30 辺境での一日
アボーテ男爵が魔物に殺されてから、三日が過ぎた。
その間、特に魔物の襲撃などもなく、朔としては平穏な時間を過ごしている。
朔がタルラ達の話を盗み聞く分には、アボーテ男爵の城に現れた黒い蛇の魔物に関しては分からないが、森に現れた魔物かも知れない存在は、自分の事で間違えないだろう。 見た目がこんな子供が、十数人の首を切り落としていたら、魔物扱いされるのもいたしかない事かも知れない。
タルラが戻ってきた日には、森の中の廃村に放置してきた盗賊達を回収しに、巡回を兼ねて、兵士を送り出したようだが、盗賊達は皆死亡しており、武器も鎧も剥がされていたらしい。
(そう言えばあの日の夜、悪魔が傍に居なかったな)
朔は、イベール子爵夫妻の寝室に連れて行かれた時の事を思い出し、悪魔に目を向けると、どこで覚えたのか、それとも脳内変換の影響か、「えっへん」と胸をはりブイサインをしてくる手の平サイズのボンテージ少女がそこに居た。 まず間違いないだろうが、何か問題があるわけでもないので、苦笑いで返しておいた。
放置された盗賊達の状態から、森に出た魔物は血の匂いに引き寄せられ、廃村に向かった後で森の奥に帰っていったのだろうと予想されたのは嬉しい誤算であり、警戒も多少緩められた。
ただ、トーレス辺りは、死体の肉が食べられていな所から、「殺すことが魔物の目的なのでは?」と、疑っているようだが、その目が朔に向けられることは恐らく無いだろうと思っている。
朔としても、この三日間何もしなかった訳では無い。 まずは言葉の勉強と思い、教えてくれそうな人を探した所、午前中ミラベルとモーリスが城の中で家庭教師に文字や計算を習っているのを発見し、しれっとその中に合流してみた。
ミラベル達も最初は戸惑った物の、あっさりと朔を受け入れてくれ、モーリスの横で文字と絵が一緒に載っている冊子を教科書に、単語や発音の練習をすることが出来た。
その勉強の中で知ったことだが、この世界は一年360日、ひと月30日で、今は6月の20日との事だ。
通貨は銅貨>大銅貨>銀貨>大銀貨>金貨>大金貨と、それぞれ10枚ごとに金額が上がる仕組みらしい。 例題にあげられた物を見ただけでは確信は持てないが、大体銅貨一枚10円の相場の様な気がする。 単位はサルバスで1サルバスが銅貨一枚、金貨は1万サルバス(=十万円くらい)となる。
長さは1セメトが1センチメートル、1メトーで1メートル、1キメトは1キロメートル。 だがこれも朔の感覚で大体それくらい、といった所だ。
午後からは武器の鍛錬の時間のようで、ついて行った朔も、剣の握り方から教えてもらっている。
『素振り、始めっ!』
『いっち! にっ! さんっ!……』
この世界と言うか、この国でも剣を扱うのに「型」は、あるようで、鍛錬は素振りから始まる。
今朔が手にしているのは木剣で、軽くて柔らかい木材から削り出された物だ。 お土産屋で売っている鞘付きの白木の刀を剣に代えたたようなものだった。 殆ど重さを感じないくらいに薄くて軽い。
それでも、剣の握りや振り、型を覚えるのには丁度よく、子供が振り回しても関節への負担は殆んど無いであろう。
だが、この薄くて軽い木剣は以外に侮れないものがあった。 軽い分、剣筋がずれると空気の抵抗を受けてフニャフニャっと、軌道が歪んでしまうのだ。 本物の剣や重い木剣であったなら、空気の抵抗に負けて軌道がずれるような事は無いだろう。 子供の体で正しい握りと剣の振り方を覚えるのには、向いているのかもしれないと朔は感じていた。
『サク! 勝負よ!』
素振りが終われば打ち込み。 剣道の部活みたいな感じだが、やはりこれが一番効率が良いのかも知れない。 打ち手は受け手の構えた剣に向かって打ち込み途中で交代する、と朔は言われていた気がしたのだが、なぜかミラベルは朔の構えた剣を無視して、好きな所に打ち込んでくる。 しかも、一度も交代してくれないのだ。
朔としても反撃して良いのかどうかも分からず、昨日はミラベルの息が上がるまで、ひたすら受け続けるしかなった。 教師役の男も一度こちらを見て「ほぅ」と、感心した様な、嬉しそうな顔をした後、何も言ってこなくなり、モーリスの指導に専念してまったので、救いを求める事すらできなかった。
流石に教師役として無責任ではなかったのか、ミラベルの息が上がるのを見計らい、代わってくれたのだが、息の上がったミラベルとモーリスは休息がてら座っているのに、朔だけはそのまま打ち込みの練習をさせられてしまったのだ。
不公平な物を感じながらも、出来るだけ早く剣を使えるようになりたい朔は、何も言わず打ち込みを続けた。 しかも、教師役の男は途中から、少しでも剣筋がブレると反撃してくるようになり、慌てて朔が避けると、口元に笑みを浮かべながら、また「ここに打って来い」と言わんばかりに剣を構えるのだ。 話が違うと心の中では思ったが、言葉が話せない以上それを指摘する事もできず、反撃が来ると分かってからは、更に集中の度合いを増して剣を振るう朔であった。 昨日、一昨日とそんな訓練が繰り返されていた。
『今日こそは一本取らせて貰うわよ』
真面目な目をして朔と相対し、片手様の木剣を正眼で構えるミラベル。
(いや、打ち込み稽古じゃなかったっけ!?)
