博士達は確認の為に
工場長が制御盤に接続してから五時間以上の時間が経とうとしていた。
何とか防衛機構は復旧したものの、稼働しているのは基本的な機能だけである。
これ程作業が難航しているのは、上位制御系統の機械言語が未知の方式で暗号化されていたからだ。
暗号化方式の解読が困難であると判断した工場長は、暗号の解読を諦めた。
ではどうやって防衛機構を復旧させたかと言うと、一から防衛機構を構築し直したのである。
途轍もない労力だが、工場の上位制御系の開発に関わっていた工場長にとって無謀では無い作業だった。
工場長の作業に対する熱意は、他の者を蹴落としてまで手に入れた今の地位に対する執着の裏返しでもある。
そして、作業を続ける工場長の身体には明らかな変化が表れていた。
その肌が所々金属化していた。
この時代の人類が持っている特性、世代交代を必要としない遺伝子変異の誘発現象、適応力と呼ばれる特性の顕現である。
軽金属種であった工場長はこの五時間の間に重金属種に適応しつつあった。
重金属種と軽金属種の違いは多々あるが、その中でも顕著な物に電子回路に対する親和性の高さがある。
即ち、工場長の作業効率は飛躍的に上昇していた。
鏡面の無いこの部屋において、工場長は自らの変化を自覚していない。
ちょっと調子いいな程度にしか思っていない。
もし、仮に、仮定の話だが、工場長が自らの変化を自覚していたのなら、防衛機構の再構築作業と並行して工場の全制御系を俯瞰するくらいの広い視野を持てていたのかも知れない。
例えば、中央制御管理室の映像情報を閲覧する余裕があったのであれば、その異変に気が付いたであろう。
工場の上位制御系内での時間の流れと、現実の時間の流れに尋常でない差が発生している事に。
上位制御系内で数分程作業したと感じている間に、現実では一時間が経過していた事に、工場長は気付いていない。
この時点で工場長が予想する作業完了時間は後一時間程である。
現実の時間の流れでは六十時間を優に超える。
制御系内に直接侵入出来る金属系種には知覚しにくいその現象に、真っ先に気付いていた者が居た。
工場内で唯一金属系種ではない、ロゼ博士である。
ロゼ博士は呆然とした面持ちで立ち尽くす。
理由は二つ。
一つは上位制御系全体の反応速度が著しく低下している事。
映像一つ表示するのにも膨大な時間が発生していたし、入力した機械言語が認識されるのにも重大な遅延が発生していた。
もう一つは原因不明の遅延の中で表示された映像情報を見たからだ。
その映像情報の中で、ロゼ博士は四本の小瓶に薬剤を詰めていた。
確かに五本の小瓶に薬剤を詰めた筈なのに、映像では四本。
ロゼ博士は自分に絶対の自信を持っている。
思い違いと言う可能性は最初から除外された。
次に思い浮かんだのは映像情報の破損か変質だが、他の映像に不自然な点が無い事を考えるとその可能性は無視して構わないと判断された。
次に思い浮かんだのは何者かが映像情報を改竄した事であり、この可能性が高いとロゼ博士は判断した。
ではそれを行ったのは何者なのかと言う疑問が発生する。
「工場長とグラン博士」
その二つの可能性をロゼ博士は即座に除外する。
軽金属種でしかない工場長にはそこまでの能力は無いし、グラン博士が情報改竄をするならもっと悪質なやり方を選択するからだ。
「先程から工場内が騒がしい」
ロゼ博士はグラン博士の発言を思い出していた。
「騒がしいのは、現実の事ではない?」
侵入者。部外者。
そんな言葉がロゼ博士の脳裏をよぎる。
そんな事はあり得ない、と思うと同時に、先程まで聞こえていた不快音が思い出す。
「金属と金属を擦り合わせる様な音」
重金属種を錆びさせる物質を含む海水の影響を抑える為に、ロゼ博士自身が考案した制湿機構。
侵入者が監視機構に発見されずに移動するならば、通気管を使う可能性が高い。
その侵入者が向かう先は、通気管が繋がる先はどこであるかに思い至って、ロゼ博士は部屋を飛び出した。
それは上位制御系の異常な遅延の原因に、薬剤を持ち出した存在がなんであるのかに、同時に辿り着いたためである。
それとほぼ同時刻。
グラン博士もまた異変に気が付いていた。
気が付けた理由は室内の映像情報を見る余裕があったと言うだけの事だった。
しかし、グラン博士の興味はそれらの現象には向いていない。
グラン博士は小瓶を手にしていた。
侵入者が落として行った小瓶の存在にはずっと気が付いていたが、作業がひと段落するまで小瓶の存在は知覚外に追いやられていた。
上位駆除系の異常で作業機械が通常の半分以下の作業しか出来ていない状況が、グラン博士を小瓶へと再注目させた。
小瓶の蓋を開け、内部の薬剤に指先を漬け込む。
「ほう」
薬剤の成分を分析したグラン博士は、その薬剤の性質を正確に把握した。
把握した上で、思った事をそのまま呟く。
「なんとまた効率の悪い作業だ」
僕ならもっと効率的にやるのにと呟いて、思い出した様に作業機械を見る。
作業機械は著しく緩慢に動いていた。
暫く席を外しても問題は無い、とグラン博士は判断した。
「効率的な作業の為には、面倒だが仕方ない」
そう言って、一体の改造された作業機械を引き連れて、グラン博士は部屋から出て行った。




