27 魔族
「トルネリオっ! どうなっておるのだ!? もう日もとっくに暮れておると言うのに、なぜ何の連絡もしてこなかったっ!?」
騎士が5人と、単なる呼び出しだけではない事を窺わせる、アボーテ男爵からの迎えが店の戸を叩いたのは、夜半、トルネリオが逃げ出す準備をしていた矢先の事だった。
「逃げれば殺す」と、無言の威圧の中いつもの狭めの応接室に、放り込まれるように通されたトルネリオ。
そして開口一発、アボーテ男爵から手厳しい言葉を投げかけられたのだ。
(どうやら、逃げ損ねてしまったようですな)
日が沈んでからも、ドーマからの報告は無かった。 それどころかビーの手下からも、”導師”からも、何の連絡も無い状況にトルネリオとしても、動きあぐねていたのだ。
トルネリオとしても焦ってはいた、人をやり様子を見に行かせようかとも考えていた。
だが、海千山千のトルネリオと違い、短気なアボーテ男爵は待ちきれず焦れて癇癪を起こしてしまったらしい。
癇癪を起こした人間がやることは一つしかない。 八つ当たりだ。 物や人、場所や状況など関係なく、当り散らす。
(面倒な事になりました、どうしたものか…)
コンコン…。
「導師様がお見えです」
そこに聞こえる、ノックと若い侍女の声。
現状に行き詰まりを感じていたトルネリオにとって、それはまさに天の助けのようにも聞こえるものだった。
「入れっ!」
「失礼する」
「魔道かぶれが、今頃きおって何の用だ!?」
一度箍が外れたためか、アボーテ男爵の言葉にはいつも以上に剣呑な色が篭められている。
「だ、男爵様。 落ち着いて導師様の話を伺おうではありませんか。」
「ふんっ!」
アボーテ男爵とて、状況が分からねば動きようが無いのは同じなのか、腹立たしげに椅子を蹴りつけながらも、口を止めた。
「それで、導師様。 首尾はいかがでしたでしょうか?」
「思わしくない、な」
「それはどのような?」
「送り出した弟子が死んだ。 行きざまに、盗賊達だろうがどこぞの令嬢だろうが皆殺しだと、息巻いていたあやつが、急な病で倒れるなど考えにくい。 殺されたのだろう」
「そ、それは…」
導師の弟子には腕の立つ術者が揃っている。 それが殺されるなどよほどの手練れが居た事になる。 だが、それよりもトルネリオにとって今は言って欲しくない一言を、導師が口走った事のほうが気になった。
「皆殺しとはどういう事だ。 トルネリオ」
トルネリオの懸念通りに、アボーテ男爵が問いただしてくる。
トルネリオは導師に、ビー達が失敗するようなら、全員殺すように頼んでいたのだ。 そして最後には、アボーテ男爵も殺すように依頼してある。
タルラ達に手を出した時点で、この男爵は終わりだとトルネリオは考えていた。 上手くタルラを殺せたにしても時間稼ぎに過ぎないと。
トルネリオは既にこの街から逃げ出す覚悟を決めていたのだ。 後は逃げ出すに当たり、どのタイミングで、誰を、切リ捨てるかだったのだ。
それは、アボーテ男爵にしても同じであったろう。 ここに連れてきた後、トルネリオに全ての責任を擦り付けて、差し出すと言う選択肢も考えていたに違いない。 無論差し出された時には、トルネリオは物言わぬ生首になっていることだろう。
お互い持ちつ持たれつでは有ったが、自らが生き残る為には平気で相手を切り捨てる。 そんな関係でもあった。
「貴様! 賊共と小娘達を殺した後、どうするつもりであったっ!?」
殺気を篭めてアボーテ男爵が剣の柄に手をかけ聞いてくる。 既に答えは見えているのだろう。
短気では有れど、保身と世間体に人一倍敏感な人物である。 三年前も証拠を上手く隠し、降爵は免れているのだ、”皆殺し”の中に誰が含まれるのか、鋭敏に感じ取ったのだろう。
「導師とやら、貴様もその首が惜しければ、全てを白状しろ! 腕は立つ様だから、飼ってやっても構わんぞ!」
「だ、男爵様! お待ちください!!」
このまま来ると、自分が切り捨てられかねないと焦るトルネリオ。
だが、この場にはもう一人、切り捨てる側に回れるモノも居た。
「飼う? 私を? 下等な人間無勢が、言ってくれるわ!?」
あざ笑うかのように声を上げる導師に、アボーテ男爵とトルネリオの動きが止まった。
「貴様、まさか?」
アボーテ男爵が、呻くように言葉を発した。
知性の発達した魔物の中には成長したドラゴンのように人間を「下等」呼ばわりする者も存在する、だが彼らは人とはあまりかかわる事が無い。 その中で、人を貶めその苦しむ様をあざ笑う種族もまた存在する。 魔法に長け、人の魂を啜る者。
「ま、まさか、魔族…」
二百年前、魔王の敗北と共にこの地から駆逐された存在。 今や寝物語にしか語られなくなった、滅んだはずの種族であった。 これまでは人の眼を欺く術でもかけていたのだろうが、今はそれも解かれ、グレーの肌に口元には牙も見えている。
「ご名答。 人間が私の種を忘れて居なくて結構な事だ」
愉快そうに口を開く導師と呼ばれた魔族。
