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もう1つのロストテクノロジー  作者: 維岡 真
第5章 静かなる誘惑
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動く

三条がいなくなると、現場は止まる。


止まるのは機械じゃない。

命令の通り道だ。


通り道が止まれば、遅れが増える。

遅れは切り口になる。


中央局・暫定指揮室。


監査室の男が、責任者席に座っていた。

座った瞬間に、部屋の空気が“書類”の匂いに変わる。


制御主任が言う。


「束ね地点——塔の影。人流が偏向してます。救護が限界です。滑走は維持しないと散ります」


監査室の男は、言い方を整える。


「未承認手順は停止方向で検討する。まずは状況を——」


「検討してる間に転ぶ」制御主任。


監査室の男が眉を動かす。


「現象は治安案件だ。封鎖を拡大する。——旧開発区もだ」


地図の端、旧開発区に赤が付いた。

赤は封鎖の色。


その瞬間、現場から音声が割り込む。


『旧研究棟、扉が……また勝手に開きました。床の矢印が——人が入ろうとして×で止まって、動けなく——』


「人が入るなと言え」監査室の男。


『言っても、足が……足が——』


言葉が途切れた。

通信が白いノイズで薄まる。


制御主任が喉を鳴らす。


「……“指示”が強くなってます。×で止められた人が呼吸を乱して倒れかけた。これ、もう“見える”じゃない。“動かす”です」


監査室の男は、言葉を選び直す。


「……現場へ制圧班を入れる。資料は回収。扉は物理封鎖」


「物理で止まるなら、もう止まってる」制御主任が小さく言った。


監査室の男は聞こえないふりをした。


「滑走は停止——」


言いかけた瞬間、床に白い線が走った。


指揮室の床。

今まで最も“現象から遠い”はずの場所。


線は矢印になり、旧開発区の方向を示すように向きを持った。


監査室の男が、初めて言葉を失う。


制御主任が掠れ声で言った。


「……ほら。場所を選ばない」


監査室の男は、床の矢印を見たまま、低く言った。


「……滑走は“暫定維持”。ただし監査立会いで、回数と量を制限する」


制御主任は頷かなかった。頷く余裕がない。

ただ、操作盤へ手を伸ばした。


止められない。

止めた瞬間に、散る。


旧開発区・旧研究棟跡地(第二循環核区画)。


制圧班が来た。黒い装備。硬い足音。

硬い足音は、線を刺激する。


床に矢印。

矢印の先に扉。扉の先に暗い廊下。


班長が命じる。


「扉を固定。内側を確認。——入るのは三名まで」


三名、という数字が出た瞬間、床の線が反応した。


矢印が揺れ、×が二つ増えた。

×は、班長と、その隣の隊員の足元に出た。


班長が一歩動けない。

動こうとすると、膝が笑いそうになる。体が勝手に止まる。


「……何だ、これ」


残った一人の隊員の足元に、矢印が寄った。


寄った、という表現が一番近い。

線が“選んだ”。


隊員が息を呑む。


「俺、ですか」


隊員の声は冗談にならない。

周囲がその声に反応して視線を集めた瞬間、白さが一拍だけ濃くなった。


扉が、さらに開いた。


隊員が一歩入る。

その足元を、矢印が先導する。


廊下の奥、机。引き出し。封筒——ではない。


今日は違った。


矢印は机を素通りし、壁の制御盤へ向かった。

制御盤の前で、線がいったん止まる。止まって、形を変える。


「ここ」と言うみたいに、丸が描かれた。


丸の中にあるのは、古いスロット。手動キーの差し込み口。

隊員が手を伸ばす。


伸ばした瞬間、背後の空気が白くなる。


輪郭が立った。


女の輪郭。

昨日までより濃い。肩の線、首の線、髪の線。——そして、足。


足が床に着いている。


隊員は見えていない。一般人には輪郭は“線の集まり”にしかならない。

だが、そこにいた班長だけが、喉の奥で震える声を出した。


「……人影——」


その声が、輪郭を固める。


輪郭が、一歩動いた。


歩いた。


ほんの半歩。

それだけで、廊下の空気が変わる。紙とインクの匂いが満ちる。


「……戻して」


声はここでは“音”ではない。

手順の圧だ。


