弱虫勇者の日常2
まだ空が白み始めたばかりの頃、勇は空腹で目が覚めた。
落ち葉と枯れ枝だけで作った簡易テントであり簡易寝具であったものはバラバラに崩れた。
もはや必要ではなかったので、さして問題にならない。
勇は大きく伸びをし、小川で顔を洗って、食料を求めて歩き始めた。
朝の食事は野草にしようと思う。
無論、その前にウサギにでもあったら話は別だが。
小川の淵を探しながら歩いていると、少し旬から遅れたのかフキノトウが出ていた。
群生となっていたそれを二三残して収穫した。
他にも春の野草がそこら中にあり、苦労せずとも十分な食料を得ることができた。
取った野草はよく洗い、生のまま齧った。
苦みがあり、正直おいしくなかったが、調理する方法がないので仕方がない。
少しだけ、家に荷物を取りに帰らなかったことを後悔した。
鍋もない。ライターもない。着火剤として新聞紙もない。
一体、どうすればいいのか。
鍋がないから、火を使って煮ることもできないし、ライターがないから火も起こせない。
出発したときは、石でもぶつけ合ったらきっと大丈夫等と思っていたが、どうやら無理な様だった。
落ち葉は湿っているし着火剤もない。どうしようもなかった。
生肉だろうと食べる決意を固めた。
寄生虫だろうとしっかり噛めば大丈夫かもしれない。
食中毒も取れたての肉ならば大丈夫かもしれない。
きっと大丈夫だ。
テントも昨日と同じ方法を取ればよいのだ。
そうと決めたからには、獲物を求めて勇は立ち上がった。
今日は出来る限り、見つけた小川を遡っていくつもりだった。
ごつごつとした岩が多い中を歩く。
何度も深山に入った事はあるけれど、ここには一度も来たことがない。
この小川はいったいどうなるのだろうか?
それさえも分からなかった。この山の中にはいくつも小さな池や堤があるのでどれかに繋がっているのかもしれない。
ポチャッと魚が跳ねる音がした。なんの魚だろう?イワナだろうか?
少し風も吹いていた。
まだ低い草たちががさがさと泣いていた。
「とうっ!!」
明らかに人の声が聞こえた。女の子の高い声である。
そして直後に水の中を誰かが駆けているかのような、バシャバシャという音。
複数のその音に僕は猛烈な不安感を引き立てられた。
勇は駆けだした。いくつも転がる岩を飛び越え、跳ねて、たまに転び、それでも駆けた。
平地の川とは違うので、川の先はよく見えない。
先ほどの声の主も分からない。それでも、こんなところに女の子が遊びに来ているとは思えない。
だから、走った。凄く不安だったから。
水辺で一人の少女が鬼どもに囲まれているのを見た。
鬼は6頭。体長が3メートルに及ぶ鬼たちはオーガである。
一頭のオーガともう一回り小さい鬼たちは、少女を追い詰めていた。
それを見て僕は硬直した。体が動かなくなった。
耳は今の周りの音ではなく、3年前の音を拾ってくる。
聞こえるのは悲鳴と何かが壊れる音。
情けない思い出。それに縛られたかのように、体が動かない。
少女は奮戦していた。
それを見ることはできた。耳のように3年前に戻ってはいなかった。
少女は己から鬼どもに突っ込んだ。手に光るのは薙刀。しかし、このような木々が密集している奥山では取り回しが難しいだろう。
彼女は賢明な戦士だった。
反対に、勇は臆病な戦士だ。
肩から袈裟切りに行こうという形で虚の動作をして見せた。
そこでオーガの一頭はそれを防ぐために獲物ーオーガ達は大きな棍棒を持っていたーで防ごうとした。
もしも、彼女が持っていたのが薙刀ではなく短刀であったなら、オーガは防ぐのではなく、迎撃に出たであろう。
しかし、彼女が持っていたのは薙刀で棍棒よりも間合いが広かった。
少女は袈裟切りにいく動作から下半身をより深く沈ませることでオーガの太ももを深く切り裂いた。
その後彼女はすぐさま距離をとった。
オーガどもが彼女に迫っていた。
全力で降ってくる棍棒を二歩下がって空振りさせ、薙刀を突く。
