29 サクちゃんは…
森を出た朔は、真直ぐイベール子爵の城へと戻った。 今の朔にとってタルラ達の傍以外、寄る家をもたないので、他に選択肢は無かった。
城では、メイドや下男が作業に一段落着いたのか、座って話していたり、うたた寝をしたりしながら、兵士達の帰還を待っていた。 彼らの横を通り抜け、三階の部屋へと朔は帰りつく。
暗い部屋の中でそそくさと着替えなおし、ベッドの中に押し込んだ服をほっぽリ出して潜り込み、朔はそのまま眠りについた。
どれ位眠っていたのだろう。 城の中全体がざわめいている様な騒々しさを感じて目が覚める朔。
「……なんだろう?」
寝ぼけた頭をおこしもせず、暗闇に朔は呟くが応えは無い。
訝しがる部屋の扉がそっと開けられ、赤みがかったランプの灯火が部屋の中に入り込んできた。
扉から、マイアが優しく問いかけながら、部屋に入ってくる。 後ろには護衛なのか、体格の良い兵士が二人控えていた。
優しく話しかけてくるが、何を言っているのか分からない。 どうやら悪魔は近くに居ないようだ。
マイアは朔が寝ているベッドの横まで来ると、手を繋いで一緒に歩き出した。
案内されたのは子爵夫婦の寝室だろう、ダブルサイズのベッドには既に、ミラベルとモーリスが寝息を立てていた。
マイアはベッドで寝るミラベルの横を、ぽんぽんと叩く。
(いいのかな?)
朔は少しだけ考えたものの、悪魔の魔力が流れ込んでこない間は子供の体でしかなく、抗いきれない睡魔に誘われ、大人しくマイアに従い、再び眠りにつくのだった。
そして翌朝。 窓から差し込む光に朔は薄っすらと目を開けると、未だあどけなさを残した幼い寝顔が近くにある。
(ん? あぁ、夜に連れてこられたんだっけ…?)
ぼんやり昨夜の事を思い出しながら、気持ち良さそうに寝ている顔を眺める。
歳のせいか未だ目鼻立ちこそはっきりしていない所もあるが、長いまつげに血色の良さそうな白い肌。
鍛錬でもしているのだろう、少し剣ダコの様な物が見受けられる手の平は軽く握られ、そこから伸びるしなやかな腕が朝日を浴びて輝いて見える。
(ほんと子供って、寝ている時はみんな天子に見えるよな…)
そんな事を思いながら、朔は隣で寝るモーリスの寝顔を微笑ましく観ていた。
『ちょ? へ? ここってパパとママの寝室? なんで私ここで寝てるの?』
どうやら悪魔も戻って生きているようで、後ろで上がる疑問の声を通訳してくれるが、朔は無視する事にした。 ここで振り返るとろくな事が起きない予感を、ひしひしと感じているのだ。 できる事なら、事態が悪化する前にマイアか、メイドの誰かが来てくれることを祈るばかりである。
『んん~』
ミラベルが煩いからか、目を眠そうにこすりながら、モーリスが目を覚ました。
「おはよう、モーリス」
朔はできるだけ優しく微笑みを浮かべ、朝の挨拶をしてみる。
途端、モーリスは驚いたように目をパチクリとさせた後、顔を真っ赤に染めて布団の中に潜り込んでしまった。 少しだけ開いている隙間から、目だけ出して、照れたようにこちらの様子を覗ってくるのが可愛らしい。
(子供の寝起きって、やっぱり可愛いよな~)
『サク…?』
「ん?」
感慨に耽っていた朔は、後ろのミレベルからかけられる声に、気を使って見ないようにしていた事をすっかり忘れて、そのまま振り返ってしまった。
「あ…」
昨夜は薄暗かった上に、布団がかけられていたので、気にもしていなかったが、ミラベルの寝巻きは、薄いコットン生地で出来た肩紐で止めるタイプのキャミソールと、同じ素材のドロワーズだった。 寝相の悪さからか、腿の辺りは付け根まで巻き上がり、どちらかと言えばかぼちゃぱんつに見えなくも無い。
気候的には暖かかったので、薄着で寝てしまったのだろう。 テラスから差し込む斜めの朝日の作る陰影のせいだろう、薄い布地の上からでも主張し始めたささやかな頂のチョンの所在が確認できなくも無い。
『あ…』
まさか朔が振り返るとは思っていなかったのか、ミラベルを見た朔を見て固まるミラベル。
『この…スケベ!』
「ぼふっぅ!」
直後に飛んで来た枕の直撃を受けて、朔はそのままモーリスと共に布団の中へ沈む事を決めたのだった。
『昨夜、伝令で魔物に注意するように言われて、貴方達をを私の部屋で寝かせたの』
マイアが起こしに来て、寝たまま運ばれたミラベルに事情を説明するまでの間、朔は息を潜めて布団の中でじっと嵐が通りすぎるのを待つしかなく。
今日の朝食の席も、昨日に変わらず重いものになるだろうと、確信する朔であった。
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タルラがイベール子爵の城についたのは、昼過ぎの事である。 イベール子爵はアボーテ男爵領の混乱を治める為に現地に残っていた。 今日の夕方には砦から王国騎士の誰かが来て陣頭指揮を取る事になるのだろうが、それまでの当面の責任者は必要ということで子爵が買って出たのである。
立場的にはタルラのほうが適任になるが、年齢による経験の不足と、サクやチェミーの事が気になって落着かないタルラを見越して、イベール子爵が請け負ってくれたのだ。
『なに、うちの女房は旦那が二、三日帰らなくても平気だろう。 それにもし魔物が襲ってきたとしても、タルラ卿とトーレスが居れば安心だ。 領民共々守ってやってくれ』
自分の家族と領地が心配であろうに、そう言って笑顔で送り出してくれたイベール子爵に感謝して戻ってきたのだ。
