31 マイアの策謀
「お母様、聞いてください! サクったら今日の稽古も逃げてばっかりで、ぜんぜん男らしくないんです!」
七月に入り日差しもきつくなり始めた頃、午後の稽古を終えて、風呂場で汗を流したミラベルは、マイアの顔を見るなり開口一発そんな事を言ってくる。
「はいはい、サクちゃんが気になるのは分かるけど。髪の毛をしっかり拭かないと、風をひいてしまいますよ」
「気になってませんっ! ただ、もっとこう、せいせい堂々というか、男らしくないの!」
申し訳無さそうな顔の侍女から綿布を受け取り、ミラベルの髪を拭き始めたマイアに、顔を上気させた、愛娘が可愛らしく反論してくる。
(あらあら、これは決まりかしら)
マイアとしては、最近娘の口からよくサクの名前が出てくるので、気になってはいたが、この反応からしたら当たってるかもしれない。 ミラベル自身に自覚は無いかもしれないけれど、初恋と言う物は往々(おうおう)にしてそういう物だ。
ミラベルの周りにこれまで、同世代の男の子がいなかったわけでは無いが、ほとんどがイベール家に仕える者の子供で、扱い的には女の子と言うよりは、仕える家のお嬢様といった感じになっている。 三年前、王都近郊からこの国境の地に転封されて以来、付き合いは狭まり、更にその兆候はましていた。
家臣の息子の中に、ミラベルの事を憎からず思っている子も居ないとは限らないが、マイアが見ているかぎり、分を弁えた接し方をしている者しかいなかった。 何よりミラベルがどの子供よりも剣が強かったのが、いけなかったのかもしれない。 今では家臣の息子達を纏める、立派なガキ大将になっている。 年齢のせいも有るだろうが、どう見ても男友達の範疇なのだ。
幼い頃よりタルラに憧れ、今の夢は「タルラお姉さまと同じ魔法騎士になること」と言って、はばから無いのだから、当然の結果かもしれない。 昔からタルラを知っているマイアにしてみれば、まさか自分の娘がああなるとは思いもしなかったが、この先、女性としての娘の生来に些かの不安を覚えてしまう。
だが、サクという少年は、ミラベルを女の子として扱っている節が在る。
剣の稽古にしても、反撃せず、ミラベルが転びそうになれば手を差し伸べ、力任せな攻防は一切していない。 ミラベルのわがままにも、なんだかんだで付き合っているところもあり、一歩離れて見守っているような雰囲気を感じたりもしていた。
それでいて、身分に遠慮しているかと言えば、そうでも無さそうで、居間のソファーでミラベルやモーリスの隣に、平気な顔をして座っていたりする。
身分や作法に煩い中央ならともかく、この辺境ではそのような些事にはこだわらない上、イベール子爵家も武門の家で、その辺りはわりかし鷹揚だったりもする。 ましてや現状タルラが保護しているとは言え、お客様として遇しているのだから尚更であった。
むしろ、女の子として扱われることに慣れていないミラベルの方が、対応に戸惑っているのでは無いだろうかとマイアは思っている。
(見た目は最上級。 剣の腕は将来有望。 ボナホートの家とも繋がりがある…。 案外優良物件? 旦那様に一度話してみようかしら?)
