第六話 「チエさん」《美咲》
あれからあっという間に一年が経った。私は本当なら高校生活を満喫しているはずなのだが高校に入れるわけもなくこの病院に入院し続けていた。
最初は友人などの見舞いも多かったのだが次第に減っていき、ついには二人だけになってしまった。みんな薄情な奴だ。死ぬとわかっている奴に近づきたくないのか、ただ単に面倒くさいだけなのだろう。
私はそんなことどうでもいいと思った。
もう夏真っ盛り。ベッドにまたがるようにしてある机の上のカレンダーを見る。七月とかかれた横にはひまわりのイラストが描いてあった。
「夏――か」
私はもう入院してそんなに経ったのか。まぁ、ここでの時間の流れは相当ゆっくりに感じる。だけど、夏だと思うと一年前を思い出した。ソフトボールの試合のこととか。
私はベッドから起き上がった。そして、スリッパを履いて点滴台の手すりに手をやって部屋を出た。金属部分がひんやりしていて気持ちがいい。
「今日はどこに行こうかな……」
もちろん、この狭く、白い四角い箱にそんな選べるような場所などない。
私は病院内を適当に歩いて回った。何をしたいというわけでもない。病院の外に出ると暑いからだ。
「快適、快適ーっ」
そんな適当な節をつけた歌を歌いながら私は歩いて回った。途中、知り合いとかに出会ったりもした。……知り合いと言ってもお年寄りが多いんだけどね。
この病院には私みたいな若い人は滅多に来ない。噂に聞いているが、何をしても死ねない少年というのがいるらしい。一年間入院しているが一度も会ったことがないのは偶然だろうか。
私はふと思い立ってチエさんのところに行くことにした。チエさんとは、私と同じがんで同じ頃に入院したおばあさんだった。確か、89歳だったかな。元気いっぱいの人で、すぐに仲良くなれた。余命宣告を軽く半年超えているスーパーおばあさんだった。
「あれ……?」
私はチエさんの病室のある廊下で立ち止まった。おばあさんの病室が開いている。……何かあったのだろうか。
私は急ぎ足で病室へと向かった。点滴台のキャスターがころころと音を立てている。リノリウムの床にスリッパの音が木霊する。
「チエさん……?」
病室は片付けられていた。ほとんどものがなくなっている。
「……美咲ちゃん」
私は振り向いた。看護婦の佐藤さんだった。いつもの柔らかい表情ではなく、硬く、辛そうな顔だった。
「チエさんね、昨夜亡くなったの」
「え……?」
私は心臓がどきっと高鳴るのを感じた。キリキリと締め付けられる感覚に陥る。
そして視線をベッドに戻す。何も無かった。窓際に置かれた『おばあちゃんへ』とかかれたメッセージカードが何枚か重ねて置いてあった。横のテーブルに飾っていた大好きなひまわりは花瓶と数枚の花びらだけを残して無くなっていた。
「そ、そんな……」
私は目頭が熱くなるのを感じた。奥から熱いものがこみ上げてくる。
「チエさん……昨日は元気だったのに……」
私は必死に涙をこらえながらそういった。
「そうなんだよね。だけど、いつ死ぬかわからない状態だったし……」
佐藤さんは私の横を通り抜けて部屋に入っていった。そして片付けを始めている。
「家族の方が大方持って行ったんだけどね。またあとで来るって」
ひらひらとシーツをまとめ上げ、抱えてこっちにやってきた。
「……お別れ、言えなかった」
ぼそりと私は言った。
「……うん」
佐藤さんはそのままナースセンターへと戻っていった。
私は一人取り残された。
……死んだ。チエさんが。私にとってそれは大きなことだった。死というものを目の前にして私は恐怖を感じた。
「私も死ぬんだ」
ぼそりとつぶやいた。
テーブルの上にあった家族で撮った写真が寂しそうに見えた。
――夏が、始まる。
開いた窓から聞こえる蝉の声がそう、告げていた。