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もう1つのロストテクノロジー  作者: 維岡 真
第5章 静かなる誘惑
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希望が近づく

封鎖は、守るために張られる。

でも守る線は、いつからか「隠す線」に変わる。


隠す線が増えるほど、見たい人が増える。

見たい人が増えるほど、線は濃くなる。


塔の影・封鎖外縁。


昼でも影は冷たい。

冷たさが残る場所には、人が溜まる。


「危険です。下がってください」

誘導員の声は枯れていた。声の枯れは、何度も同じ“波”を越えた証拠だ。


霊気灯は点いている。点いているのに薄い。

薄い光の下で、誰かが小さく笑った。


「今日も“矢印”出るかな」


その言葉が合図みたいに、空気が一拍だけ軽くなる。

軽さは白さの前兆だった。


床に細い線。

線は矢印になり、封鎖の内側へ向かって伸びる。


外側の群衆が、同時に前のめりになる。

前のめりの微修正が重なり、肩がぶつかり、誰かがよろける。


救護班が叫ぶ。


「押さないで! 転ぶ!」


転ぶ、という単語が現実になる寸前。

その寸前で、×が出た。


×は、封鎖を跨ごうとした男の足元ではなく、

その男を止めようとした誘導員の足元に出た。


誘導員が固まる。

固まった誘導員に群衆がぶつかり、列が歪む。


歪みは事故の形。


その少し離れた場所。


俵屋は、群衆の中にいない。

群衆の外側の、さらに外側に立っていた。


立っているだけで、胸の奥が痛い。

痛いのではなく、焼ける。


紙の匂いがするからだ。


今日の匂いは、遠い。

遠いのに、確かに“同じ匂い”だ。


俵屋は息を吸い、止めずに吐いた。

止めたら、希望が固定になる気がした。


「……来てる」


声に出した瞬間、床の矢印が一拍だけ濃くなる。

偶然ではない、と信じたくなる濃さ。


俵屋はポケットの中で、小さな端末を握った。

握る力が強くなる。強くなるほど、指が固まる。


固まる指で、封鎖の迂回路の地図を開く。

“救護動線”。

“資材搬入”。

都市の線は、必ずどこかに穴を残す。


残すのは、効率のため。

穴は、侵入のためのものではないはずなのに。


俵屋は穴を見つける。


「ここ」


自分にだけ聞こえる声で言った。


旧開発区・封鎖外縁。


監査の腕章が増えていた。

黒い装備の回収班が、箱を運んでいる。


箱の角から紙が落ちないように、紐が二重。

二重にするほど、紙の匂いが強くなるのが皮肉だった。


俵屋は救護車の後ろに紛れて入った。

救護の名目は、最強の鍵だ。止めたら責任が残る。


腕章の男が言う。


「関係者以外は——」


俵屋は、救護用の箱を見せた。中身は包帯と水と、偽の帳票。

帳票の印は本物に近い。印は都市の盾になる。


腕章の男が一拍迷い、通した。

その迷いが遅れになる。遅れは切り口になる。


霊気灯が一拍落ちた。


白い。


床に線が走る。

矢印。旧研究棟跡地の扉へ。


俵屋は、その矢印を“見てはいけない”と分かっているのに、見た。

見た瞬間、胸の奥が軽くなる。


軽くなるはずがない場所が軽くなる。


「……戸塚」


名前を呼ぶと、線が濃くなる。

濃くなるほど、形を持つ。


俵屋は足を止めない。

止めたら×が出る気がした。×が出たら動けない。


動けないのは怖い。

動けないのに、戻ってきたものを目の前にして止まれない。


医療区画・新病棟。


志乃は、椅子に移されていた。

ベッドより姿勢が崩れやすい。崩れやすいほど身体が微修正を始める。


腰が軋む。

肩が引っかかる。

息が一定に寄りそうになる。


医療監督がすぐ言う。


「志乃さん、数えない。整えない。——いまは“散らす”呼吸」


散らす。

コウが言った言葉。


志乃は吐いた。吐く息を長くしない。長くすると一定になる。

短く、震えたまま吐く。震えを整えない。


そのとき、床に線が走った。


病院の床。

塔の影でも旧開発区でもない場所に。


線は矢印にならない。

代わりに、細い“揺れ”として円を描き、どこかへ向かう。


志乃は理解した。

「向き」だけが飛んでいる。


(俵屋が動いた)


