特別編 番の梅 後編 第6章 襲撃 1 桐生家とは
みなさん、おはようございます、こんにちは、こんばんは、お疲れさまです。
本庄宅の母屋の一室から、賑やかな子供の声が聞こえてくる。
本庄流剣術の門下生である子供たちが、稽古が終わってからも残り、桐生に日本語を教えているのだった(一応そうらしい)。
しかし、勉強というよりも、本庄の母と家政婦が用意したお菓子を食べながら、楽しくお喋りをしているという感じだ。
何故そうなったのかというと、本庄流剣術の門下生の少年に、桐生自ら現代の日本語を教えて欲しいと言い出した事が発端である。
その少年がOKすると、他の少年少女たちもが、我も我もと手を挙げたのだった。
桐生に甘い本庄は断り切れず、取り敢えず、座談会というか交流会的な名目で、許可したというのが事の顛末である。
子供たちが、桐生の『日系アメリカ人』という表向きの肩書に興味を示した結果であるが、秘匿されている事実がバレない様に、本庄が奮闘しなくてはならないというカオスな状態になってしまった訳だ。
「何で、日本に来たの?」
「アメリカの何処から来たの?」
「本庄先生の、お家に居るのは何で?」
子供たちの、好奇心故の悪意のない答えにくい矢継ぎ早の質問に、本庄は内心で冷や汗をかきながら無難に答えていた。
何故、本庄が答えているのかというと、迂闊に桐生に喋らせるとボロが出てしまいそうになり、後からフォローをするのが大変だからだ。
それでも・・・
「どうして、先生ばかりが喋るの?」
・・・と、鋭い突っ込みを受ける羽目になったが・・・
「・・・そ・・・それは・・・だね・・・」
「それは、私が時代劇から日の本語を覚えてしもうたからなのじゃ。其方らでは、私の言葉は判り難いであろうと、慈殿が代りに答えてくれておるのでござるよ」
言葉に詰まった本庄を、桐生がさり気なく援護をする。
「ふ~ん。そうなんだ~・・・でも、大丈夫だよ。時代劇とかも、お祖父ちゃんと観た事あるから、お姉さんの言っている事も大体わかるよ」
「左様でござるか。凄いでござるの」
ニッコリと微笑む桐生に、答えた子供は、得意顔をする。
(ふぅ~・・・)
取り敢えず、内心で一息を付きながら、そろそろお開きにするタイミングを計っている本庄だった。
その一室から離れた居間では、1人で奮闘している本庄を放っておいて、伶と威はコーヒーを飲みながら、まったりと寛いでいた。
伶は、1週間のテレビ番組表が掲載されている雑誌に、マーカーで幾つかの印を付けている。
「何のチェックを、しているんだ?」
「教育番組の中で、教材に使えそうなのをチェックしているんだ。録画しとこうと思ってね。明美ちゃんに教科書だけで教えるより解りやすいし、英語なら、英会話の番組を視聴したほうが、細かい発音とかが解りやすいからね」
「なる程ねぇ~・・・その方が、伶も楽だしねぇ~・・・」
「失礼な。効率的と言って欲しいよ」
「まあ、そういう事にしておこう。で、成果は?」
「理科なんかは、自然科学の類は、サクサク進んでいるよ。物理の方は、数学の成果待ちかな。今のところ、算数の域を出ていないみたいだしね。数学の方程式とかが理解出来れば、すぐにでもってトコかな。威兄さんの方は?」
「・・・日本国憲法を、たった1日で、すべて暗記した・・・」
「はぁ?何それ?マジ?」
「マジだ」
「・・・・・・」
「明美ちゃんの記憶力には、驚かされたよ」
あんな、読んでも全然面白くないものを、暗記してしまうとは・・・普通じゃない!
