22 黒騎士トーレス
盗賊の叫び声に被るように聞こえてきたチェミーの悲鳴を聞いて、トーレスの眉がピクリと動く。
「おや? お仲間が危ないいんじゃねぇか?」
トーレスの動揺を誘うように、ビーが大振りの戦斧の一撃と共に、言葉を投げかけてくる。
「そのようですね。 仕方ない、貴方を捕らえて色々聞きだすつもりでいましたが、その余裕はなくなりそうです」
迫る戦斧の刃先を体捌きだけで軽くかわすと、返事と同時に右手に持った剣を横薙ぎにする。 牽制の意味をこめた一薙ぎにビーは追撃を諦め、一旦距離を置くように飛びのく。
《破壊撃》
《飛剣》
だが、互いに離れた相手にも攻撃手段を持つもの同士、数歩の距離など意味は無いとばかりに、《スキル》による応酬でさらに剣斧を交える二人。
ビーの打ち下ろす戦斧が生み出す半透明の分厚い衝撃波に、トーレスの袈裟切りに振られた剣から放たれる、三日月型の白い刃がぶつかり、相互に消滅する。
「出し惜しみか? 「黒剣」よ。 それともその魔剣には何か制限でもあるってか?」
「何も惜しんではいませんよ。 それでは、貴方の勘違いを正して行くとしましょうか」
お互い《身体術》を打ち合い、獲物を振り切った姿勢から構えなおすまでの間に言葉を交わすトーレスとビー。
だが、その間にもトーレスは壊れた盾を捨て、足元の死体から錆の浮いた剣を左手で拾い上げていた。
「二本なら勝てるってか? 笑わせるな!」
「ではまず、一つ目の勘違いから、この中で一番強いのはタルラお嬢様ですよ」
「はっ! お前のほうが数段強ぇだろうが。 あんな小娘馬から落としゃぁ、それで終いだろうに」
「貴方のような方から見れば、そうなるのかも知れませんが、何も腕力だけが強さではありません。 私を倒したとしても、お嬢様は止まらないでしょう。 むしろより激しく貴方がたを攻め立てていくのが目に見えてますよ。 それに、馬から降りても貴方程度には決して負けません」
「言ってくれるなぁ!」
威嚇するように犬歯をむき出しにして、凄みを増すビー。
「そして、もう一つの勘違い。 私の黒い剣は、魔剣ではなく《身体術》です。 この剣はボナホート家に仕えるものなら誰にでも支給されるただの剣です。 まぁ、支給と言っても一人一人オーダーメードの特注で作ってくれますので、その辺の数打ちと比べれば、些か作りが上ですが、普通の剣である事は間違いありません」
ビーに話しかけながら、左右の手に持った剣をスナップを効かせて軽く振るうトーレス。 二本の剣が止まるころには、どちら剣も刀身が黒く染められていた。
「《身体術》だと」
「えぇ、《身体術》の一つ《武装硬質化》を、更に強くしようとした結果、黒くなってしまいました。 言わば《黒色強化》とでも言いましょうか。 ユニークではなく、努力と鍛錬による結果なので、《独自身体術》になるのでしょう。 若い者にも教えているのですが、未だに使える者は私以外に居ないのが残念です」
「それがどうしたっ! たかだか黒くなるだけじゃねぇか! 戦いに何の関係もねぇ!」
《破壊撃》!
《黒色強化》
黒く染まった剣身に、えもいえぬ恐怖を感じたビー。 吼える様に叫び発動した《身体術》が、トーレスに直撃し、その衝撃であたり一面に土ぼこりが舞い上がる。
「良い一撃でしたが、単調すぎますね」
だが、次第におさまる土埃の中、《破壊撃》の直撃を受けたはずのトーレスの影が平然と立ち尽くしていた。
「なっ?」
《黒色飛刃》
そしてトーレスの右手の剣が、袈裟切りに、投げ出すかのように振るわれる。
ビーは咄嗟に盾のように構えた大振りの戦斧の肉厚な刃は、土埃を切り裂き飛来する黒い刃にあっさり切断されてしまった。
「ばかな、《飛剣》 で、この斧が切れるはずがねぇ」
ビーの勝機はそこにあったのだ、衝撃波を打ち込む《破壊撃》と違い、切り裂く事に特化した《飛剣》では、分厚い金属を切る事は適わないはずであった。 これまで二度、ビーは《飛剣》 を己が斧で受け止め、返す一撃で相手をし止めて来たのだ。
「色が変わるだけなら、わざわざ使う事など無いでしょう?」
ビーの絶対の自信を斧ごと叩ききった黒い刃を放ったトーレスは、悠然とその場にたたずんでいる。
(まだだ、俺は負けてねぇ!)