「き、貴様が魔族だろうと何であろうと関係ないわ! ここはわしの城だ、魔族とて死なぬわけでは有るまい! わしに手をかけて生きて出られるなどと思うなっ!」
貴族として、人としての矜持なのか、相手が魔族でも引く事を知らないアボーテ男爵の啖呵が響く。
「これだから無能な人間は…。 私がこの扉から入ってきたからといって、扉の先に城の廊下が有るとは限らぬではないか。 違うかね? 男爵とやら」
「ぶ、無礼な!!」
唯一の拠り所である段爵位を、何の価値も無いかのような言い回しをされ、激昂するアボーテ男爵。
確かに導師が扉から入るときは、いつも僅かに開けた隙間からすべるように入ってきていた。 扉の向こうが見えた事は一度も無い。 それどころか、来訪の知らせを告げる者も、声しか聞いたことは無いのだ。 トルネリオはこれまでの事を思い出し、その事実に青ざめる。
「自分たちは既に生贄の祭壇の上に乗せられているというのに、未だ逃げるだの、地位を守るだの、全く人間という物は滑稽でならんな。 だが、私とて礼ぐらいは知っている。 贈り物をされたら、お返しするのが礼儀だ、トルネリオ殿もそうは思わないか?」
絶望の中に見えた光明。 生贄が何かは分からないが、この魔族は取引を望んでいるとトルネリオは考えた。
「ま、魔族様! 何が望みでしょうか。 何なりとお申し付けを! 」
この状況を生き長らえられるのなら、例え相手が魔族であっても、謙るのに否は無い。 トルネリオは、這い蹲って伺いを立てる。
その姿にアボーテ男爵は「貴様人としての誇りを忘れたか!」と、詰ってくるが、トルネリオにとってもはや関係の無い事だ。 ここで魔族に楯突いても非力なトルネリオは殺される。 アボーテ男爵にはトルネリオを守る等と言う選択はしないと言い切れるのだから、生き残るにはこれしかないのだ。
「そうか、なら遣れ」
平伏するように顔を下に向けていたトルネリオの目に、自らの影が膨れ上がったのが見えた。
だがそれも一瞬の事。 トルネリオの意識はそこで永遠の闇に閉ざされるのだった。
**
トルネリオの影から湧き出るように現れたソレは、一瞬にして胸から上を食いちぎり、生々しい音を立てながら、咀嚼してしまう。
黒い体毛を生やした、大蛇とでも言うべき姿のソレは、無いはずの目でアボーテ男爵を見据えて、人の二倍も有ろうかと思われる体を横たえ、次の命令を待っていた。
体毛そのものが意思を持っているかのように、うねうねと動き、腕ほどの長さまで裂けた口には鋭い三角の歯が並んでいる。
「誰だか知らんが、こんな魔力もろくに無い人間共を好んで生贄に選ぶとは、悪食もいいところだな」
黒い大蛇の様な物に釣られ、献立の品定めをする位の軽さでアボーテ男爵に目を向ける魔族。
「ひっ」
次は自分の番だと理解しているのだろう、アボーテ男爵も二つの視線に後ずさり後ろの壁にもたれかかる。
「まぁ、いい。 やれ。 他に刻印がされてる者が居たら、喰っても構わん。 腹が満たされたら、勝手に帰れ」
魔族の言葉に、粘りつくような歓喜のさえずりをあげ、黒い蛇はアボーテ男爵へ襲い掛かる。
命じた魔族は、入ってきた扉を潜り部屋から出て行った。 背後からはヒステリックな悲鳴が聞こえてくるが、もはや興味ないことだ。
パタン。
扉が閉まると同時に、あれほど煩かったアボーテ男爵の悲鳴が断ち切られるように途切れる。
今、魔族の前に有るのは、城の廊下などではなく、いつもの地下室。 石造りの壁に囲まれ、明り取りの窓すらない。 出入りできる扉は魔族が使った一枚だけだ。
そして、魔族を出迎える、フードを被った六人の人間。
「導師様。 いかがでございましたでしょうか?」
そのうちの一人が口を開く。
「アトゥーサが死んだ。 《独自魔法》を覚えて、自分が無敵になったとでも勘違いして油断でもしたか。 だが何の問題もない。 アトゥーサも、お前達も、死んだ魂は魔王に捧げられ、きっと復活の役に立つ。 覚えておくがいい、お前達にとって、死すら無駄ではないのだ」
「ははっ、肝に銘じて。 それで導師様、アトゥーサ目を殺した者、いかが致しましょうか?」
次は自分の番だと言わんばかりに、六人の内の一人が進み出て、伺いを立ててくる。
「放っておけ、この先邪魔になるようなら始末するが、今はいい。 それより、トルネリオの所から、念話水晶と箱の回収は済んだか?」
「滞りなく」
魔族もその弟子も、あの街ではアボーテとトルネリオ意外には会っていない。 かかわりを示すような物も回収が済んだようだ。 これで、奴隷狩りと自分達を繋ぐ証拠は一切無くなり、疑う事すらできないだろう。
「ならいい、これで解散だ」
「「「「「「魔王に血肉を! 我らの魂に力を!」」」」」」
解散の指示に、一度唱和して扉から出て行く人間達。
(まったく、人間共は良く踊る。 このぶんなら、まだまだ楽しめそうだ)
その背中を見ながら、悪魔は心の中でそう嘯くのであった。