伶は、無言で皿に乗ったクッキーを取り、口に運ぶ。
「・・・それはそうと、俺、ちょっと実家に帰って来るわ」
「へっ?何で?」
威の突然の言葉に、伶は目を丸くした。
「いや・・・この間の窪田弁護士の話を聞いていて、思い出した事があってね。ひい祖父さんが、ご先祖様を尊敬していたのは知っているだろう?」
「うん。事あるごとに俺たちに、たぁ~くさん話を聞かせてくれたよね。正座付きで・・・それで?」
「ああ・・・ひい祖父さんが亡くなった後で、祖父さんが本庄家に遺されていた古文書を整理したんだが・・・俺も、嫌々手伝った・・・その時に、多分だけど・・・ご先祖様が書いたと思しき書簡というか・・・手紙みたいなのを見つけたんだ。古文書の大半は、郷土資料館に寄付したりしたが・・・家に残しているのもあるはずなんだ。ちょっと、調べて来たい」
「なる程・・・そうすると、明美ちゃんの言っていた事の裏付けも取れる訳だ。ご先祖様との馴れ初めなんかは聞けなかったもんね」
「そーゆー事。聞きたいとは思うけれど、明美ちゃん自身も心の整理が付いていないだろうし、個人の恋愛事を根掘り葉掘り聞くのも野暮だしね」
「それに、兄さんの精神衛生上の問題もありそうだしね」
あまり詳しくは聞けなかったが、桐生の話を少し聞いた限りでは、ご先祖様・・・本庄隼人介という人物は、かなり残念な人物だったようだ。
曾祖父の影響を受け、本庄流剣術を修め、本庄流剣術を興したご先祖様を純粋に尊敬していた本庄の事を考えると、ちょっと複雑な気持ちにはなるが、それはそれとして、やはり色々と知りたいという欲求もある。
数日後。
桐生は、産婦人科の定期健診のために、都内の某総合病院へ向かった。
これについては、予め政府から病院も検診日も時間も指定されていた事であった。
「・・・VIP待遇・・・」
付き添いとして、母と同行する事になった本庄だったが、一般の外来患者が利用する駐車場とは別の駐車場へ案内され、専用のエレベーターで産婦人科の外来がある階へ向かい、他の外来患者と鉢合わせにならないように配慮されている事に、ボソッとつぶやいた。
この病院は、政治家や芸能人等が、お忍びで入院する事もあると聞いて、納得はした。
「いかがされた、慈殿?」
物珍しそうにキョロキョロしていた桐生が、緊張しているように落ち着きの無い本庄に、声をかけてきた。
「い・・・いや、病院というのが苦手なだけだよ」
半分は嘘ではないが、本音で言えば産婦人科に男が来ると言うのは、診察を受ける女性の伴侶でもない限り、違和感のようなものを、どうしても感じる。
本庄の感じている違和感は、産婦人科の看護師たちが、チラチラと自分と桐生に交互に視線を送ってくるからだが。
(あっ!)
何となく、その意味に気が付いた。
(もしかして・・・)
詳しい事情は知らされてはいないだろうが、桐生が何のために受診をするかに付いての理由は知らされているだろう。
(俺が、桐生さんを妊娠させた、不届き者として見られているとか・・・?)
VIP待遇を受けている相手に対して、露骨な反応を示すような事はしないだろうが・・・
それは誤解ではあるのだが、ノコノコと付き添ってきたため、そう取られてしまったのかも知れない。
看護師や受付の事務員から、視線を向けられているのを意識してしまうと、いたたまれない。
(俺も、駐車場で待機しておくべきだった)
後悔先に立たずとは、このことだろう。
「ここは、私とお母様で付き添います。先に駐車場か待合室で待っていて下さい」
居心地が悪そうに、ソワソワとして挙動不審になっている本庄に助け舟を出したのは、桐生に警護として付き添っている能田警部補だった。
「す・・・すまない」
この場の空気に堪えられなくなっていた本庄は、能田の気遣いにホッとしたのだった。
「ふぅ~・・・」
どうにも居たたまれない空間から撤退出来た本庄は、1階まで降りると、自動販売機で缶コーヒーを買い、安堵のため息を付いていた。
待合室の座席に腰掛け、温かいコーヒーを一口飲むと、気分が落ち着いてくる。
本来なら、缶コーヒーはコーヒー党の本庄といえども、余り好みでは無いのだが、無いよりはマシである。
「それにしても・・・」
先日、尋ねてきた桐生の養父の代理人である弁護士との話の中で、桐生のお腹の子の父親が、本庄たちの先祖であったというのには、驚きであり不思議な縁のようなものを感じる。
自分たちの先祖が、どんな人物だったのかも詳しく知りたいとも思える(ちょっと、知りたくないトコロもあるが・・・)。
「・・・おや、お1人ですか?」
