合言葉と俺。「にゃん」は不思議な言葉にゃん
昨日は謝ったり謝られたり。俺の保護者としてのスキルが試された日だったけれど、能天気な幼児たちには無問題。昨日の事は昨日の事なのです。一晩寝たら忘れました、という顔をして手をつないで起きてきた。
ヨクトとヘレの間にあったはずの微妙な距離感──というか、遠慮がなくなって、この数日で一番の仲良しさんである。
雨降って地固まるとはまさしくこのこと。
俺は、そんな元気いっぱいの幼児達がホワイトボードにお絵かきをしているのを、少し離れたところで見守っていた。
コインで買ったホワイトボードは、十二色のマーカーとクリーナーがついているスグレモノである。元々は会議用の大きなサイズだった。
そのままでは、幼児の身長では届かないから、横についていた留め金を外してボードを床に敷いてみたDIY作品である。
すぐに幼児達がボードに群がってくる。めずらしいことにメアもその中に混ざっていて、にぎりしめたマーカーを思い思いに走らせていた。
ちなみに、ヨクトが青色、ナユタが黒色、ヘレが赤色、メアが緑色を選んでいる。シロに渡した茶色のマーカーは、猫じゃらし的に遊ばれて、近くの茂みにポイされてしまった。
蹴り捨てられた茶マーカーを回収して、少し離れたところに座っていると、ゴロゴロを喉を鳴らしながらシロが近寄ってきた。
「なんだ、座るか?」
いつもなら幼児達とじゃれているのに、さすがに今日はおいてきぼりのようだ。
まあ、お絵かきに混ざって、白い毛にいたずらされるのは勘弁、ということだろうな。色とりどりになったシロを見るのは、俺も勘弁してほしい。
水性マーカーでも、シミ抜きは微妙にめんどくさいのだ。
よいしょ、とオヤジくさい掛け声とともにあぐらを組むと、脚の間にのっそりとシロが乗り込んで丸くなった。
それにしても、このゴロゴロ言っている白い毛皮は、本当にライオンなのだろうか。超不安だ。
実はライオンにそっくりな、ただの猫だったりしないだろうか。
疑問に思いながらもふかふかの毛にそって指を這わすと、喉の音が強くなった。シロの弱点は、耳の後ろと頬から首回りにかけてである。
ここを毛並みにそって撫でてやると、そりゃぁゴロゴロ言う。されるがままに首を上げたら次のステージである。
顎の下から首に向かって、ちょっと強めに親指と人差し指でのマッサージ。シロはフニャーと鳴くと、体を倒して脚の間で伸びてしまった。
マジで大丈夫か。野生はどこにいった?
だがしかし、期待には答えねばなるまい。
こっそりスマホで写真を撮る。こんな可愛いペットの写真を撮らないなんて、あるはずがない。待ちうけにしてもいいなぁ。
べろーんと伸びているシロと、スマホ片手にシロを撫でる俺。
シロのベストショットが十枚ほどたまった頃、幼児達が声をあげた。
「できたー」
「ぱぱー」
「できたよ、みて」
ほうほう。
どうやらお絵かきは終了したようである。喧嘩もなくなによりだ。
カメラを終了させたスマホをしまうと、シロを抱えて立ちあがった。目を輝かせて俺を待っている四人のところに向かう。
さて、お子様達はどんな絵をかいたのだろうか。
どうせ幼児の落書き。丸く書きなぐった似顔絵だろうけれど、もしかしたら俺やシロもいるかもしれない。
わくわくしながらボードを覗き込んだ俺は、思いもかけないものを見て驚きを隠せなかった。
それは数字だった。
しかも意味のわからないアルファベットがくみこまれている。
なんだこれ? と首をかしげるほかない──しかし、規則性のある配列はどこかで見たことがあった。
俺は、これに似た式をどこかで見たことがある?