そんな朔の困惑をよそに、ミラベルは、『いぁっ!』と気合を篭めて、突きを放ってくる。
(ちょ! 突きって!? 打ち込み稽古は何処に行ったの!?)
剣を左前方に構えて、ミラベルの右袈裟切りを待っていた朔は、慌てて左半身を少し引き、剣を下げて迫る切っ先を受け流す。
一方のミラベルは急に剣の向きを予想外の方向に流され、上半身と下半身の向き狂い、転びそうになっていた。
「おっと?」
そうなる事が予想できていた朔は、空いていた左腕を差し出し、ミラベルの体を優しく支え、転ばないように受け止める。
結果、木剣を持った右手を伸ばし、胸を反らせたミラベルの背中を朔の左手で支えると言った、社交ダンスの決めの様なポーズで二人の動きは止まってしまう。
『な、なにやってんのよっ!?』
途端にミラベルは顔を真っ赤にして、朔の腕の中から慌てて飛び出し、抗議の声をあげる。
「なにって、転ばないようにしただけだぞ」
『支えるくらいなら、反撃しなさいよ!』
「いや、流石にそれは無理だろう。 反撃しなくても今のは俺の勝ちだし」
言葉が通じなくても、雰囲気は伝わるのか、お互い言いたい事を言っているだけなのに何故か二人の会話が成り立っている。
『お、やってるな。 私も後で混ぜてもらうとするか。 ただ待つだけというのも、体がなまって仕方が無い』
そんな二人のやり取りをよそに、訓練所にタルラ達が顔を出し、楽しそうに話しかけてきた。
魔物が現れたらいつでも討伐に向かえる様に、この二日城の中で待機していたのだが、流石に三日目ともなると飽きてきたようで、気晴らしに顔を出たというわけだ。
『サク。 覚悟なさい。 絶対打ちのめして、タルラお姉さまに認めてもらうんだから』
そして、憧れの女傑の登場にミラベルの闘志は目に見えて増していく。
(こりゃ、今日も受けるだけで終わりそうだな…)
まさか憧れの人を目の前にした女の子を相手に、打ち返すわけにも行かず、朔は心の中で溜息をつくのだった。
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「すまないな、面倒を見させてしまって」
サクとミラベルの試合を見ながら、タルラは教師役の男に話しかける。
「いえ、ミラベル様とモーリス様にとっては良い刺激になるかと」
「刺激はよいが、あの歳の子に試合をさせるのはどうかと思うが。 ましてやサクは剣も握ったことが無いはずだ、ミラベルに怪我でもさせたら、大変だろう」
剣の稽古で怪我などは日常茶飯事だ。 ある程度腕の立つ者同士でも起こり得る事なのに、剣を握って日の浅いサクとなれば、もつれ合った拍子に、相手の目を突いてしまうことすらあり得るのだ。
「あ、いえ、今やらせているのは打ち込み稽古なのですが」
「打ち込み稽古? あれがか?」
教師役の男の言葉にサクとミラベルの方を指差し、タルラは呆れた声を出す。 その耳にはやたらと気合の乗ったミラベルの掛け声が聞こえてくる。
「はい、ミラベル様の元気が有り余っているようでして」
「そ、そうか、でも大丈夫なのか?」
苦笑いしながら応えられたタルラは、今度はサクの方が心配になってくる。
「大丈夫です。 昨日もやってましたが、問題は有りませんでした」
「それならいいが、怪我だけはさせないように気をつけて欲しいのだが…」
「タルラ様、気が付きませんか?」
「何がだ?」
教師役の男が意味ありげな視線を二人の子供に向けたのを受け、タルラもそちらに目を向ける。
勢い良く木剣を振るうミラベルに対し、及び腰ながらもそれを受け流すサク。 一見サクが一方的に打ち込まれているようにも見えるが、ミラベルの攻撃はサクの体に掠る様子すらない。
「まぁ、女の子と男の子の打ち合いだ、どうしても力の差は出てしまうのだろう」
それは女性の身で魔法騎士団の一員となったタルラが一番身に染みている事でも有った。
「それは、”打ち合えば”の話でございましょう? あのサクと言う子は、ミラベル様の攻撃を全て受け流しているのですよ?」
「そんな事が、昨日今日剣を握った者に出来るはずが…」
いいながら、サクの動きを見てみるが、確かに男の言った通り、受け流しているのだ。
「サク君がこれまで剣を習った無いのは私が保証します。 一昨日、握り方を一からから教えたのは私なのですから。 恐らくですが、天性の物なのでしょう。 目も良く、反射神経や運動神経同年代の子供とはかけ離れています。 なにより高い集中力のせいか、覚えも早い。 もしかしたら生来、名の通った剣士になるかもしれませんよ?」
「それは流石に言い過ぎでだろう」
サクが褒められて、嬉しさに思わず緩んでしまいそうになる顔を、必死で押さえ込み、謙遜をするタルラ。
「そんな事はありませんよ、あの二人だから何気ないように見えますが、ミラベル様とて、同年代の男の子では相手にならない程の実力を持っているのです。 だからこうして個別に教えているくらいなのですから。 どちらも、普通の子供ではもはや勝負にはならないでしょう」
「たった三日だぞ? 流石にそこまでは…」
「そろそろ、ミラベル様の息も切れてくる頃でしょう。 見ていてください、驚かされますから」
そう言って、男は肩を上下させて始めたミラベルと代わり、サクと打ち込み稽古をはじめた。
初めは男の反撃に一瞬息を呑んだタルラだったが、転んだり、体制を崩しながらも何とか避けてみせるサクに、終いには食い入るような目線を贈ることとなる。
タルラの横では、トーレスすら時たま「むぅ…」と声を出し感心していたのだった。