自分1人しかいなかったはずの待合室に、いつの間にか50代後半と思わしき男がいる。
「・・・・・・」
この待合室に、一般の外来患者が来る事は無いはずである。
しかも、声をかけられるまで気配すら感じなかった。
「おや、驚かせてしまいましたか?」
表情を硬くしている本庄に、男は笑いかけて、名刺を差し出した。
「・・・内調?」
男の名刺には、『内閣調査室特別顧問 蛭子臣人』と書かれている。
政府関係者という事は、桐生絡みである事は容易に想像出来る。
「桐生さんに、何か用ですか?」
「そう構えないで下さい。大層な肩書のように見えますが、私の立ち位置は一般企業で言えば、窓際族みたいなものですからね。単に上から、お嬢さんの診察の結果を聞いてくるようにと言い遣っただけですから。まだ、お嬢さんの診察は終わっていないようですね」
「・・・そのようです」
硬い表情のまま、本庄は最低限の事を答える。
内心で、内調まで首を突っ込んで来ている事に、警戒心を覚える。
「あのお嬢さんが、元気でいられるのも、貴方のお蔭というところでしょうね」
「・・・・・・」
警戒しているのを隠していない本庄に対し、蛭子は特に気にも留めていない様子で、杖を突きながら歩み寄って来た。
「よっこいしょ」
そう言いながら、長椅子に腰を下ろす。
「足が不自由なのですか?」
蛭子が、片足を引き摺る様に歩いていたのを見て、問いかける。
「若気の至りで、昔は色々と無茶をしましたのでね。ところで、疑問に思いませんか?江戸時代からタイムスリップをして来たとか言われていますが、日米の政府関係者が、たかだか1人の小娘に、あれほどピリピリとしている事に・・・」
「・・・・・・」
その気持ちは当然ある。
だが、そこには触れない方が良いというのは本能的にわかるから、敢えて考えない様にしているだけである。
「あの娘は、それだけの秘密を持っているのですよ。娘自身というより、その血筋にね・・・」
「・・・・・・」
内調だと言っている割には、どうにも口が軽い。
それに・・・身分証を見せるならともかく、名刺を渡すか?とも思う。
この蛭子という人物に対し、警戒感がますます強くなる。
「フッ・・・」
それを悟られない様に、表情を無にしようと努めている本庄を見る蛭子は、口角の両端を上げて、笑みの形を作る。
だが、その目は笑っていない。
「なる程・・・君が将来有望で、優秀な警察官だというのは、事実のようだね」
「・・・・・・」
どうにも得体の知れない人物である。
「・・・歴史に記されていない真実がある・・・」
ボソボソとつぶやくように、蛭子は口から言葉を紡ぎ出した。
「戦国時代、三英傑と呼ばれた戦国武将。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。三者三様、長所もあれば短所もあり、功罪もある。しかし、この3人がいなければ、今の日本は無かったと言っても過言ではないだろう。家に例えるなら・・・信長公が土台を造り、秀吉公が柱を建て、家康公が屋根を造った。誰1人が欠けても、日の本の国の統一は成せなかった」
「・・・・・・」
いきなり信長や秀吉、家康の話をされても、反応に困る。
「・・・ここまでは、簡単な歴史のおさらいだ。しかし、未来の人間が知り得る過去の出来事など、氷山の海上に出ている一部分だけだ。事実や真実は深い海中に隠され、それを紐解くのは至難の業だ。豊臣秀吉の嫡子が、淀殿が産んだ秀頼と鶴松だけでは無いという話は知っているかね?」
「・・・確か・・・まだ秀吉が羽柴姓だった頃に、側室に産ませた男児がいた・・・とかいう話ですか?」
「そうだ。信長の一家臣として、近江長浜城の城主だった頃に、側室に産ませた男児。石松丸秀勝」
「・・・養子だったという説も、あるのでは?」
昔に読んだ本には、そんな記述があったような・・・記憶の奥底から思い出した事を、本庄は口にした。
「そう。はっきりとした証拠となる書も見つかっていないのと、諸説があるため、そんな説もある。石松丸という幼名の男児も夭折したため、それこそ真実は闇の中だ。その後、秀吉はその側室との間に、一女を儲けたとも言われているが、側室共々、その存在がはっきりしていない。どうしてだろうね?」
「確か・・・秀吉の正室の寧々(ねね)?お寧?が、嫉妬深い性格だったとかで、密かに・・・とか?信長に宛てた、秀吉の女癖の悪さを嘆く手紙が遺されていたとか・・・確か2人は、政略結婚が当たり前の時代に、恋愛結婚をしたとか・・・それ程愛した男が、自分を差し置いて別の女との間に子供を儲けたとなれば、許せないという気持ちになるというのもあるのでは・・・」
