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もう1つのロストテクノロジー  作者: 維岡 真
第5章 静かなる誘惑
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合流線

旧開発区で何かが動いた、という報告は「事件」ではなかった。


都市の文章では、こう言い換えられる。


未承認系統における予備励起

影響:評価中

対応:監査主導で封鎖強化


評価中。

その二文字が、現場の遅れになる。


遅れは切り口になる。


学院・医療工学棟の小部屋。


古本は、机いっぱいに紙を広げていた。旧式図面、議事録の写し、黒塗りの縁が残るコピー。

中央局から来たログは薄い。秒以下が丸められ、備考が削られている。薄いほど切り取りが分かる。


西野が端末を握ったまま立っている。握っている自覚があるのに力が抜けない。


「旧開発区、制圧班が入った」西野が言った。「……誰かがキー回したって」


古本は頷かない。頷く代わりに、紙の端を指で叩いた。


「キー“だけ”なら偶然で済む。でも——線が×で人を止めて、矢印で選んだ。これは偶然じゃない」


西野が吐き捨てる。


「じゃあ誰だよ。誰がやってんだよ」


古本は答えない。答えは固有名になる。固有名は足場になる。

まだ早い。


代わりに古本は、封筒の写真(現場報告の添付)を画面に出した。


剥げたスタンプ。判読できる二文字。


魔 泉


西野の喉が鳴る。


「……これ、街でも言われ始めてる」


古本が低い声で言った。


「だから急ぐ。怪談になる前に、記録にする。監査の“適正化”が入る前に、原形のまま押さえる」


西野が言う。


「どうやって。封鎖だぞ」


古本は紙束から一枚抜いた。学院→医療区画へ既に通している“医療連携”のフォーマット。名目は揺れと転倒事故の解析支援。


「名目を変える。研究じゃない。事故再発防止の技術支援。旧開発区で搬送が出た以上、医療連携の範囲にできる」


西野が目を見開く。


「……父さん使うか」


古本は即答した。


「使う。私情じゃない線で」


西野が端末を操作する。短い文を送る。

“旧開発区の封鎖線へ、医療工学の事故解析班として立ち会いを入れたい。許可線が欲しい。”


返事はすぐ来ない。

来ない間に、部屋の霊気灯が一拍だけ薄くなる。


西野が反射で窓を見る。窓の外は普通だ。普通なのに、薄い。


「……まただ」


古本は窓を見ない。紙を見る。紙の縁。黒塗りの縁。

縁は足場になる。


「灯が薄い日は、線が増える」古本。「線が増える日は、資料が消える」


西野が苛立ちを抑えて言う。


「消される前に取る、ってことか」


古本が頷く代わりに、ペンで紙に書いた。


目的:押収前の“原形”保全

手段:医療連携(事故解析)/現場立会い/複製線確保

禁止:固有名の断定(足場化)


その「禁止」の下に、古本は二文字だけ書いた。


M.I.


旧開発区・封鎖外縁。


封鎖テープの向こうで、黒い装備が動いていた。

制圧班ではなく、回収班。箱を運び、封筒を詰め、紙を束ねる手つき。


そこへ、救護車が一台入る。出てくる。

出入りのたび、封鎖の意味が変わる。


守るための線が、隠すための線に寄っていく。


回収班の足元に、白い線が一瞬走った。

矢印ではない。短い、切れ端みたいな線。


回収班の一人が立ち止まる。


「……いま、見たか」


「見てない。動くな」班長。


動くな、という言葉の直後に霊気灯が一拍落ちた。

白くなる。


床に×が出る。

×は、班長の足元ではない。箱を抱えた若い回収員の足元だ。


若い回収員が固まる。腕に力が入ったまま抜けない。


「……すみません、足が」


班長が苛立つ。


「演技するな。運べ」


演技ではない。

演技という言葉で片付けた瞬間、現象は“命令”になる。


若い回収員の箱が、腕の力が抜けないまま傾く。中から紙束が落ちる。

紙が床に散る。


散った紙の一枚に、二文字のスタンプが押されていた。


魔泉。


班長がそれを見て、顔色を変える。


「拾え。すぐ回収——」


その瞬間、床の線が矢印になった。


矢印は、落ちた紙ではなく、奥の扉を指す。

第二循環核区画のほうへ。


回収班の全員が同時にそちらを見る。

見た視線が束になり、白さが一拍だけ濃くなる。


輪郭が立ちかける。


女の輪郭。顔はない。

でも、歩く気配だけがある。


班長が咄嗟に叫ぶ。


「見るな!」


遅い。

見た時点で、記録が増える。


中央局・監査主導の指揮室。


監査室の男が、声を整えて命じる。


「旧開発区、押収物はすべて監査保全。映像は編集の上——」


制御主任が耐えきれず言った。


「編集は切り取りだ。いまは切り取るほど増える」


監査室の男は冷たく返す。


「増えたとしても、見せなければ社会は落ち着く」


その論理が正しいなら、昨日の駅前は起きない。

波は「見せない」で止まらない。


そこへ、旧開発区から短い報告が入る。


『回収中、線視認。押収物散乱。スタンプ“魔泉”確認。扉方向へ矢印——』


監査室の男の眉が動く。


「報告書のその語は使うな。“魔泉”は通称だ」


制御主任が小さく言った。


「……もう通称じゃない。現場のスタンプだ」


監査室の男は一拍黙り、低く言った。


「物証はすべて回収。外に出すな。学院照会は——拒否」


拒否。

拒否は線を細くする。線が細くなるほど、別の線が太くなる。


“共通面”の線が。


学院。


西野の端末が震えた。父から。


いま許可線を出すと逆効果。監査が噛んでる。

ただし「救護・再発防止」名目なら封鎖外縁への立会いだけ通る。

今日中。急げ。


西野が古本を見る。


「外縁だけだって」


古本は即答する。


「十分だ。外縁で“出入りするもの”を押さえればいい。回収物は必ず通る。——切れ端を拾える」


「拾えるって……」


古本は紙束を封筒に入れ、立ち上がった。


「切れ端でいい。切れ端は、黒塗りより正直だ」


二人は走った。走る音が廊下に響き、霊気灯が一拍だけ薄くなる。

薄くなるたび、足元に線が走りそうで、西野は視線を落とした。


線は見えない。

でも“向き”だけは、もう街中にある。


医療区画。


志乃は、今日は声が少ないと思っていた。


少ないのではない。

声が「遠くで動いている」だけだ。


遠くで動くものほど、近づくときが怖い。


医療監督が端末を見て、短く言った。


「旧開発区、また動きました。回収中に線視認。……現象が作業に干渉してる」


志乃は頷けない。頷くと首が軋む。

代わりに、息を吐いた。吐く息が震える。整えない。


その震えの端で、胸の奥の席が勝手に“向き”を変える。


塔の影。

旧開発区。

そして、そのさらに奥。


耳の奥に、短い硬さ。


「……戻して」


お願いではない。

確認でもない。


次の手順へ進む声だった。


志乃の腰が、きし、と鳴った。

痛みではなく、遅れの音。


遅れは切り口になる。

切り口は、街の外縁まで広がる。


今日、学院が外縁へ行く。

その線が繋がったとき、何かが“合流”する予感がした。

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