このまま行けば、イベールの家はモーリスが継ぐ事になるだろう。 貴族として考えたら、ミラベルも何処か有力な家へ嫁にやるのが好ましいが、開墾を始めて未だ日の浅い現状では、人手不足なのも否めない。 出来る事なら、分家として姉弟で協力し合って発展を目指してくれた方が効率もいいのだ。
だが、立場の低い子爵家の更に分家ともなると、婿の来ても限られてくる。 その上で中央とのコネまで期待できる者となると、殆ど居ないであろう。
サクがこの先どういう扱いになるかは分からないが、今から後見の一人になって、ボナホート家に養子縁組してから、婿に来てもらう事ができれば、御の字では無いだろうか。
いまだにサクの悪口をいい続ける娘の髪を拭きながら、マイアはおっとりと計算高いことを考えていた。 それに、少しでも娘の背中を押したくなるのが親心と言う物だ。
「はい、もう乾いたわよ」
「ありがとう。 お母様」
「次はダンスの稽古だったかしら? あなたも来年は王都に行くのだから、女性らしい事も覚えないとね」
ダンスと聞いて嫌な顔をする娘に、マイアは諭すような口調で良い含める。
「わ、私は魔法騎士に成る為に学園へ行くのです。 ダンスなんか踊れなくても騎士になるのに問題は有りません」
「そうかしら? タルラもダンスは踊れたはずよ?」
「うっ…」
タルラの腕前についてはなんとか踊れると言った程度だが、今のミラベルから見たら、一曲と通して踊れるだけでも十分尊敬に当たる。
「あ、そうそう、どうせならサクちゃんもダンスに誘ってみたら? 剣じゃ勝てなくてもダンスなら、あなたの方が上手かもしれないわ?」
「サクに剣でだって負けてないわよ!」
言葉尻に噛み付いてくるミラベルだが、サクを誘わないとは言わなかった。
(さてさて、どうなることかしら)
マイアはこれからが楽しみと、肩を怒らせて部屋を出て行く娘の背中を見送るのだった。
**********
日も暮れて、朔が夕食に呼ばれ食堂に顔を出すと、既にみんなが揃っていた。
今食卓に着いているのは、砦から臨時の代官が派遣され、ようやく領地に戻ってこれたイベール子爵とその家族、タルラにトーレスとナムル、それ以外にもチェミー、タットン、ツゥエルも同席している。 三人共冒険者ではあるが、城にいる間はタルラの連れのお客様として食事を共にしている。
タルラとトーレスは城から出ることは無かったが、ナムルとタットン、ツゥエルは保護した遊牧民を家族の元へ送り届けに、しばしば城を空けていることが多かったが今日は帰ってきたらしい。
「おそくて ごめんなさい」
ここ数日の勉強の成果で、朔は片言なら話も出来るようになった。 喋る方はいまだ苦労しているが、聞くだけなら何とかなるといったスタンスで、それなりに会話をしても不自然ではなくなって来ている。
本来なら、たった数日でここまで話せるようにはならないのだろうが、悪魔に弄られた身体と、悪魔の同時通訳が功を奏しているのかもしれない。
夕食のメニューは定番のパンに豚肉と野菜のスープ、鳥の丸焼きと、焼き魚で、ほぼ毎日同じ内容だった。
いつもなら、剣の鍛錬の後はメイドさんと文字の勉強をしてい居るのだが、何故か今日に限っては、ミラベルからダンスのレッスンに誘われ、馴れない動きに四苦八苦させられた。 ダンスのレッスン中ミラベルは終始ご機嫌で「あ、サク間違えた!」とか、笑って言ってくる。
最初は身体を寄せ合いワルツを踊るダンスに、どこか気恥ずかしさもあったが、ミラベルも楽しそうだし、貴重な経験と、そのまま楽しむ事にしたのだ。
夕食もひと段落し、食後のお茶でも楽しもうかという頃合になって、イベール子爵夫婦がどこか落着かない。
「あー、タルラ殿。 サク君の事なのだが、この先はどうするおつもりかな?」
夫婦の様子をいぶかしんでいた所、マイアに肘でせっつかれたイベール子爵が嫌々といった感じで口を開いた。 口調もいつものざっくばらんな感じでなくどこか余所余所しい。 朔としても自分の事らしいので黙って聞き耳を立てている。
