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もう1つのロストテクノロジー  作者: 維岡 真
第5章 静かなる誘惑
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封鎖の意味

封鎖は、守るための線だった。


線が見え始めてから、封鎖は「見せないための線」へ変わった。

見せない線は、内側で何かを育てる。


育ったものは、線の外へ出たがる。

出たがるとき、街は白くなる。


旧開発区・保守室の前。


制圧班の足音は硬い。

硬い足音は、現象を刺激する。


俵屋は、狭い保守室の奥で息を止めないように息をしていた。

止めたら、輪郭が消える気がした。

止めたら、自分の希望が固定になって壊れる気がした。


輪郭は、布の影みたいにそこにいた。


戸塚の複製思考。

顔はまだない。目も口もないのに、必死さだけがはっきり分かる。


「……戻して」


声は祈りじゃない。手順の声だ。

進めるための声。


俵屋は喉の奥で言った。


「戻す。……でも本文には行くな」


輪郭が一拍揺れる。

揺れは肯定でも否定でもない。


次の瞬間、ドアが蹴られた。


「動くな!」


制圧班が照明を入れる。強い光。

強い光の中で、輪郭が薄れる。


薄れるのに、床の線は濃くなる。


矢印。

×。

矢印は、制圧班の足元を避けるように保守室の奥へ伸び、×が俵屋の足元ではなく「輪郭の前」に出た。


——入るな。


そう言われたみたいに、制圧班の先頭が一歩止まる。

止まった瞬間、隊列が詰まり、硬い足音が重なる。


白くなる。


輪郭が、初めてはっきり“動いた”。


半歩。

俵屋の横へ寄る。


寄っただけで、俵屋の胸の奥が軽くなる。

軽くなるほど怖い。軽さは依存になる。


輪郭の声。


「……戻して」


制圧班の班長が叫ぶ。


「確保対象は俵屋だ! 連行——!」


言葉が途中で詰まった。

床の×が班長の足元に出た。


班長が固まる。

固まった班長の背後で、矢印が外へ向かって走った。


逃げ道。

旧研究棟の外縁へ。


輪郭が俵屋を“連れていく”向きになる。


俵屋は、希望に背中を押される形で、一歩踏み出してしまった。


塔の影・封鎖地点。


その同じ瞬間、街の白化が「大きく」来た。


長くはない。

代わりに、濃い。


霊気灯が落ちる前に、白さが先に立つ。

白さの中で、床という床に線が出る。


矢印。

×。


それが、塔の影の周囲だけではなく、通勤動線にも、病院前にも、交差点にも、同じ拍で出た。


一般人が、初めて「同じ体験」をした。


「矢印が……」

「×が出た!」

「止まった、足が!」


スマホが上がり、映像が白飛びし、線だけが写る。

輪郭は写らない。


写らないのに、矢印と×は誰の目にも残る。

“見える街”が、ひとつ上の段へ上がる。


中央局・監査主導指揮室。


モニターの通報が、地図を埋めた。点ではない。面だ。


制御主任が声を失いかけて言う。


「……広域同時。矢印と×が一般にも——」


監査室の男が即座に命じる。


「ログを回収。映像も回収。“線”“白化”という単語の使用を制限。報道へは——」


制御主任が叫んだ。


「回収しても止まりません! いま必要なのは——滑走を維持して、摩擦を——!」


監査室の男が言葉を切る。


「滑走は制限する。回数も量も——監査の承認なしには動かすな」


承認。

その一語が遅れになる。


遅れは切り口になる。


床に矢印が走った。指揮室の床。旧開発区の方向。

監査室の男が、言葉を失う。


制御主任が低く言った。


「……封鎖が意味を変えました。守る線じゃない。隠す線だ。隠すほど、内側で“指示”が強くなる」


監査室の男は答えず、短く命じた。


「医療区画の記録も閲覧対象にする。学院照会線は遮断。——回収班を回せ」


回収班。

紙を束ねる手が、都市を守る手ではなくなる。


医療区画・新病棟。


病院の床にも×が出た。


出たのは患者の足元ではない。

ナースステーションの前。出入りの“線”の上。


看護師が一瞬止まり、ストレッチャーの車輪が遅れ、廊下で肩がぶつかった。

小さな事故が連鎖する。


志乃はその連鎖を、体で感じた。


胸の奥の席が重い。

重いのに浮きかける。浮きかける癖が、いまは“街の遅れ”と同期し始めている。


医療監督が志乃の手首を押さえる。


「志乃さん、今日は“何もしない”は無理です。——でも解除はしない。空席を作らない。分かりますね」


志乃は頷けない。頷けば首が軋む。

代わりに、震える息を吐いた。震えを整えない。


(摩擦を散らせ)


