冬のクローバー④
【*冬のクローバー④*】
その翌朝、登校して来た私はクラスの黒板を見て驚いた。
大きな文字で、『三枝 悠人はシスコンだった! 毎朝、妹にベッタリひっついてる!』って書かれている。
「誰が書いたの?」
教室の入り口付近にいた私は、誰かにランドセルを後ろからグイッと引っ張られた。
「ちょっと来い」
私の前をずんずん歩いて行くのは悠人君だ。階段の踊り場まで来ると振り返った。
「昨日の仕返しか?」
「なんの事?」
「黒板のアレだよ。オレがシスコンだって」
「私が書いたと思ってるの?」
悠人君はイラだったように、言葉を吐き捨てた。
「お前以外に誰がいるって言うんだよ! 昨日みんなに騒がれて、オレがその……お前の悪口言ったから。根に持って春陽の事バラしたんだろ!」
そんな事してない。
悠人君は私が春陽ちゃんの事をバラしたって、そんな風に思ってるんだね。
「今来たばかりの私にどうやって書けって言うの?」
悠人君はふんっ、そんなの決まってると私を睨みつけてきた。
「お前、昨日帰ったの遅かっただろ!」
それって、私が放課後書いたって言いたいの?
「係りの仕事で遅くなったんだよ。私の帰りが遅かった事どうして知ってるの? 悠人君は私より早く帰ったよね?」
悠人君は慌ててバツが悪そうに私から視線を逸らした。
「な、なんだって良いだろ! たまたま見たんだよ。昇降口を出るところを、たまたまな!」
「私が下校するまで悠人君もまだ学校にいたの?」
悠人君はうっと言葉を詰まらせた後、私に人差し指を突きつけてきた。
「そんな事より、嫌がらせするなんて最低だな!」
濡れ衣も良いところだ。
私の言葉を信じない悠人君にイラッとした。
「確かに昨日、悠人君は私の悪口言って自分だけさっさと教室に行っちゃったよ。でもね、私は春陽ちゃんの事は誰にも言ってない。悠人君の事は妹思いの優しいお兄ちゃんだとは思っても、シスコンだなんて思ってないよ」
約束したんだから、言うはずない。
でも、悠人君の中で私はすっかり犯人にされちゃってるよ。
「ふんっ、オレに妹がいる事はお前しか知らないんだよ。お前の言う事は信じられないな!」
「信じてもらえないならもう良いよ」
私はクルリと悠人君に背中を向け教室まで走った。
ああ、もう最悪だ。
悠人君とトラブルがあっても、席が隣だから嫌でも顔をあわせる事になっちゃう。
悠人君は見るからに不機嫌そうに、一日中むすっとして、周りに話しかけるなオーラを振りまいているし。
唯一の救いは、先生が授業で『隣の人と交換ね』って言わなかった事。
それと家庭科が二時間あって、家庭科室の席が出席番号順だった事。その時だけは助かった。
悠人君とのギクシャクした関係はしばらく続いた。
係りの仕事は私の知らないところで、本の整頓をしてくれてるみたいだけど、話さなきゃいけない時以外は話さなくなった。
席にいる時はいつも不機嫌そうで、目が合うとすぐに逸らされる。
いつまで続くのかな?
前みたく悠人君と普通に話したいのに悠人君に怒っている自分もいて、私にはどうしたら良いのかわからなくなった。
******
今日は果歩につき合って近所の公園に遊びに来ていた。
「果歩、まだ勢いが足りないよ。思いっきり地面を蹴ればくるって回るから。ほら、こんな感じ」
逆上がりが苦手な果歩に私はお手本を見せていた。
「わかった、果歩やってみる!」
果歩は真剣な顔で頷くと、腕に力を入れて地面を蹴るが、鉄棒まであと少しで届かなく地面に足が着いた。
「もうちょっとだったのに」
悔しそうに鉄棒を睨む果歩を私は励ました。
「何度も練習すれば出来るようになるよ」
「もう一度やってみる!」
果歩の逆上がりを見ていると、公園の出入り口から声をかけられた。
「おーーい、果歩何やってんの?」
果歩と同じくらいの男の子と、その後ろからクラスメイトのワカナちゃんがこっちにやって来た。
「逆上がりの練習だよ。トーマ君もやる?」
「やるやる! どっちが先にできるようになるか競争しようぜ!」
「果歩が勝つに決まってるでしょ!」
「オレだって負けないからな!」
逆上がりで燃え上がる二人。
「一年生ってまだ小さいから単純だよね」
あきれ気味に苦笑するワカナちゃん。
「ワカナちゃんの弟?」
「そ、弟のトーマ。咲歩ちゃんの妹と同じクラスだよ」
私達はブランコに座りながら、逆上がりをする二人を眺めた。
「ワカナちゃんに弟がいたなんて知らなかったよ」
「どこかの兄妹と違って、家は学校じゃあまり一緒にいないからね。姉弟って複雑なの」
そうなんだ……あれ?