隊員の指が、勝手に動いた。

自分の意思より先に、キーを差し込む。


班長が叫ぶ。


「やめろ! 触るな——!」


叫んだ瞬間、班長の足元の×が濃くなり、声が途中で詰まった。

声が出ないのではない。出したくても身体が止める。


隊員がキーを回す。


回した瞬間、壁の奥で低い唸りが返る。

遠くの配管が息を吸う音。


第二循環核が——“起きかける”。


医療区画・新病棟。


志乃の胸の奥の席が、突然、横に滑った。


滑走をしていない。

触れていない。


勝手に“向き”だけが変わる。


腰がきしんだ。胸の内側が引っかかった。指先が固まる。

固まりを直そうとする衝動が来て、来た瞬間に呼吸が一定に寄りそうになる。


医療監督が志乃の手首を押さえた。


「掴まない。——志乃さん、いま何か来た?」


志乃は目を閉じなかった。

閉じたら引かれる。


でも、引かれた。


共通面が針穴ではなく、裂け目で開いた。


共通面。


白い。線の束。都市の低い周期。

そして、今日は“足音”がある。


コウが先に言った。


「動いたな」


志乃は声にするだけで重くなるのを感じながら言う。


「……戸塚が?」


コウは名を繰り返さない。代わりに、線の一点を指した。


旧開発区。第二循環核。

そこで、線が機構に接続している。


「履歴が、操作になった」コウが言った。

「観測が成立して、手順が通った。——第三段階だ」


志乃の背中が冷える。


「止められる?」


コウの答えは速い。


「止めるな。止めると散る。——寄せろ」


「寄せる場所は塔の影……でも、いま旧開発区で——」


コウが遮る。


「本文から遠ざけろ。成立点に触れさせるな。触れれば街全体が共通面になる」


共通面が街全体になる。

それは“見える”では済まない。


志乃が言う。


「でも、戸塚は“戻す”って——戻す対象が機構なら、成立点へ——」


コウの目が一瞬だけ鋭くなる。


「だから危うい。——戻す先を変えろ」


「どうやって」


コウは志乃の胸の奥——席を見た。


「切り口の向きで、線の矢印を曲げろ。……できなければ、お前の身体が先に折れる」


現実の腰が、ここでも重く軋んだ。

軋みは、答えだ。


共通面の端で、女の輪郭がまた一歩動いた。


志乃は、確かに見た。

顔はまだない。なのに、意図だけがある。


戻す。

戻す。

戻す。


手順の声。


旧開発区・第二循環核区画。


制御盤のランプが、一つだけ点いた。

点いた色は、都市の通常の色ではない。白い青。


隊員が呆然と呟く。


「……動いてる」


動いてはいけない。

止まっているはずの場所だ。


班長がようやく足を動かせた。×が薄れた瞬間だけ、体が戻る。


「キーを抜け! 抜いて——」


隊員がキーに手を伸ばす。

伸ばした瞬間、今度は隊員の足元に×が出た。


隊員が止まる。


止まった隊員の背後、廊下に矢印が浮かび、外へ向かって走った。

外へ。塔の影へ。——そして、その先へ。


矢印は“次の場所”を示している。


輪郭が、廊下の奥でふっと薄れる。

薄れながら、声だけが残る。


「……戻して」


お願いではない。

命令でもない。


作業の確認みたいな硬い声だった。


中央局。


旧開発区から、数値が上がってきた。

止まっていたはずの系統が、息を吸った痕跡。


制御主任が画面を見て凍る。


第二循環核:予備励起(微小)

参照保存:断続同期(未承認)

市内揺動:波形再編(兆候)


監査室の男が言う。


「誰が動かした」


制御主任は声が出ない。

“誰が”ではない。誰でもない。線が動かした。


その問いの遅れが、また切り口になる気がした。


医療区画。


志乃の胸の内側が、息を吸うだけで軋んだ。

軋みが痛みに変わる前に、遅れが増える。


医療監督が小さく言った。


「志乃さん……街の通報が変わってきてる。『線が動かした』って」


志乃は震える息を吐いた。

吐いた震えを整えない。


整えないまま、はっきり思った。


輪郭が立った。

指示が出た。

そして、機構が動いた。


もう次は、誰かの身体を“連れていく”形で来る。



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