「王都に連れて行くつもりですが、何かありましたか?」
「そうか、王都に連れて行くのか、そうかそうか」
「あなた、それではサクちゃんを追い出そうしているようにも聞こえますわ。 それに肝心な話が全く進んでいませんでしょ?」
嫌に歯切れの悪い子爵の後をついで、夫人のマイアが話を切り出す。
「それで、王都に言ってからはどうなさるです?」
「出来れば、ボナホート家で面倒を見たいと思っています。 安心して帰れる場所を見つけるか、それが駄目でも独り立ちできるくらいまでは、責任を持って預かるつもです」
「そう、学園にはお入れにならないのです?」
「本人が望めば入れたいとは思いますが、剣も今から仕込んで間に合うかどうか、魔術に関しては、言葉を覚えてからでないと、教える事も難しいので何とも言えません。 可能性があるのなら一年待ってでも入れるべきでしょうね」
「タルラ がくえんって なに?」
ミラベルやタルラからたまに聞く”学園”。 元の世界の感覚すれば名門の学校であろうことは想像できるが、何を教える所なのかは分からないので、朔は一応聞いてみることにした。
「ん? 学園と言うのは、王都にある王立魔道学園の事だ。 近隣国も含めて最も古く権威のある一番の学校だよ。 魔道学園とは言っているが、元々は魔王の軍と戦える者の育成を目的に創立されたから、剣や槍等の武芸も一流の人材が教師を務めているんだ。 私の所属する魔法騎士団も、ほとんどが学園の卒業生で構成されている位に、凄いんだ。 もちろん私もそこの卒業生だぞ」
とても権威ある学校の卒業生とは思えない、感情的な説明をしてくるタルラの横で、ミラベルもうんうんと頷いている。
「へ~ すごいんだ」
魔法騎士団に入る気は無い朔にとってはその辺りは微妙だが、剣と魔術を教えてくれるのは願っても無い事だ。 一度入学を考えてもいいかもしれない。
「そうよ! サクなんかと違って、タルラお姉さまは凄いのよ! 私だって来年は学園に入るんだから!」
「みらべるも すごいんだね」
鼻息荒くまくし立ててくるミラベルへ、朔も素直感心してみせる。
「サク! そこは「じゃぁ、僕も!」って、言う所でしょ!? サクのそんな所がイライラするのよ!」
「ミラベル。 サクちゃんは今日始めて学園の話を聞いたばかりなんだから、決められないのは仕方ないわ。 でもね、サクちゃん。 この街から学園に入れそうなのは、ミラベルだけなの、だから学園で一人ぼっちにならないように、サクちゃんも一緒に入ってくれたら安心かな?と思って」
「う、うむ、そうだぞサク。 女の子を一人で寂しい思いをさせるのは、男としてはやってはいけないことだな」
考えるそぶりを見せる朔に、マイアが諭すように説得をはじめ、褒められた上に「お姉さま」と呼ばれ、まんざらでも無い顔をしていたタルラも、そこに加わり始めた。
「か、かんがえとく…」
断りづらい周囲の雰囲気に、この場を無難に乗り切ろうとした朔は、とりあえず明言を避けて応えた。
「そうか、そうと決まれば、明日から剣と言葉の特訓だな!」
「え? (なんでそうなる!?)」
だがタルラの間髪入れない返しに、朔は困惑しながらその顔を見返してしまう。
「サク、なぜそんな顔をする? 悩んでいる間でも訓練は欠かさない、当然のこだろ? そうすれば、学園に入りたいと決めた時に、「あの時悩んでる暇があったら鍛えて置けばよかった」と後悔もするまい。 明日からサクとミラベルの稽古には私とトーレスも参加させてもらう。 チェミーも、サクに言葉と魔術を教えてやってくれ」
「はいっ! タルラお姉さま!」
なぜか、タルラの言葉に一番早く反応して嬉しそうに返事をするミラベルを横目に、面倒な事になったと頬杖をつく朔であった。
しかし、ミラベルの笑顔は翌日凍りつく事となる。 王都から正式に旧アボーテ男爵領を引き継ぐ者の通知と共に、タルラへの帰還命令が届けられたのだ。