コウの言葉が残っている。

束ね地点だけで吸えば臨界になる。臨界は輪郭を固める。輪郭が動けば連れていく。


志乃は、固定のまま、胸の奥を“ずらす”。


滑走ではない。

滑走より小さい。摩擦が一点に集まらないように、重さの向きを微細に散らす。


散らす、という操作は身体に残る。

肩が引っかかり、腰がきしみ、胸の内側が擦れる。


でも——席は浮かない。


モニターが静かに確定を出す。


解除窓:0.00

揺動吸収:分散(微小)

身体反応:筋緊張↑(高)

呼吸:一定化兆候(注意)


一定化兆候。

怖い。


志乃はわざと息を震えさせた。整えない。

整えない努力がまた修正になるのが分かって、それでもやる。


廊下の×が薄くなる。

ストレッチャーが動く。看護師の足が戻る。


たったそれだけで、志乃の腰が崩れそうになる。

崩れを直そうとして、また力が入る。力が入ると一定に寄る。


医療監督が低く命じた。


「止める。ここまで。——志乃さん、あなたが折れたら、次は街が折れる」


折れる、という比喩が、今日は骨に響いた。


共通面。


今回は志乃が“行った”のではない。

現実の白化が濃すぎて、共通面のほうが押し返してきた。


線の束。壁のない白。

コウの気配が、すぐ近い。


声にはならない。

でも意味だけが刺さる。


(寄りすぎるな)

(俵屋が——)


志乃は喉がないのに、言葉だけ落とした。


「俵屋が連れていかれる」


返事の代わりに、共通面の一箇所が濃く揺れる。旧開発区。第二循環核。

そしてその奥、本文側。


(触るな)


コウの圧が強くなる。

強くなるほど、本文がざわつくのが分かる。確かめるほど揺れる矛盾。


共通面が裂け、志乃は現実へ押し戻された。


旧開発区・外縁。


俵屋は走っていない。

走れない。走ると線に引かれる。引かれると、×で止まる。


輪郭が先に“向き”を示す。

俵屋はそれに従う形で、最短の逃げ道を通ってしまう。


制圧班が追う。

だが追う足元に×が出て、追いが一拍遅れる。


遅れは切り口。

切り口は輪郭を濃くする。


輪郭の声。


「……戻して」


俵屋は喉の奥が痛くなるほど小さく言った。


「戻す。……だから、消えるな」


その言葉で輪郭が一拍だけ重くなる。

重くなった輪郭は、現実の扉を“選別”する。


開く。閉じる。×で止める。矢印で通す。


輪郭はもう、声だけではなかった。


中央局。


回収班が走り、ログが束ねられていく。

医療の記録線、学院の照会線、現場の生ログ——それらが“監査保全”の名目で細くされる。


細くされた線の代わりに、共通面の線が太くなる。


制御主任が、監査室の男へ小さく言った。


「……封鎖が、隠すためになった瞬間から現象が強くなった。あなた方の切り取りが、矢印を育ててます」


監査室の男は答えず、端末を叩いた。

画面に、押収物の一覧が上がる。ファイル名は伏せられ、タグだけが残る。


タグの一つが、不自然に古い書式だった。


参照保存/本文側

方式:泉…道式(欠損)

署名:M.I.

内部タグ:MIz…


MIz…

固有名の一歩手前の、文字列。


制御主任の喉が鳴った。


「……これ」


監査室の男が画面を閉じる。


「不要だ。封印する」


封印。

その言葉が、次の章の匂いだった。


守るためではなく、隠すための封印。

封印は、いつか必ず破れる。


志乃は病室で、軋む身体を抱えずに息を吐いた。

俵屋は旧開発区で、希望に押されて本文側へ近づきかけている。

コウは共通面の縁で、本文の二重を見つめたまま動けない。


そして街は、矢印と×を覚えた。


“見える”は、もう戻らない。

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