「す、すごいね。よく書けたね」
動揺を隠しながらも一応褒めておく。俺は褒めて伸ばすタイプだ。
「えへー」
「ほめて」
「にゃーん」
シロも四人を褒めるように鳴いている。
すごいすごいと笑顔の幼児達を褒めていると、「ぱぱ、よんで」とご指定がかかった。
「よむ? これを?」
「そう。えっと……」
「えむ、えーひゅ、えくす」
「ぷにゃん、うにゃん……にゃー」
「えぴえくしゃす……」
幼児の拙い声では、コレを読むのは難しそうだ。
それでも一生懸命に声に出そうとしているのが分かって、微笑ましくなる。
「Mfx?」
最初の単語を読むと、子供達はキラキラした目で俺を見上げてきた。
なんか、まぶしい。
ごめんな、ただの大人で。中学卒業していれば、これを読むくらいはアサメシマエなんだよ。
腕に違和感があると思ったら、なんとシロまでが体をひねって俺を見上げていた。すっごい体が柔らかいのな。さすが猫だ。
「ぜんぶ!」
「ぱぱ、ぜんぶいって」
これを全部読むわけですか。
とはいえ、いくつかどう読んだらいいかわからない記号が混ざってるな。
「"()"は何て読むんだ?」
「ないない」
「ないの」
ふむ、カッコとカッコとじは読まないと。
「","は?」
「こんまー」
フム。
そうするならば。
「えむえふえっくすいこーるえふあいえふよんこんまいちこんまいちこんまぜろこんまに、かな?」
「へたっぴー」
「うわぁ……」
「ぱぱ、ざんねん」
「もっかい」
"Mfx"も言えないお子様にリテイクくらったよ、ちくせう。
「Mfx=fif4,1,1,0,2」
「おしい」
「だめー」
「パパ、へた」
惜しいってなんだよ。シロまで前足で腕をポンポンしてくる。なぐさめられてるのか、ダメだしされてるのか……かわいいから許す。
「はいはい。えっと──Mf(x)=Fif(4,1,1,0,2)」
パン、と目の前に火が生まれた。
は?
「できた!」
「とうろくー」
「ぱぱ、いそいで」
「パパ──」
四人が何か言っているが、よく理解できない。
何これ。
火──え、火なのか?
そこに火があったのは、ほんの数秒ほどだった。
茫然としている俺の前で、火は小さくなり、あとかたもなく消えていった。
「夢、だもんな。うん。夢の世界だもんな。何でもアリだよな」
「ぱぱー、もっかい」
「もっちゃい」
「にゃうん」
「……ああ、もう一度、な」
もう一度──そう、もう一度試して、あれが本物かどうか確かめてみよう。
もしかしたら、睡眠不足の頭がみせた幻かもしれない。
全く眠くならないうえに、ココが夢の世界だっていうツッコミはなしでな。
「Mf(x)=Fif(4,1,1,0,2)」
「"="」
「にゃん」
やっぱり火が生れた。
消える前に急いで手をかざすと、ほのかに温かい。
なんということだ、本気で本物の"火"じゃないか。
がっくりする俺の前で、子供達は喜び回っていた。
なんだ、どうしたんだ?
すう、とヨクトが息を吸った。
「にゃん!」
何をしているんだ?
シロのマネか?
かわいこぶってるのか?
「にゃん」
続いたヘレの言葉に、小さな火が生れて消えていった。キャーと喜びの声を上げたヘレは、俺の足に飛びついてきたけど。
え? 何これ。どういうこと。
「にゃん」
「にゃん」
メアとナユタも目の前に火を生み出す。二人は「やった」と声をあげて手を取り合って喜んでいる。
失敗したヨクトは、恨めしげな顔でメアとヘレを交互に睨んでいた。
「にゃん」
流れに乗ってシロも鳴く。って、これは試していたのだろうか? 当然のように何も起こらないわけで。
「にゃん?」
俺の呟きが、最後に小さな火を生みだして、消えた。