城に到着したタルラは、さっそくチェミーを見舞い、その元気そうな顔に安堵する。 昨晩心配された発熱も無く、無理しない程度なら動いても大丈夫だと治療師も言っていた。
「タルラ様お帰りなさいませ、奥様がお待ちです。 大事な話も有りますので、他の方々と、チェミー様も調子がよろしい様なら、ご同席くださいと仰ってました」
「あぁ、すまない。 すぐにお伺いする」
魔物の事や、アボーテ男爵の事、盗賊達の最後など、話すことが色々有りすぎて長くなると思い、チェミーの見舞いを先にしたのだが、やはり気になるのだろう、しかし、なぜチェミーまで?とも思わなくもないが、タルラ達は侍女に案内され、皆で応接室へと向かった。
「お帰りなさいタルラさん。 皆さんもご無事でよかったです」
応接室ではマイアがお茶の用意をしており、芳しい香りが広がっていた。 テラスへと通じる扉は開けられ、午後の日の光を遮るように薄手のカーテンが揺れている。
タルラ達に用意された椅子から離れた所では、ミラベルとサクが、俯いてもじもじしているモーリスを挟んで、離れて座っている。 何故かミラベルは、ぶっちょう面をしていて、ズボンを履いたサクが申し訳無さそうに身を縮めていた。
(サクが何かやったのかな? ズボンを履いている所をみると、また服屋の時みたいにわがまま言ったのかも知れないな。 迷惑をかけていなければいいが)
ちらりと目に入った三人の子供の距離感に、姉心を疼かせそんな事を思いながらも、口に出したのは昨夜の件の事であった。
「マイアさん、挨拶と報告が遅くなりすいません。 魔物の件なのですが……」
一通り話を終えて、イベール子爵が戻るまでは我々がこの街の護衛に着く事を伝えるタルラ。
「お話は分かりました…。 何か有ればよろしくお願いします」
「はい、お任せください」
タルラとしては、聞いた事も無い魔物が相手であり、対処法も思いつかないが、送り出してくれた子爵の手前、ここで弱気を見せるわけにもいかなかった。
「さて、この件はここまでとして…」
タルラの頭が魔物対策に向きかけたところで、マイアがパンツと手を打ち話を切り替える。
「タルラさん。 私は人の趣味に余り口を出したくはありませんが、いくら似合うからといって、本人の事を考えずに服を着せるのはどうかとおもうのです」
「本人の…と言いますと」
タルラは言葉の途中で、チラリとサクを見た。 心なしかマイアに熱い視線を送っているような気がしないでもない。 確かに服屋では動きやすい服を着たがっていたが、さすがに年頃になろうかと言う女の子にあの服は無いと思ったのも事実だ。
「そう、サクちゃんの事です。 男の子に女の子の服を着せるのは、私やりすぎだと思うの」
マイアの顔は笑みの形を作ってこそ居たが、その目は完全に笑っていなかった。
「男の子? 誰がですか?」
マイアの静かな怒りの波動に引きつりながらも、何の話か理解出来無いタルラが聞き返す。
「誰って、サクちゃんに決まってるじゃない。 あの子、男の子よ」
「「「「「男!?」」」」」
タルラを始め、仲間の驚く声が揃う。
「え? ちょ…サクちゃんが、男の子!?」
「あの子が男ですか!?」
「聞いたか…タットン」
「あ、あぁ、信じらんねぇ…」
「私も分かりませんでしたな…、サクが男とは」
チェミー、ナムル、ツゥエル、タットン、トーレスの順でサクを指差しながら、口々に困惑の言葉を述べている。
「サクが男と言うのは、間違いないのですか? その、マイアさんを疑うわけでは有りませんが、信じられぬのですが」
中でも一番混乱していたのはタルラであった。
「えぇ、お風呂で、ミラベルと侍女が見ましたから、間違いないですわよ」
「お風呂で…」
タルラも、ミラベルとサクの挙動に何処か納得できてしまう。
「あ、お風呂はミラベルが自分から突っ込んでいったから、大丈夫よ。 サクちゃんは悪くないわ。 それにミラベルったら、吃驚したのは分かるけど、そのまま裸でお城の中を走り回って、私のところに来るのだもの、私が吃驚しちゃったわ」
「お、お母様!?」
よりにもよって、自らの母親に自分の痴態を伝えられ、顔を真っ赤にして講義するミラベルに少しだけ同情しながらも、タルラは頭の中が真っ白になっていく。
思い出されるのは、服屋でサクが男の子用の服を握り締めている姿だ。 あの時の懇願する様な顔が今更ながら浮んでくる。 そして、そんなサクを無視して、似合いの服を着せて連れ歩いていた事も。
活発な娘や、おてんばな子がズボンを履くことは良くある(タルラはそう思っている)が、その逆はこの国ではまず無いのだ。 サクがその時どんな気持ちで居たかと考えると、いたたまれなくなってしまう。
「チェ、チェミー私は、サクにとんでもない事をしてしまったかもしれない。 一生償っても償いきれないほどの恥辱を…」
罪の意識から、付き合いの長いチェミーに心情を吐露しかけたタルラだが、
「男の子…でも、可愛いは正義…。 あれなら、男の子でも、問題はない…はず! いやむしろ男のだからこそ…でへへ」
チェミーは、自分の罪を受け入れられなかったのか、行ってはいけない方向へ現実逃避しかけて居た。 治療師の腕が悪くなければ、矢傷による意識の混濁等ではない筈である。
「お、おい! チェミーしっかりしろ!」
「はっ!? 私は何を…?」
そしてこの後、タルラ達は、通じぬ言葉でひたすらサクに謝り続けたのであった。