彼女は6頭のオーガとも渡り合える戦士だった。
少しづつ彼女は押されていた。
勇はまだ動けないでいた。
ああ、彼女はついに、オーガの一撃を避けそこなってかろうじて、薙刀の柄で受け止めた。
大きく吹き飛ばされた彼女は、勇の6メートル手前で突っ伏している。
薙刀は無残に折れていた。
体を起こそうと身動きしているので生きているようだ。
しかし、このままでは彼女は、いや勇も死ぬだろう。
逃げれば生き残れるかもしれないが、それは戦士としてあってはならない。
臆病な戦士だということは、勇自身が一番分かっていた。
それでも、勇は戦士としての義務感は持ち合わせていた。
勇は震えを止めるため、丹田に気を集中させた。
そして、足よ前に出ろと命じた。
ゆっくり、体は動いてくれた。一歩歩くたびに、崩れ落ちそうになる。
勇は彼女の横で立ち止まった。
ゆっくり警戒しながら歩いてきたオーガ達は彼に視線を集中させた。
未だに震えの止まらない勇は、叫んだ。
腹の底から叫んだ。お前たちの敵は勇であり、お前たち等より勇は強いのだという気持ちを込めて。
そう。勇はもう逃げないのだ。そう決心したのだ。
体の震えは止まった。3年前の幻聴も。
クリアな頭。冷静な心。僕は真っすぐ6頭のオーガ達を睨み付けた。
間違いない。勇のほうが強い。
最初に突っ込んだのは勇だった。
直線的にフェイントも入れず速さだけで突っ込んだ。
オーガは棍棒を振り下ろしてくるがそれを左前方に躱した。
そのとき短刀だけは腕を伸ばして元いた場に残した。
短刀はオーガの右手の手首を切り落とした。
絶叫するオーガ。
短刀を半円を描くように胸元に引き寄せ、そのまま短刀を胸に突き刺す。
溢れ出る血。手首と胸から大量の血を流してオーガは絶命した。
近づく気配。それを察した。
勇は短刀を引き抜くのを諦め、後ろに跳んだ。
棍棒が降り落とされ、地面に大きくめり込む。間髪入れずに勇は刀を引き抜きながらオーガに突っ込む。
オーガは棍棒を振りかぶろうとしたが、間に合わなかった。
オーガの首を切り落とした。
残りの四体は逃げ出した。
震えが戻ってきた。その為、オーガどもを追うことができなかった。
戦士の家に生まれ育った者として朝廷に仇名す仇敵は排除するのが義務であったのに。
悔しさから呼吸が乱れた。浅い呼吸をしていると体に力が入らなくなってきた。
屈み込んで、落ち着くのを待つ。そうしていると、後方に倒れ込んでいた少女が立ち上がってこちらに歩いてきた。
「助かりました。危ないところをどうもありがとうございました」
少女は礼儀正しく頭を下げてきた。体中が傷だらけで痛々しかった。
「いえ、お気になさらず。人が苦しんでいるのを見ればどのような悪人だって助けに入るとも言います。相手が鬼だったのです。戦士として当然のこと」
気力を振り絞って格好良く返答した。
まだ、立ち上がれなかったが、声だけは震えないようにと努めた。
勇が立ち上がれるまで回復したころ、僕らはお互いに自己紹介をした。
「僕は勇。今は修行でこの深山に入っていました。あなたが、何故このような場所にオーガがいたのか知っていらっしゃるのならば、教えていただきたい」
彼女は張り詰めた顔をしていた。勇は少し嫌な予感とわずかな高揚感を持った。
なにか大きなことが始まったのかもしれない。
「私の名前は三森 守。第三国境警護隊の副隊長三森 雄大の娘。今回のことは本当に感謝いたします。しかし、今回のことはどうかお忘れになって頂きたい。我が家の名誉と国家の防衛に関しますゆえに」
「それは構いません。そちらにも事情がありましょう」
僕は少しがっかりしながら、返答した。
もしかしたら、今回のことで汚名を少しばかりは返上できるのではないかと考えていた。
しかし、どうやらそれは難しいようだった。
「ならば、最後に一つだけ。あなたは、あの生き残ったオーガどもを一人で追いかける御つもりですか」
「勿論です」
彼女は決意溢れた顔でそう言った。