から日本に帰るという手紙をいただきました」
中年女性の言葉に甲斐は引っかかった。
「最後の息子?」
「はい、私は3人の息子を授かりました。しかし、2人の息子はノモンハンで名誉の戦死を遂げました。最後の息子も兄たちのために自分もお国のために戦地に行くのだと言って、中国に行きました」
「・・・・・・」
甲斐は何と言っていいか、わからなかった。陸軍将校として「2人の息子さんがたは、我が国のより良い未来のために名誉の戦死を遂げられました」と言うべきなのか、「亡くなったお2人にお悔やみを申し上げます」と言うべきなのか迷った。
いくら、彼が陸軍将校と言っても、陸軍士官学校から実務についている期間を合わせても10年に満たない。若い彼が何と言っていいのか、わからなかった。
「本当にありがとうございました」
中年女性は涙を流しながら、礼の言葉を述べた。
「頭をお上げください。まだ、息子さんは国に帰ってきていません。その涙は息子さんが帰って来てから、流してください」
甲斐はそう言った。
「は、はい、そうですね」
中年女性は頭を上げた。
その後、中年女性はもう一度礼を言って、去っていた。
「・・・・・・」
甲斐はその女性の後ろ姿を見ながら、複雑な思いをした。
確かに今の陸海軍の政策は間違っている。
満州、中国からの撤退、朝鮮、台湾の独立を認める等、弱腰にしか見えない。
しかし、目の前にいる女性のように戦争が終わって、息子や夫が無事に帰って来る。これほど、嬉しいことはないだろう。
(だが、決行しなければならない。我々日本民族がアジアに新しい秩序と繁栄をもたらす。これは我々日本民族の使命なのだ)
甲斐は心の中でそう叫んだ。
「小五郎さん!」
すると背後から若い女性の声がした。
その声が誰なのかすぐにわかった。
妻の京子だ。
「京子。迎えに来てくれたのか?」
甲斐は振り返って、言った。
彼女は傘をさしながら、こちらに早足で近づいてきた。
「どうしても、早くお知らせしたいことがあったのです」
京子は嬉しそうに言った。
「知らせたいことって?」
甲斐が尋ねる。
「子供ができました」
京子は左手でお腹を触りながら、言った。
「ほ、本当か!」
甲斐は聞き返した。
「ええ、本当です」
内務省警視庁本庁陽炎団団長執務室。
室内には本庄、竜島、峯靄、湯村、国家治安維持局副局長の川口警視正、笹川の5人がいた。
本庄は川口から手渡された資料に目を走らせていた。
「日本陸軍によるクーデター計画?」
本庄が顔を上げる。
「はい、特高警察が捕えた予備役の陸軍中尉を尋問した結果、彼はそう自白しました」
川口が報告する。
「しかし、川口君。その容疑者には自白剤を投与したそうだが、事実か?」
竜島が問う。
「はい、事実です」
川口が認めると、本庄、峯靄、湯村の3人は顔を見合わせた。
「自白剤による自白では、その信憑性も怪しいものだ」
竜島が口を開く。
「その後、その容疑者はどうなった?」
本庄が聞く。
「死にました」
答えたのは笹川だった。
「死因は自白剤による副作用です」
「つまり確認をとることもできない」
竜島は首を振った。
「いえ、副団長。クーデター計画が彼の妄想ではないことはわかっています」
峯靄が言った。
「え、どういうことだ?」
竜島が峯靄に顔を向ける。
「川口警視正が来る前に憲兵隊から報告がありました」
峯靄は数枚の書類を本庄に手渡した。
本庄はその書類に目を通すと、見る見る表情が変わった。
「川口君、笹川君。容疑者の自白は妄想ではないようだ」
本庄はその書類を竜島たちに手渡す。
彼らはすばやくそれに目を通す。
「しかし、頭の固い憲兵隊がよく我々に情報を開示しましたね」
湯村がつぶやく。
「陸軍大臣の東条英機中将からの直接な命令であれば憲兵隊は従うしかないだろう。いくら軍事警察と言っても、陸軍省の傘下であるからな」
本庄が机に腕を組み、その腕に顎を乗せる。
もっとも憲兵隊としては不愉快であろうが・・・
「この報告には続きがあります」
峯靄が言った。
「憲兵隊は全力でクーデター計画に参加している陸軍将校たちを一斉に逮捕するそうですが、我々も協力をしますか?」
峯靄が本庄に尋ねると、彼は少し考えた。
「お待ちください」
川口が口を開いた。
笹川以外の全員の視線が彼に集中する。
「この血迷ったクーデター計画を実行させてはいかがですか?」
「何?」
本庄が鋭い視線で川口を見る。
