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もう1つのロストテクノロジー  作者: 維岡 真
第5章 静かなる誘惑
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聴取

呼び出しは、塔の揺れより静かに来た。


通知音ひとつ。

「上層聴取。至急。」

たったそれだけで、現場の手が一本消える。


中央局・暫定指揮室。


三条は端末を閉じた。閉じ方が丁寧すぎて、逆に速い。


制御主任が顔色を変える。


「三条さん、いま抜けたら——」


「俺が抜けないと、もっと抜かれる」三条は言った。

「聴取は口実だ。権限を剥がすために呼ぶ」


監査室の男がすぐ乗る。


「越権運用の説明が必要です。あなたの署名で滑走を——」


三条は監査を見ないまま、制御主任へ言う。


「ログを切るな。秒以下も備考も、残せる範囲で残せ。切られたら“波”が説明できなくなる」


「備考は監査適正化で——」


「だから残せる範囲で、だ」


残せる範囲。

都市の言葉でできる最後の抵抗。


三条は机の端に紙を一枚置いた。手書き。簡単な条件分岐。


揺動 2.5s超 → 滑走(微小)

線視認が“散る”兆候 → 束ね地点優先

解除窓は常に 0.00

異常時、医療区画へは触れない(固定維持)


制御主任がその紙を見て喉を鳴らす。


「……これ、命令書じゃない。あなたの——」


「俺の手順メモだ」三条。

「責任は俺が持つ。だが、俺が居ない間に“止める”と言い出すやつが必ずいる。止めるな。止めたら散る」


監査室の男が苛立ちを抑えた声で言う。


「ここはあなたの私物置き場ではない」


三条は初めて監査を見た。


「私物じゃない。街の骨だ」


それだけ言って、三条は指揮室を出た。


扉が閉まる音は小さい。

小さいのに、室内の空気が一段薄くなった。


上層・聴取室。


窓がない。霊気灯の白さだけが均一で、均一さが怖い。


卓上に置かれた書類は三種類だった。


監査室の要約(危険・逸脱・停止)

医療側の抽出(侵蝕・身体負荷・切り口)

交通管制の速報(波・白化・旧式注記)

