「手」
何とも怖い夢を見た。
目が覚めている今ですら夢のような気がしてならない。
このまま放置していると、夢が現実を侵しに来るのではないか。
そんな不安ばかりが脳裏を過ぎるのだ。
だからせめて文字に起こすことで形を与えようと思う。
気がつくと何故か私は受験生で、何かの塾の模試を受けていた。
何故か私が時計を見つめていると、徐に試験官が立ち上がってプリントを配り始めた。
「これから君達には問題を解いてもらう。1番点数が低かった人には後日ツ○ヤでCDを皆の分借りてきてもらう」
この時点で意味不明なのだが、配られてきた問題というのが更に訳が分からない。
~~の話のendを答えよ。
というような問題が並んでいて、よく覚えていないが最後の2問だけ毛色が違ったように思う。
そうして何時の間にか用意されてたパソコンに回答を入力していった。
丁度私が最後の問題に回答している時だった。
また唐突に試験官が声を上げた。
「そうか。どうやら君がこの中では最も普通なようだ」
見ればおどおどした純朴そうな女の子が突然声をかけられて慌てていた。
その子が「はい」とも「いいえ」とも返せないのを見ながら、私は最後の文字を入力し終えて、Enter。
すると画面に宝箱が表示された。
まさに金銀財宝ざっくざくといった様相だった。
何とも言えない違和感を覚えた。
その違和感に関心を向けたのと、試験官が独白しだしたのは同時だった。
「じゃあそれ以外――」
それから何と言ったかは覚えていない。
なぜなら、今まさに目の前で、目の前のパソコンから「手」が伸びてきて、一息に私を頭から叩き潰したからだ。
私は肉塊と化したぴゅうぴゅうと血を噴き出す自身の体を見て(何故かいつも通りの視点で見ることができた)、ただ「良かった」と内心で呟いた。
あの試験官の形をした何かに脅かされ続けるくらいなら、私は安穏たる死を望もう。
既に見えなくなった目で1人残されたであろう純朴な少女に憐憫の目を向けてから、何故か潰されなかった「手」を使ってピースサインをあの怪物にくれてやった。
それどころではないと理解していたが、無性に腹が立って仕方がなかったのだ。
直ぐに体の上を高速の物体が通り過ぎた感覚がして、手を潰されたのだと認めてから、私は眠るような無意識に溶けていった。
思えばこの時に起きていれば良かった。
それを「まだ1時間は眠れる」と己の意地汚さを露呈したばかりにあの悪夢は成ったのだ。
先の恐怖は夢から覚めても去ってはくれず、私は薄目を開けて部屋の中を見回した。
もしもあの怪物が夢現の境界を乗り越えなおも私に会いに来るようなら、直ぐにでも意識を手放す心算だった。
しかし幸いにも部屋は無人だった。
「助かったか?」なんて考えないぞ。
そうやって安心した隙に脅かして来るのだろう。
ああ、私はまだ気を抜かないぞ。
云々。
私には何より避けるべき最悪事こそ、そうして布団から動けずにいることだと理解できていなかった。
ふと瞬きをした。
途端に世界が入れ替わり、部屋も全く違う部屋になる。
今から考えればあまりの異常事態に腰を抜かしそうなものだが、その時の私には何の異変も感じられなかった。
ただ違和感があった。
窓を見る。
カーテンの隙間から暗い灰色の光が漏れていた。
悪夢のせいで夜中に目を覚ましてしまったのかと納得し、そして気づいた。
それにしては部屋の中が赤くはないだろうか、と。
それはそれは燃えるような赤色だった。
と言っても部屋が赤かったのではない。
部屋を赤い光線が染め抜いていたのだ。
出所を探るように目で光線を辿る。
視線の先が床、ベッド、壁を這うように進む。
そこには窓があった。
部屋には無いはずの窓があった。
カーテンの隙間からは夕焼けの空が見える。
えも言われぬ、形容できない違和感の奔流。
外は月夜ではなかったか。
意識とは無関係にぞくぞくと何かが背筋を這い上がってくる。
全身に鳥肌が立つのを感じる。
私は堪らずベッドから起き上がろうとするが、体がぴくりとも動かなかった。
両方の手のひらに何かが触れるのを感じる。
いや、違った。
手はずっと触れていたのだ。
ただ気がつかなったに過ぎない。
脳が理解できない状況を処理しようと右手と左手が絡まっているのだと奇天烈な結論を出す。
そうではなかった。
自分の腕は確かに体の両隣にあるにも関わらず、右手は「手」に握りしめられ、左手も「手」に握りしめられていた。
感覚で分かった。
手のひらから肩までの腕全体を、夥しい「手」が掴んでいた。
意識が途切れる。
目が覚めると今度こそ自分の部屋だった。
安心してほっと息を吐く。
全身が脱力して、意識が微睡み始める。
私もこの頃には流石に「まだ眠れる」などとは考えなくなっていた。
仕方ない、起きるか。
そう思い立ち上がった。
体が動かなかった。
見れば「手」があった。
左右の手に1本ずつだった気もするし、無数にあった気もする。
私は最早気が触れていたに違いない。
指先に乾坤一擲の力を込めて、ただただ無心に掻きむしった。
私が掻きむしると同時に「手」も私を掻きむしってきた。
綺麗に整えられた爪の先が手のひらの皮を突き破り、肉を割って骨を削る感覚。
私が痛ければ痛いほど、相手も同じだけ痛いはずだ。
がりがり。にゅるにゅる。がりがり。にゅるにゅる。がりがり。にゅるにゅる。
がりがり。じゅくじゅく。がりがり。じゅくじゅく。がりがり。じゅくじゅく。
掻き混ぜる音だけが嫌に煩かった。
目が覚める。
どうやら意識を失っていたらしい。
今度は即座に立ち上がった。
立てた。歩けた。
ようやく悪夢から抜け出せたらしい。
私は先程までの恐怖を何とかして和らげようとして、スマホを取った。
メモを呼び出し、文字を打ち込む。
しかし、いつから私は
キーボードを叩いていた?
画面が白と黒の文字列からカラフルな宝箱に変化する。
それはまさに金銀財宝ざっくざくといった様相だった。
今回は省略しましたが、実は覚えているだけでもあと3回は「夢オチ」を繰り返しました。
年を取ってからの「怖い夢」というのは、子どもの頃に見たびっくり系や雰囲気怖い系などとは一線を画すもののような気がします。
やはり知識や知能こそが「怖いもの」を生み出しているのかもしれませんね。