冬のクローバー①
【*冬のクローバー①*】
「ちょっと悠人君、当番でしょ!」
「黒板消してないじゃん。真面目にやってよね!」
教室の真ん中で女の子二人が一人の男の子に向かって大きな声を上げていた。
どうやら言われた方の男の子は当番を忘れて、外に遊びに行っていたらしい。
「うるせぇな。オレは忙しいんだよ。当番はもう一人いるんだから、そいつがやれば良いだろ!」
「わたしは前の授業でやったの。次はあんたの番でしょ!」
「黒板消すのは、当番が変わりばんこでやるって決められてるんだから。知らないの!?」
あの子達、強いなぁ。
あんなにはきはきと悠人君に言えるなんて、尊敬しちゃうな。
クラスのみんながざわざわと騒ぎ出しちゃったよ。
「悠人、黒板消しとけよ」
「忘れたお前が悪い」
「そうだ、消せよな」
みんなに非難された悠人君は顔を真っ赤にしながら黒板を消し始めた。
「やりゃ良いんだろ!」
悠人君はガシガシと黒板を消すと、後ろにいる二人を振り返った。
「ほら、やった。これで文句ないな!」
「何これ、隅の方残ってるじゃない!」
「書けりゃ良いんだよ。書・け・れ・ば!」
悠人君が二人に向かって、両手にそれぞれ持った黒板消しをぱんぱんはたいた。
黒板消しから白い煙が出て、二人は咳き込みながら逃げるようにその場を離れていく。
「さいってい!」
「超、最悪なんだけど!」
二人は声をそろえてこう言った。
「「あんたなんか先生に言いつけてやる!」」
あ〜あ、悠人君また職員室に呼び出しだね。
三枝 悠人君は、夏休みの終わりに転校して来た。
いつも係りや当番の仕事をサボって女子を困らせるクラスの問題児。
うちのクラスのモットーは『男女仲良く平等に』。
悠人君ってモットーを真逆にいってるんだよね。
スポーツもできるし、男子とはよく話しているところを見かけるから、男子からの評判は悪くないみたい。
でも、女子からは遠巻きにされていた。
******
雑誌の占いに私の今日の運勢が書いてあるなら、それはアンラッキーデーって書いてあると思うよ。
黒板に書かれた名前を見て私の気分は暗くなった。
「咲歩ちゃん、クジ運最悪じゃん」
授業が終わるとすぐに、私の席までやって来たのは友達のケイカちゃんだ。
「あはは、もう笑うしかないよね」
「咲歩ちゃんが壊れた!」
私のクラスは秋に新しい係りを決める。ついでに席替えもする。
どっちもくじ引きで決めるから、今日の私は本当に運が悪いとしか言えないよ。
「まさか席だけじゃなくて、係りもだなんてね」
私の係りは花と本係り、メンバーは私とあの悠人君の二人。
席は、窓側の一番後ろで良いポジションなんだけど、なんと私の右横が悠人君だったりする。
今日、悠人君は学校を休んだから明日からどうなるのかな。
上手くやっていけるかなぁ。思いっきり不安なんだけど。
クラスの仕事に関しては怠ける悠人君だけど、授業は真面目に聞いている。
席が隣だと授業でノートやテストを交換して答え合わせをしたり、どっちかが問題を早く解くと、早く解けた子はまだ終わってない子に教えたりする事がある。
この日も……。
「このページの問題が出来たら隣の人と丸つけして終わって良いよ!」
先生って、どうして出来た人から終わって良いよ、なんて簡単に言うのかな?
得意な子は良いよ。
でもね苦手な子からしたら、このルールは残酷なんだよ。
解くのに時間がかかるから、隣の子を待たせちゃうし。
早く解こう早く解こうって、焦って余計に解き方がこんがらがっちゃうんだから。
私が苦手な分数の問題を解くのに苦戦していると、視界に鉛筆がスッと入ってきた。
何かと思って鉛筆をたどると悠人君?
