弱虫の回想
勇、優しい子になってね。そう言って笑ってくれたあの人は今の僕を見て、何というだろうか?
優しい人間になれた、そうは思えなかった。
意気地のない、芯のない人間になってしまったように思う。
学校からの帰り道、僕はそんなことを考えながら下を向いて歩いていた。
昔はよかった。友達もたくさんいた。
仲良くしてくれた子もたくさんいた。
今はどうだろうか?
昔から大嫌いだった修練と学校を行き来し、学友たちからは、馬鹿にされ軽んじられている。
そして、それを致し方ない等と思っている自分がいることにも腹が立った。
自分には味方がいないし、それも自業自得だと僕は認めたくなかった。
勇は歩いた。暗くなり始めたこの道を、少しだけ速足で。
嫌な考えから逃避したかったのもあるが、6時までには帰って修練を行わなければならなかった。
鍛えられた足は10キロの道のりを30分で歩くことができた。
凄まじい苦行に耐えて、身に着いた力を発揮できるのがこの学校の行き返りで、帰ったところでまた修練かと思うと嫌になってしまう。
嫌なことを考えたくないと、そう思うものの、この3年間ずっと抜け出せなかった思考の渦に勇は巻き込まれていった。
三年前のあの日、勇は13歳だった。初等教育の最高学年であり、勇は自分こそが一等強いと思っていた。
他の者が娯楽に耽っていた時間を全て己の鍛錬に費やし、わが身に勝てる者などいないなどと思っていた。
その上、勇はそれを鼻にかけ自慢していた。情けのないことに。
他種族からの侵攻より、一応の平穏を得ている近代において己一人の強さなどさして評価には反映されない。
勇はそれが嫌だった。歯痒かった。
我こそが学校で一等評価されるべきなのに、勇の評価は常に普通であった。だから、勇は自慢して回っていた。
武芸者としてそのような事あってはならないことなのに、勇は自分の腕を吹聴していた。
そんなある日の事。彼のクラスは遠足に行くこととなった。
元々、国の首都からは遠く離れた町であり、山しかないようなところに住んでいた僕らの学友たちであったけれど、これからの人生の参考にということで国境の境界の防人の仕事を見学するとになった。
それまでは、町へ遊びに行くという遠足が普通であったけれど教育ママがいたらしい。
生徒は不平不満を言いつつそれに従った。
それにしても、何故わざわざ防人の見学だったのかは今でも分からない。
もっと、華やかな職業を見たかったものである。今更だけれども。
そうして、彼らは国境付近まで無防備にも行ったのだ。
48名の13歳の子供と引率の教員たったの4名で。
そこで、勇は現実に引き戻された。
思い出したくなかったのだ。
自分から考え出して、考えたくなくても考えてしまうのに、其処からは思い出したくなかったのだ。
なんて、情けないのだろうと思った。そして、もう考えたくないと思った。
例え、どれだけ反省したとして一体誰が勇を許してくれるだろう?
もう過去には戻れないのだから、未来を見据えて前向きに生きていくしかないだろう?
しかし、勇にはそれができなかった。前を向くことができない。
過去にしか目が向けられない。情けがない・・・・。
そう思いながら、歩いた。
早く修練がしたいと思った。その間だけは他のことを考えられないから。
逃げかもしれないが、そうしなければ生きて行けそうになかった。
家に着くと周りは真っ暗だった。
門下生もほぼ全員が去り、新たな入門者もいない。
今は先祖伝来の土地を貸した収益で生活をしているが、それさえもお前たちには金を払う義理はない等といって払うのを渋る者もいた。
物悲しい気持ちになり、鞄を部屋におくために家に上がった。
母は家計の足しにするために、近所の生糸工場に行っていてまだ戻っていなかった。
勇はそれに対しても申し訳ない気持ちになった。
ここ三年間、ずっと感じてきた申し訳ないという罪悪感である。
勇は、制服から胴着に着替えて道場へと向かった。
苦しいことは修練していれば忘れることができた。
本当は学校もこの修練もやめて働きに出たいところだけれど、父も母もそのような事は望んでいないことは知っていた。
だから、勇は忘れるために修練に打ち込む。
父母に対しての恩返しだとか、そういう事ではなかった。
一生懸命なにかに打ち込んでいないと、自分が耐えられなくなることはもう分かっていた。
毎日の雑巾がけや掃除が行き届いた道場には勇唯一人だけだった。
嘗てはここに毎日30人以上の武芸者が集まり技を磨いていた。
しかし、今や彼一人。
それでも、勇は毎日修練をする。
素振りや藁でできたサンドバックに打ち込み、型の稽古。
独りでできることなんて限られているけれど、勇は何度も稽古を行う。
状況を設定し、それにどう対処するか。
常に考え、より良き方を選択する。
筋力の鍛錬は好きだ。一人でできることが多いから。
ダンベルを持ちあげ、またはスクワットをし俵を抱え走り、勇は己の限界まで耐えた。
しかし、やはり虚しさが心の中に巣くっていた。
そんなこと、考える資格が自分にはないということくらい知っているのに、勇は寂しいなどと感じ始めていた。