議長役の役員が言った。


「三条。あなたは未承認手順で塔運用に介入した。市民事故も出た。説明しろ」


三条は椅子に座らない。立ったまま答える。


「介入しなければ事故は増えた。——実際、停止に近い遅延が出たのは監査封鎖のせいだ」


監査室の男が聴取室にも同席していた。即座に被せる。


「封鎖は安全確保だ。あなたが医療措置を盾に運用変更を——」


「盾にしたのは上だ」三条。

「志乃を基準に寄せた時点で、人間の身体が都市の部材になった。部材が削れるのを放置して、都市の安全だけ語るのは矛盾だ」


役員の一人が苛立って指を叩く。


「感情論はいい。今は“白化の波”が拡散している。説明が要る。原因は何だ」


原因。


その単語が、切り取りの始まりだと三条は知っている。

原因を一つにすると、誰か一人に押し付けられる。


三条は言った。


「原因は単独ではない。塔の成立点参照に旧式注記が断続的に出ている。ログを見れば——」


監査室の男が即座に言う。


「旧式テンプレートの残骸です。無関係」


役員が問う。


「無関係なら、なぜ今出る」


監査室が言葉を探す間に、三条が続けた。


「今出るものは、今の現象と繋がる。繋がるものを“無関係”として切り取るほど、現場の遅れが増える。遅れは切り口になる」


議長役が眉を寄せる。


「切り口、という言葉は——」


「現場の言葉です」三条。「言葉を禁じても現象は止まりません」


役員の別の一人が資料をめくって言った。


「市民が“魔泉”という語を使い始めている。統制対象だ。あなたはそれをどう見る」


魔泉。

二文字の噂が、ついにこの部屋まで来た。


三条は短く言った。


「名前未満が足場になる。統制して消せば、余計に形を持つ。——消すより、扱え」


役員が目を細める。


「扱う? 怪談を?」


「怪談にしたのは切り取りだ」三条。

「現象は波だ。波を止めるなら、束ね地点を維持し、滑走を続けるしかない。解除は空席になる。空席は——」


三条は言いかけて止めた。

“狙われる”と口にした瞬間、議事録が“侵入”の単語で固まるのが見えたからだ。


役員が言う。


「結論を言え。滑走を続けるのか、止めるのか」


三条は即答した。


「続ける。止めれば散る。散れば事故が増える」


議長役が、淡々と告げた。


「あなたにその判断を任せるのは危険だ。——即時、運用責任者権限を停止する。監査室へ移管する」


三条の喉の奥が一拍だけ硬くなる。

予想していた。だからこそ、息を乱さない。


「志乃の医療記録の保全権限は」


議長役が言う。


「医療は医療だ。……ただし、運用への影響が疑われる記述は監査が閲覧する」


閲覧。

それは切り取りの前段階。


三条は言った。


「閲覧は構わない。だが削除はさせない。削除した時点で、次の事故の責任は監査が負う」


監査室の男が冷たく言う。


「脅しですか」


三条は目を逸らさず言った。


「予告だ」


議長役が机を叩いた。


「十分だ。——三条、退室。今後の指示は監査経由で下ろす」


三条は一礼もしない。

ただ、立ったまま言った。


「現場は波の中です。机の上で切った線は、人を倒します」


そう言って退室した。


扉が閉まった瞬間、聴取室の空気が少し軽くなる。

軽くなるのは、責任の置き場ができたからだ。


誰もが安心する。

その安心が、一番危ない。


中央局・暫定指揮室。


三条の権限停止通知は、到着が早かった。

都市の文章は、現象より速く走る。


監査室の男が満足げに言う。


「これで適正化できる。滑走は停止——」


「止めたら散る」制御主任が口を滑らせた。

自分で言って、自分の声に怯える。


監査室が冷たく見る。


「散るかどうかは推測だ。未承認手順は停止する。——責任は監査が持つ」


その言葉を言い切った瞬間。


地図の束ね地点が、濃く白くなった。


点ではない。波でもない。

“選別”の白さ。


ログが勝手に割り込む。


線視認:矢印/× 増加

白化:短時間・高頻度

人流:封鎖地点へ偏向

旧開発区:扉開放報告(継続)


制御主任の手が震える。


「……いま止めたら、束ね地点が破れる」


監査室の男が言う。


「止める。止めるために権限を——」


その瞬間、塔近傍から緊急音声が入った。救護班の声。切羽詰まっている。


『封鎖地点、押し合い! 矢印が出て、人が前へ——! ×が出て、動けない人が——!』


監査室の男の顔色が、ほんのわずか変わる。

数字ではなく、声になった途端に現実が入ってくる。


制御主任が言った。


「……監査さん。止めるなら、今ここで署名してください。止めた結果の転倒も、白化も、全部あなたの責任になる」


監査室の男は一拍だけ黙った。


責任の署名は、怖い。

怖いからこそ、都市は誰かに押し付ける。


その一拍の沈黙が、遅れになる。


遅れは切り口になる。


霊気灯が一拍落ち、指揮室の床に細い線が走った。

矢印の形。旧開発区方向。


制御主任が息を呑む。


「……ここにも出るのか」


監査室の男が、床の線を見た。

線を見るのは初めてではない。だが、“指揮室で”見るのは初めてだ。


線が、場所を選ばなくなっている。


医療区画・新病棟。


志乃は、息が一定に寄りそうになるのを必死に止めていた。

止める努力が修正になる。修正が軋みになる。軋みが遅れになる。


遠くの波が、体の中に入り込んでくる。


医療監督が小声で言った。


「三条さん、権限停止です」


志乃の胸の奥の席が、重く沈む。

沈んだ瞬間に、逆に浮きかける。矛盾の揺れ。


「……じゃあ、誰が」


「監査が主導です」医療監督。「——つまり、“止める”方向へ切ります」


切る。


その単語を聞いた瞬間、床に白い線が走った。

矢印。塔の影。旧開発区。


耳の奥に声。


「……戻して」


志乃は息を止めない。

止めれば固定へ寄る。固定は削る。


吐いた息が震えた。

震えを整えない。


その震えの端で、共通面が針穴のように開きかける。

コウの目の感触が、すぐそこにある。


でも今日は、声にならない。


声にならないまま、志乃は理解する。


三条が切られた。

次は、現場の手が止められる。


止められた瞬間、束は破れる。

破れた瞬間、街が白くなる。


そして白い中で、“指示”はもっと強くなる。


医療監督が志乃の手首を押さえた。


「掴まない。いまは足の裏。——志乃さん、今日だけは何もしないで」


何もしない、が一番難しい日が来た。

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