「どこかの兄妹って?」
「三枝兄妹のこと」
そっか、果歩と同じクラスなら、悠人君の妹の春陽ちゃんとも同じクラスになる。
ワカナちゃんはブランコを足でギコギコ漕ぎながら嘆くように言った。
「家でトーマが姉ちゃんより兄ちゃんが良かったって、悠人君の話ばかりしてうるさくてまいっちゃう」
「男同士の方が話が合うのかもね」
苦笑いで返しながら、私はふと思った。
ワカナちゃんとトーマ君姉弟みたく、うちのクラスに果歩と同じクラスに兄弟がいる人がいるかもって。
「そういえば、うちのクラスで一年生に兄弟がいる人ってまだいたりする?」
「いるよ。タツキ君のところの弟とも同じクラスだよ」
学級委員長のタツキ君にも弟がいたんだね。
「へ〜、そうなんだ。意外とクラスが一緒になるものなんだね」
「世の中狭いよね〜。でもさぁ」
ワカナちゃんは何か思い出したように、口を開いた。
「咲歩ちゃん把握しといた方が良いよ。兄弟が同じクラスにいるって、筒抜けになっちゃうから」
「そうなの? 自分の知らないところで、妹にあれこれしゃべられるのってなんかヤダなぁ」
「そうなんだよね。うちのトーマもおしゃべりだけど。特にあそこの弟」
ワカナちゃんはブランコをぴたりと止めた。
「タツキ君のとこの弟カズキ君みたいに口が軽い兄弟は要注意だよ。口止めしなきゃ笑い者だからね」
「タツキ君の弟ってそんなにおしゃべりなの?」
ワカナちゃんは真剣な表情で私に言った。
「あの子のあだ名は歩くスピーカーだもん」
「すごいあだ名だね」
「この前の黒板の落書き。あの情報源はきっとカズキ君だよ」
「どういう事?」
「学級委員の名誉のために今まで一応黙ってたけど、悠人君のシスコン騒動もおさまったし言ってもいっか」
話がよくわからなくて首を傾げると、ワカナちゃんが教えたくれた。
「わたし見ちゃったんだよね〜。品行方正な学級委員の裏の顔」
私はワカナちゃんが言ったことを頭の中で考えてみた。
おしゃべりな弟、黒板の落書き、学級委員タツキ君の裏の顔……。
「それって、黒板に落書きしたのはタツキ君ってこと?」
ワカナちゃんの目がキラッと光った。
「咲歩ちゃん鋭い! あたりだよ。あの落書きはタツキ君の仕業だよ。タツキ君はわたしに見られたことに気づいてないと思うけど、わたしはしっかり見ちゃったんだから」
「本当にタツキ君が?」
タツキ君は性格も良くて、頼れる学級委員長として女子から人気がある。
ケイカちゃんが前に女子の駆け込み寺って言っていた。
そんな優等生のタツキ君がそんな事するなんて信じられない。
ワカナちゃんははっきり頷いた。
「落書きが書かれた日の朝、わたし園芸委員の水やりで早く登校したんだけど、教室から慌てて出て来るタツキ君の後ろ姿を見たの」
「どうしてタツキ君が落書きしたってわかったの?」
「朝来てすぐにランドセルを置きに教室に入った時には、黒板には何も書かれてなかったんだよ。でも、水やりを終わらせて教室に戻って来た時にはもう落書きされてたから。それにロッカーにはわたしとタツキ君のランドセルしかなかったし。タツキ君前々から悠人君のこと良く思ってなかったと思うよ」
ワカナちゃんの口から次から次へと出てくる言葉に、私は信じられない気持ちで聞いていた。
「それって、タツキ君が落書きをする動機があるってこと?」
ワカナちゃんは大きく頷いた。
「悠人君って、クラスの仕事サボるからタツキ君はよく女子から相談されてるみたいだけど、男子からはあまりよく思われてないみたい」
そんな事知らなかった。それじゃあ、タツキ君は……。
「男子と女子の間で板挟みって事?」
「そう。あと個人的恨みもあるのかも」
「あの二人ってそんなに仲良さそうに見えなかったけど、タツキ君が悠人君に個人的恨み?」
タツキ君が悠人君にどんな恨みがあるの?
「クラブの時に、タツキ君が得意なバスケで悠人君に負けちゃったんだよ。わたし卓球クラブだから体育館で見てたんだけど、そりゃもう惨敗」
タツキ君からしたら悠人君に対する感情が色々積み重なって、黒板に落書きって手段に出ちゃったって事?
あの頼れる学級委員長のタツキ君が……まだちょっと信じられないけど、目撃者のワカナちゃんが言うんだからそうなのかも知れない。
それにしてもワカナちゃんって情報通だ。
「ワカナちゃんって色々知ってるんだね」
「わたし今、探偵小説にはまってるの。だからちょっと気になって調べてみたんだ。なんて言うか、悠人君って女子だけじゃなく、男子にも恨まれてたんだね〜」
すごい事を聞いちゃったけど、悠人君に言う?