鉛筆で式をトントンさせてくる。
「お前面倒くさい解き方してるな。ここ、計算の途中で約分すれば後が楽になるって気づけよ」
「えっ、解き方間違ってるの?」
「間違ってるな、あちこち」
悠人君、容赦ないよ。
そんなにズバリと指摘されたら落ち込むじゃない。
「どの問題? まさか全部は間違ってないよね?」
「まずは楽な解き方マスターしな」
私がため息をつくと、ノートを覗き込んだ悠人君が、空いたスペースに解き方を書き出した。
私は邪魔にならないように椅子を左側に移動させ、悠人君の手元に集中する。
距離が近いのを意識しないように。
「ここで約分して、こうなってこうなるから、後はこことここで。出来たぞ」
「悠人君の字って見やすいね」
「!!」
悠人君が突然ばっと体を引くと、狼狽えたように口をパクパクさせてる。
「な、なんだ! お前、オレの説明しっかり聞いてたのかよ!?」
顔を真っ赤にして、そんなに睨まなくても良いのに。
せっかく教えてもらっているのに、怒らせちゃったかな。
「あ、ゴメン。つい見惚れちゃってた」
謝ったんだけど悠人君は鉛筆を持った手を私にふるふると向けてくる。
「み、みと……」
「ん? みと……納豆? 今日の給食納豆なの?」
「違うわ!」
「じゃあ、水戸黄……」
「何でもない! お前バカだろ?」
「う〜……ん、分数苦手だからそうかも」
悠人君が盛大なため息を吐いた。
「真面目にやらなきゃ、教えないからな!」
字が綺麗だねって誉めただけなのにな。
もちろん真面目にやる気はあるよ。
悠人君との距離があまりに近すぎてちょっと戸惑っただけ。
「集中するから教えて?」
お願いしますと頭を下げると、悠人君は気を取り直してくれたらしい。
「天然か? 変なヤツ」
ぶつぶつ言いながら、悠人君はノートに式を書き始めた。
「一度しか言わねぇからな!」
悠人君はむすっとしながらも、解き方をゆっくり書いてくれる。
「理解したか?」
「こっちの方が分かりやしいし、解きやすいね!」
思わず尊敬の眼差しで悠人君を見ると、悠人君はまた顔を赤くしながら、頭をぽりぽり。
「そうだろ? わかったら次だ。答えが間違ってるのはこっちとこっち、あとこれも仮分数に戻す計算間違ってるし。ほら、やり直し」
うっ、結構間違ってる。
悠人君が教えてくれたお陰で私は前よりも分数が苦手じゃなくなった。
そして私は悠人君の意外な一面に気づいたよ。
教え方がわかりやすいだけじなくて、書く時にわざとゆっくり書いて教えてくれたから、私は解き方を理解する事ができたんだ。
それに、コレが一番意外だったかな。
悠人君が丸を付けた私のノートには、最後の式の下にうさぎの顔が描いてある。
悠人君って、性格によらず可愛い絵が得意みたい。
クラスの仕事も積極的にやってくれたら良いのにな。
******
花と本係りの仕事は。朝登校したらまず花瓶の水を替え、鉢植えにも水をあげる。
そして、帰りにクラスの本棚の整理。
クラスメイトが花瓶に生ける花を持って来てくれると、朝はちょっと忙しくなる。
バラを花瓶に生けるために、ハサミで茎を切っていたら指にチクッと痛みが走った。
「トゲがあったんだ。気づかなかった」
これくらいハンカチで拭いとけば血は止まるか。
ハンカチで指を包んで花係りの仕事を終えると、ちょうど予鈴がなってもうすぐ担任の戸村先生が来る時間になった。
悠人君の姿はないけど、あれ?
教室の一番後ろにあるロッカーを見たら、悠人君の場所にランドセルが入ってる。
もう、来てるの?
悠人君は戸村先生が来る数分前にギリギリセーフで教室にやって来た。
「悠人君、早く来てたなら係りの仕事、手伝って」
「悪いけど無理。余裕ねぇし」
は〜、ダメ元で言ってみたけど、やっぱりダメだった。
一人で出来なくはないけど、それじゃあ悠人君だけ楽してるじゃない。不公平だよ。
言ったところで聞いてくれる悠人君じゃない。
先生に相談したら告げ口したって言われちゃう。
半分諦めながら道具箱から教科書を取り出して授業の準備をしていると、悠人君が私の道具箱の中に絆創膏を入れてきた。
可愛いうさぎ柄の絆創膏に、瞬きをする。
あの悠人君がラブリーなうさちゃん絆創膏を持ってるなんて意外過ぎるよ。
「これ何?」
「その指。教科書やノートについたら取れねぇぞ」
あ、ハンカチを指に巻いてたの気づかれてたんだ。
「ありがと」
「お前、ぼーっとしてるからな。バラのトゲにやられたんだろ? 」
「なんでわかるの?」
係りの仕事に興味がない悠人君でも、花瓶の花が変わっていると気づくのかなぁ?
「あのバラはオレが持って来たんだよ。親戚の結婚式で沢山もらったから親が持って行けって」
なるほどね。
自分で持ってきたのなら、自分で花瓶に生ければ良いのに。
あ、良い事思いついちゃった。
「じゃあ、私は悠人君のバラで指を怪我したんだね〜」
「人聞きの悪い言い方はやめろよな。ドジったのは柚木だろ」
むすっとしてる悠人君に私はニタリ。
「慰謝料請求しよっかな」
「慰謝料? お前分数出来ないくせに変な言葉は知っているんだな」
「最近のマンガやアニメは進んでるの。安心してお金は請求なんてしないから」
「じゃあ何で払えって言うんだ?」
私は真面目な顔を作った。
「係りの仕事」
「は?」
「ちゃんとやってくれたら、それで良いよ」
悠人君は私の顔をまじまじ見つめると、渋々頷いてくれた。
「…………わかった」
「ホント?」
「時間がある時はやる。それで良いか?」
時間がある時は、かぁ。
まあ、一歩前進かな。
「よろしくお願いします」
放課後、教室を出ようとする悠人君をケイカちゃんが呼び止めていた。
う〜ん、悠人君早速帰っちゃうのか。
約束はどうなったのかなぁ?
「悠人君、咲歩ちゃんにばっかり係りの仕事させないで、手伝ってあげなよ」
「一人で出来るだろ。オレ急いでるんだけど」
悠人君の前に立ちはだかり、両手を広げてとうせんぼのポーズのケイカちゃん。
悠人君がムッとしながらケイカちゃんの脇を通り過ぎようとすると、ケイカちゃんも同じ方角に素早く移動する。
「今日はそんなに仕事ないから一人で大丈夫だよ」
私が慌てて二人に駆け寄ると、悠人君は不機嫌そうな顔で言い捨てた。
「やれば良いんだろ!」
ロッカーの上の花瓶に手をやった悠人君に私は慌てて声をかけた。
「待って、悠人君。花瓶の水は朝変えたよ」
「今変えとけば、明日の朝やらなくて済むだろ」
ええっ! そういうものなの?
悠人君がロッカーの上に置いてある花瓶を取ろうとした時、花瓶がグラリと傾いた。