ビーは手元に残った斧の柄を握り、トーレスへと突進をかける。 トーレスの右手の剣は既にその色を失い振り下ろされたままだ。
《呪文術》の発動に正確な発音が必要なのと同じで、《身体術》の発動には正確な動きが必要となる。 その習得には多大な修練を要し、左右の腕を変えて打つなどは不可能。
今なら追撃を受ける事無く、殴りつけることが出来るはずだ。 そして力で押し込めば勝てる!
《黒色飛刃》
だが、そんなビーの思惑をあざ笑うかのように黒色の刃がビーを逆袈裟に切り裂いた。
「そんな…」
「左手では打てないと思ってましたか? 戦場ではいつ怪我をするかわかりません。 利き腕以外でも戦えるように鍛えるのは、当たり前のことです」
体を斜めに二分され焼けるような痛みの中、ビーの頭に《破壊撃》を覚えるまでの血の滲む努力が走馬灯のように浮ぶ。 だが、目の前の男はそれだけでは飽き足らず、そこから更なる努力を重ねていたのだ。 一体どれほどの時間を《身体術》の修練に充てたのか、ビーには想像すらつかない。
「化け物が…」
「残念ながら、私は化け物と呼ばれる方達の背中すら見えてませんよ…残念でなりませんがね。 そうだ、最後の勘違いですが、私が『黒剣』と呼ばれていたのはもう15年も前の話です。 騎士を辞める直前までは私の事を『黒騎士』と呼ぶ人の方が多かったですよ」
二つに分かれ倒れるビーにそう語るトーレスの鎧は、《独自身体術》によって、真っ黒に染められていた。
その鎧は《破壊撃》を真っ向から受け止めたであろうに、傷一つ付いていなかった。
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(ツゥエルとタットンって……、地味だ)
目の前で繰り広げられる剣戟を見た朔の感想が、それであった。
真剣な顔で5人を相手にして、一人も後ろに通していないのは素直に凄いと思うのだが、タルラ達と比べるとイマイチ華に欠けると言うか、《身体術》らしきものは使っているようだが、目の前の戦いはあくまで剣と槍と盾と斧がぶつかり合う、接近戦であった。
世界を渡って未だ三日目の朔にとっては、この世界の普通が分からない。 もしかしたら、タルラやナムル、トーレスが普通なのかもしれない。 だとしたら最初の盗賊に勝てたのも運が良かったと言う事になる。
タルラやナムルの様な騎士が《盾》を展開して、数千人規模で隊列を組んで突進してくる様は、想像するだけで震えが来るほどの物だった。
チェミーの魔法も、油断したら一発で重症を負ってしまうだろう。
トーレスに至っては、もはやダンディの範疇に入れて良いのかどうかも悩ましい。
だが、これまで遭遇した盗賊とツゥエルにタットンを見ると安心できる。 悪魔の居ない朔では到底及ばないながらも、朔の常識の範囲内で戦ってくれている。
(うん、こっちが普通、あっちが異常。 そうに違いない。 そう思いたい)
盗賊が二人を抜けてきた時、いつでも対応できるよう槍を構えたままで、朔はそう結論付けた。
その横ではチェミーが入れ替わりで二人の相手をする盗賊達に、狙いを定め切れ無いで居るのか、杖を構えたままの姿勢で状況を見守っている。
その様子に、もしかしてチェミーって、便利魔法の無い火力馬鹿の可能性も有り得ると、余計な事を思ってしまう朔。
前に立つツゥエルとタットンは必死に戦っているが、後ろの朔は気こそ抜けないが、そんなことを考える余裕すらあった。
『お、お頭がやられた!』
『やばいっ 逃げろっ!』
聞こえてくる盗賊達の叫び声。 それに呼応して二人に襲い掛かる盗賊達の動きが目に見えて鈍くなっていく。
(勝ったな…)
意味も無く心の中で格好を付ける朔だが、その姿はドロチョロのままだったりもする。
そして、ツゥエルとタットンの前に居た盗賊達も、一人二人と逃げ始める。 これまで全力で朔達を守っていたのだろう、二人とも盗賊達に追撃をかける余力は無いようだ。 その場で立ち止まったまま、逃げていく盗賊の背中を見送っていた。
だが、逃げた盗賊の一人が崩れた建物の影に手を伸ばし、何かを掴んでこちらを振り向く。
(クロスボウ? しかも、俺かっ!)