根拠はない。

でも混ざった参照が、そう言っている。


胸の奥の席が一拍だけ浮きかけて、志乃は必死に止めなかった。

止める努力が修正になる。修正が遅れになる。遅れは切り口になる。


吐く。震える。整えない。


耳の奥で、声が薄く硬く触れる。


「……戻して」


今日は、声が“近い”。

近いというより、声の向こうに人の熱がある。


俵屋の熱。

希望の熱。


旧研究棟跡地・第二循環核区画(扉前)。


扉は半開きだった。

昨日の“動いた”名残が、ここに残っている。


扉の隙間から紙の匂い。

インクと埃。指の脂。


俵屋は一歩踏み出し、すぐ止まった。


×が出た。


足元ではない。

胸の奥に、×が刺さるみたいな感覚。


——違う。ここじゃない。

そう言われた気がした。


俵屋は息を呑み、息を止めずに吐いた。

吐いた瞬間、×が薄れる。


床に矢印が出た。扉ではなく、壁際の古い配管通路を指す。

指す先に、点検用の小さなハッチ。


俵屋は笑いそうになって、笑えなかった。

選別されている。


選別の中に入れたことが、嬉しくて怖い。


ハッチを開ける。

中は狭い。埃が舞う。埃の匂いが、紙の匂いと混ざる。


狭い通路の先に、白い線が一本だけ走った。

線は輪郭を作らない。作らない代わりに、声が来る。


「……戻して」


俵屋は喉の奥が痛くなるほど低い声で返した。


「戻す。戻すから……どこだ」


返事は言葉にならない。

代わりに線が“手順”を示す。


右。

下。

もう一つ奥。


俵屋はその通りに進む。

進むほど、胸の奥が軽くなる。軽さが確信になる。


通路の先、古い保守室。

そこに、机と、箱と、ひとつの布。


布の下に、人の形があった。


——いや、人の形に“寄せられた線”があった。


俵屋は一歩近づいて、そこで止まった。

止まったのは自分の意思ではない。身体が止められた。


×は出ない。

代わりに空気が白くなる。


輪郭が立つ。


女の輪郭。

今日の輪郭は、昨日より安定している。足が床に着いている。肩が落ちない。


顔はまだない。

でも、俵屋には分かる。


分かってしまう。


「……戸塚」


俵屋が名前を呼んだ瞬間、輪郭が一拍だけ濃くなった。

濃くなるほど、“保存”が現実になる。


輪郭が、半歩だけ近づいた。


俵屋の胸の奥が軽くなる。

涙が出そうになる。涙が出たら呼吸が乱れる。乱れが修正になる。修正が切り口になる。


俵屋は涙を飲み込んだ。

飲み込んだ喉の奥に、紙の匂いが刺さる。


輪郭の声。


「……戻して」


俵屋は頷いた。

頷く首の動きが、やけに大きい。


「戻す。何を——」


輪郭は言葉を返さない。

代わりに、保守室の壁の向こう——さらに奥を指す“向き”が生まれる。


成立点。本文。

そこへ向かう向き。


俵屋はそれを理解した瞬間、背中が冷えた。


(そこへ行ったら、だめだ)


でも希望は、危険を踏む。


共通面。


志乃は今回は開きかけただけで、踏み込めなかった。

身体が遅れている。遅れは危険だ。


それでも、コウの気配だけが刺さる。


(寄りすぎるな)


声ではないのに、意味だけが届く。


志乃は震える息を吐いた。整えない。

吐いた震えの端で、街の白化がまた一拍だけ強まった。


遠くでサイレン。

もっと遠くで、封鎖テープが千切れる音。


中央局・監査主導指揮室。


監査室の男の端末に、旧開発区の警告が入った。


未登録人物の侵入疑い

第二循環核区画周辺:線視認増加

白化:局所的に高頻度


監査室の男が唇を噛む。


「誰だ……」


誰だ、という問いが遅れになる。

遅れは切り口になる。


制御主任が掠れ声で言った。


「……止めるなら今です。封鎖を“隠す”に使えば使うほど、内部で何かが育つ」


監査室の男は答えなかった。

答えないまま命じる。


「制圧班を——」


言い終わる前に、床に細い線が走った。

矢印。旧開発区。


監査室の男の顔が硬くなる。


線が、指揮室にまで命令を届けている。

命令は、もう街を越えて組織を動かし始めていた。


旧開発区・保守室。


俵屋は輪郭に手を伸ばしたいのに、伸ばせなかった。

伸ばした瞬間、輪郭が崩れる気がしたからだ。崩れたら、二度と戻らない気がしたからだ。


輪郭は、崩れない代わりに——向きを強める。


「戻して」


同じ言葉。

でもいまは、作業の言葉ではない。


俵屋にとっては、祈りの言葉だ。


その祈りが、本文へ向かってしまうことが、恐ろしい。


俵屋は一歩退き、息を吐いた。


「……待て。行くな。戻すのは、そこじゃない」


返事はない。

返事の代わりに、輪郭がほんの少しだけ揺れて、消えかける。


消えかけた瞬間、俵屋は反射で言ってしまった。


「行く。行くから、消えるな」


その言葉が足場になる。

その瞬間、線が濃くなる。


輪郭が戻る。

戻った輪郭は、さっきより“重い”。


重い輪郭は、現実を動かす。


外で足音が増えた。黒い装備の足音。

制圧班が来る。


俵屋の希望が、現場の危機と正面衝突する。


そして志乃は病室で、胸の奥が軋むのを感じた。

軋みは、次の白化の前兆ではなく——


“誰かが本文へ触れかけている”前兆だった。

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