言ったところで、悠人君が私の話を信じてくれる可能性は低い気がする。
話してまたこじれるのイヤだから。
ワカナちゃんから聞いた話は知らなかった事にしよう。
******
気まずくなって、ワカナちゃんから真実を聞いてからどれくらい経ったかな。
もうすぐ三月も終わって、四月からは新しいクラスになる。
今日は四時間授業だから、あとは係りの仕事を片付けて帰るだけ。
今日も居心地の悪さからやっと解放されて、ホッとしていると……。
「花と本係りは、後で職員室に来て」
戸村先生はそう告げると、さっさと教室を出て行っちゃった。
今日は全学年下校時間が同じだから、悠人君は春陽ちゃんと一緒に帰るよね。
今日ほど悠人君が係りの仕事に熱心じゃなくて良かったと思う事はないよ。
だって、まだ気まずいから。
私は帰り支度を終わらせて、一人職員室へ向かった。
花と本係りの一番ハードな仕事、それが本の移動。
本好きの戸村先生は、生徒に読ませたい本を自宅から持参してくる。それを花と本係りが定期的にクラスの本棚に入れるのだけど……。
その本の移動が大変だったりするんだよね。
今日は特にダンボールにいっぱいあるなぁ。
春休みまで残り少ないけど、朝の読書の時間にクラスの本棚から本を借りる人が結構いて、今回も色々な本が入っている。
一階の職員室から、二階にある教室まで運ぶ途中、階段でバランスを崩してダンボールから本がドサドサ落ちていった。
あ〜あ、ばらまいちゃった。
本を拾い集めていると、小さな手が視界にぬっと入って来た。
「はい、咲歩お姉ちゃん」
「春陽ちゃん? ありがとう」
一年生の春陽ちゃんがどうして二階にいるのかな。
「お兄ちゃんを迎えに来たの?」
悠人君は終わった後、すぐに教室を出て行ったはずだけど。
すれ違いになっちゃったのかな?
「お迎え遅いからお兄ちゃんのクラスに来たんだけど。お兄ちゃんまだ教室に残ってるって言うから、春陽も待ってるの」
「お兄ちゃん教室にいるの?」
教室を出て行ったはずの悠人君がどうして教室にいるの?
忘れ物でもしたのかな。
春陽ちゃんは私が落とした本を拾ってくれながら、階段の上の方に顔を向けた。
「いるよ。あっ、お兄ちゃんも手伝って!」
悠人君はぶつぶつ言いながら階段から降りてくると、足元の本を拾った。
「相変わらず間抜けだな」
どうして酷い事を言うのかなぁ。イヤになっちゃう。
悠人君が手伝ってくれないから苦労してるんだけど。
「一人で大丈夫だから、悠人君は春陽ちゃんと帰って」
私は悠人君を無視するように落とした本を拾う事に集中する。
「…………わかっ」
「ダメだよ! お兄ちゃん」
悠人君の声を春陽ちゃんが遮った。
何事かと思って顔を上げると、小さな春陽ちゃんが腰に手を当て悠人君に向かって目を吊り上げている。
「わたしさっきお兄ちゃんのクラスの掲示板見たよ。お兄ちゃん、咲歩お姉ちゃんと同じ係りじゃない。一緒にやらないとダメ!」
おーーっ、大人しい春陽ちゃんがはっきり悠人君にお説教してる。
「オ、オレは良いんだよ」
「良くない。こんなにいっぱい一人じゃ大変でしょ。咲歩お姉ちゃんが可哀想だよ。きょーりょくしてやるの!」
「うっ……」
たじたじになって悠人君が言葉を詰まらせてる。
クラスの女子から注意されると、いつも怒る悠人君が今は小さなお母さんに怒られている子供みたい。
「ふっ……あははは」
なんだか可笑しくてつい笑っちゃったよ。
そしたら、悠人君に睨まれた。すかさず春陽ちゃんがキッと悠人君を睨む。
「お兄ちゃん、そんな怖い顔するから咲歩お姉ちゃんに嫌われちゃうんだよ!」
「春陽! お前はよけいな事を言うなよ」
春陽ちゃんのお説教が入ると、悠人君が慌てたように春陽ちゃんの口をふさいだ。
春陽ちゃんは悠人君の手を剥がし、私の服の裾をクイクイっと引っ張ってきた。
私はしゃがんで春陽ちゃんと目線を合わせると、悲しそうな顔が返ってきて。
「春陽ちゃん、どうしたの?」
「お兄ちゃんと咲歩お姉ちゃんがケンカしてるって、果歩ちゃんから聞いたの。どうしてケンカしてるの?」
果歩ーーっ。なんておしゃべりな妹なの!
「それは、その……」
言葉に詰まっていると、春陽ちゃんがちょこんと首を傾げた。
「お兄ちゃんがシスコンだから?」
「えっ?」
「は?」