「よくお考えください。このままクーデター計画を阻止しても何の解決にもなりません。それどころか、また、クーデター計画を計画する輩を出すことになります」
「つまり君はクーデター計画を実行させ、憲兵隊、警察、我々でそれを阻止する、ということか?」
本庄の言葉に川口はうなずいた。
「はい、その通りです。我々には銃器対策部隊、銃器対策レンジャー部隊、SATがいます。旧式の装備である旧陸軍のクーデター部隊等確実に制圧ができます」
「しかし、クーデター部隊がどこを占拠するか、それがわからないのであれば防ぎようがない」
竜島が主張する。
「いえ、その心配はいりません。第1に陸軍がクーデターをするのです。どこを占拠するかなんて、考えなくてもわかるでしょう」
峯靄が言う。
「ああ、そうだな。首相官邸、宮城、陸海軍省等を含む政府中枢施設の占拠に閣僚等を含む要人の暗殺」
本庄が目を閉じて、言った。
「その通りです」
峯靄がうなずいた。
「・・・・・・」
本庄は考えた。彼らの具申を受け入れるか否か・・・
「わかった。政府は私が説得しよう。君の案を採用する」
本庄は決断した。
立川飛行場の陽炎団SATに貸し与えられている庁舎の会議室にSATに所属している隊員たち全員が集められている。
「諸君。ついに我々の出番が回ってきた」
SAT隊長の千早一葉警視がそう前置きした。
「陽炎団幕僚団からの知らせで、帝国陸軍の一部勢力が政府転覆のクーデターを計画している事が発覚した。それで、我々はこのクーデターを実行させることに決まった」
千早の言葉にSATの隊員たちざわついた。
「これには疑問を持つ者もいるだろう。しかし、この計画を実行させるのが、今後のために必要と判断された。詳しいことは私にも秘密のようだ。そのため、説明を求められても私には答えられない」
千早はそう言うと、作戦の説明を行った。
「クーデター勢力が首相官邸と宮城を襲撃したら、ただちに我々は7機の銃器対策レンジャー隊と共にヘリで現場に急行する」
千早はそう言うと、隊員たちを見回した。
「もちろん、ヘリだけで現場には急行しない。ヘリによる急襲チームと車輛による突撃チームにわける。しかし、ヘリによる急襲チームは最も危険なチームになる。敵の銃撃をもろに受ける上にヘリの数が不足しているから狙撃による援護は申し訳程度にしかできない」
千早はそこで言葉を止める。
SATの隊員たちの表情は変わらない。精鋭部隊に相応しい表情をしている。
「よって、ヘリによる強襲チームは志願制とする。ここで募集する。誰かやってくれるか?」
千早がSATの隊員たちの顔を見回す。
SATの隊員たちはお互いの顔を見合わす。
「自分は志願します!」
1人の隊員が立ち上がる。
狙撃支援小隊所属の高荷である。
「自分も志願します!」
もう1人が立ち上がった。
制圧小隊所属の森山だ。
2人が立ち上がると、次々とSATの隊員たちが立ち上がる。
10数秒後にSATの隊員全員が立ち上がった。
その光景を見て、千早はうなずいた。
「わかった。急襲チームの編成については指揮隊で検討する。1つだけ言っておくが、ここにいる全員が急襲チームに選ばれる訳ではない」
千早がそう言うと、SATの隊員たちはうなずいた。
「では、解散。作戦開始までしっかり身体を休めておくように。以上」
千早がそう言うと、副隊長の提丘は号令を出した。
「起立!」
SATの全隊員たちは立ち上がる。
「敬礼!」
SATの全隊員たちは15度敬礼をした。
会議が終わり、SATの隊員たちはリラックスした表情で会議室を出る者、椅子に腰掛ける者に別れた。
「今回は俺の方が遅れたな」
森山が高荷に声をかける。
「早い者勝ちだ」
高荷は笑みを浮かべて答えた。
「やっぱり今回もお前たちのどっちか、だったな」
高荷の相棒であり観測手である田和村栄一巡査長が笑いながら、言った。
「大阪の時も志願募集する時、真っ先に手を挙げるのはお前たちのどっちかだな」
田和村はそこまで言うと、笑みを苦笑に変え、相棒に言った。
「狙撃手であるお前が志願すると俺は自動的に志願することになるんだ。少しは俺のことを考えてくれよ」
その言葉に高荷はからかった口調で答えた。
「俺がそうするのはすでに知っているだろう。だから、俺の観測手としてこの陽炎団のSATに志願してくれたのだろう?」
「ま、まあな」
田和村は、それを言うなよ、と言いたげな表情でうなずいた。
昭和事変篇 第6章をお読みいただきありがとうございます。
誤字脱字があったと思いますが、ご了承ください。