朔が気がついた時には既に短矢が放たれていた。
(避けれる!)
そう思った瞬間、何か柔らかい物が横から朔に抱きついてくる。
昨日一日で慣れたその感触に「まさか!?」と思った時にはもう手遅れだった。
『ぐ…、うっ』
背中に短矢が突き刺さったチェミーが苦しそうにうめく声が耳元で聞こえる。
『だい…じょうぶ? サクちゃん…けがは?』
痛みに耐えながら無理やり作ったであろう笑顔で、途切れ途切れにサクの身を案じる言葉をつげるチェミーに、朔は首を横に振って応える。
「大丈夫じゃないよ、俺なら避けられたのに、チェミーが大丈夫じゃないよ」
目の前の出来事に理解が追いつかず、滅裂なことを呟く朔の体から、力が抜けずり落ちるように下へとチェミーの身体が流れていく。
『チェミー!?』
『大丈夫か!? しっかりしろ!』
ツゥエルとタットンが走りより、チェミーを抱きかかえゆっくりと地面に寝かしていく。
異常に気がついたのか、タルラ達も傍まで来ていた。 どうやら盗賊達はチェミーが撃たれたお陰で、逃亡の時間を稼げたようである。
朔にはチェミーに田崎が被って見えていた。
(おい、悪魔。 逃げていく奴らに生贄の刻印を刻んでおけ)
『りょうか~い』
久しぶりの朔のヤる気に、悪魔が嬉しそうに応え、その手元から6つの黒い火の玉の様な物が飛んでいく。
『そのまま動かさないで下さい、タットンは馬車から水と回復薬を! 矢を抜きます。 ナムル殿とツゥエルはチェミーの体を押さえて! お嬢様は綺麗な布を集めてきて下さい! 急いでっ!』
駆け寄ってきたトーレスの怒号に、皆が我に帰り動き始める。 トーレスはチェミーの横に膝をつき、ナムルとツゥエルに目で合図を送り、チェミーに刺さった矢を一気に引き抜いた。
気を失いかけていたチェミーが、痛みに反応して暴れ出す。 その可愛らしい口からは想像も出来無い、叫び声が漏れ出てくるが、トーレスは手を止める事はなかった。
そして、タットンが持ってきた水で傷口を洗い流すと、焼き物の小瓶から緑色の液体を振り掛ける。
朔が見ている間にも、チェミーの傷口は塞がって行き、やがて血も流れ出なくなった。
『もう大丈夫です。 さぁ、これを飲みなさい』
トーレスは傷の塞がったチェミーを優しく抱き起こすと、先ほどと同じ小瓶の口を開け、チェミーに飲ませる。
少し粘度が有るのか、チェミーは多少むせながら小瓶の中身を飲み干すと、そのまま目を閉じてしまった。 胸が上下しているから、生きてはいるのだろうが、ピクリとも動かない。
『チェミーは大丈夫か?』
『たぶん大丈夫です、今すぐどうこうという事は無いでしょう。 回復に体力を取られ眠ってしまったんだと思います。 ただ…』
シーツのような布を胸に抱いて、馬車から降りてきたタルラが心配そうに尋ねると、トーレスは大丈夫と言いながらも、言葉を詰まらせる。
『ただ、なんだ!?』
『落ち着いて下さい、タルラ様』
歯切れの悪いトーレスにタルラが眦を決して詰め寄るのを、ナムルが宥める。
『盗賊の矢は汚うございます』
『ど、毒か!?』
一気に顔を青ざめるタルラ。
『あ、いえ、適当に持ち歩いているので、錆が浮いて居たりして、汚れてるという意味です』
『そ、そうか。 それで?』
『はい、傷は塞がりましたが、中が腐り膿が出てくるかもしれません。 ですので、できれば近くの街で薬師か治療師に預けるのが一番かと思います』
『わかった。 皆! 疲れているかも知れないが、急ぎイベール男爵の元へ向かう! ナムルは後方を頼む!』
タルラの決定に反対するものは、誰も居なかった。