歴史の授業を受けている気になりながら、本庄は答えた。
「その説を唱える歴史学者もいるね。秀吉は、その後も数多くの側室を迎えたが、誰一人懐妊しなかった。北政所が、側室たちが懐妊しないように、色々と仕向けていたとも言われる所以ではあるが、そうだとも言い切れない」
「何故です?」
「北政所の力添えなくば、桐生家は存在しえないからだ」
「・・・・・・」
「最終的に秀吉は淀殿との間に、鶴松と秀頼を儲けた。この2人は秀吉の子ではないという説もあるが、それは違う。淀殿には何としても、秀吉の子を儲ける必要があった。両親の仇を取るためにね。知っていると思うが、淀殿の父である浅井長政、母であるお市の方は、直接的に秀吉が手をかけた訳ではないが、秀吉によって命を落とした。不謹慎な話で申し訳ないが・・・例えば、君のご両親が何者かに殺害されたとして、君が両親を殺害したのが誰なのか、わかっていたら?君はどうするかね?あぁ、警察官としての答ではなく、君が1人の人間だったらで、答えてほしい」
「・・・恐らく、復讐したいと考えるかと・・・」
淀殿と桐生に何の関係があるのだ?と、疑問に思いながらも本庄は、蛭子が望んでいるであろう答を述べた。
「そう、それだ。どうせなら憎い相手を絶望のどん底へ突き落したい。そう、考えるだろう」
そこまでは、考えていない。
内心で突っ込みつつ、愉快そうな笑みを浮かべている蛭子の、次の言葉を待つ。
「淀殿は、豊臣家を滅ぼした悪女という説もあるが、それは強ち間違ってはいない。彼女は復讐をするために、自分の妹たちを守るために、悪女にならざるを得なかったのだ。天下人となり、天下に並ぶ者無きになったとはいえ、秀吉にとっての悩みは、自分の後継たる男児を授かる事が無かった事だ。そんな時に、淀殿は男児を産んだ。その頃、関白の座を甥で養子の秀次に譲っていた秀吉だったが、甥を排除し、その妻や側室、子供たちを処刑させた。
もちろん、それに淀殿は関わってはいないが、憎い男が自分の血族や、それに連なる者を弑していく様に、ほくそ笑んでいただろうな。そして、最後の仕上げは秀吉の死後、豊臣家を完全に滅ぼす事。幽世に旅立った者は、現世に関わる事は出来ない。淀殿の命懸けの復讐が成ったのは、歴史の通りだ」
どうやら、話は終わったらしい。
「中々、興味深い話ではありますが、桐生家と淀殿の話に、どういった関係があるのです?」
長々と考察を聞かされたが、肝心な部分は置いてきぼりである。
「秀吉の長浜城主時代に、消息不明となった一女がいただろう。石松丸亡き後、産まれたのが女児であったため、秀吉は、側室に対する興味を失った。そんな居心地の悪い環境に置かれていた側室と女児に救いの手を差し伸べたのが、寧々・・・北政所だったのだ。家臣の1人に2人を預け、女児を養育させたそうだ。年月が経ち、秀吉の死後、出家して高台院と名乗った寧々を訪ねてきた若者があった。紆余曲折を経て、徳川家・・・幕府に仕える事になった、若者が・・・秀吉の実子である一女の息子・・・秀吉から見れば、孫にあたる若者だったのだ。秀吉の若い頃に瓜二つだった若者に、高台院は、秀吉が賜った家紋である桐の紋に因んで桐生姓を授けた。その若者が、桐生家初代の当主なのだよ」
「それじゃあ、桐生さんは豊臣秀吉の庶子とはいえ、直系の子孫?」
「そういう事だ。知っての通り、秀吉と淀殿の息子である豊臣秀頼は、大坂夏の陣で死に、その子である国松は処刑され、もう1人の女児は仏門に入り、表向きは秀吉の血筋は絶えた。しかし、その血筋を継ぐ者は、存在するのだよ。太閤殿下の血筋を絶やしてはならぬという、高台院の願いというか、呪と共にね」
桐生と本庄の先祖との関係性にも驚かされたが、蛭子の話にも同じ位、驚かされた。
そんな事を、何故この男は、知っているのだろうか。
「私も、桐生家とは些か縁があってね。桐生家が代々徳川の密偵を勤めていたように、蛭子は朝廷・・・帝の密偵を勤めた家だ。私の先祖は蛭子家に桐生家から養子として迎えられた者だ。だから、桐生の事は良くわかっているのだよ」
「・・・・・・」
「慈殿!」
診察が終わったのか、能田と本庄の母と共に、桐生が待合室に入って来た。
「・・・桐生さん?」
「顔色が優れぬが、いかがいたした?」
「いや、ちょっと・・・・」
桐生に蛭子を紹介しようと、後ろを振り返ったが蛭子の姿は、忽然と消えていた。
特別編 後編第6章をお読みいただきありがとうございます。
誤字脱字があったと思いますが、ご了承ください。
次回の投稿は9月9日を予定しています。




