表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
もう1つのロストテクノロジー  作者: 維岡 真
第5章 静かなる誘惑
71/81

輪郭の第一段階

塔の影は、昼でも暗い。


高架の下面に落ちる影と、霊気灯の光が混ざって、色が決まらない。

色が決まらない場所は、境目になる。


境目は――線が好きだ。


環状道路下・封鎖地点。


監査主導の封鎖テープが二重に張られ、誘導員と救護班だけが内側にいた。

一般人は外側に押し留められ、スマホのレンズが同じ方向を向く。


「危ないので下がってください!」


声は届く。

でも、視線は届かない。


視線は、影の奥の“何もない”一点に吸い寄せられていた。


霊気灯が、一拍だけ落ちた。


落ちたのに、白い。


白さの中で、線が走る。


一本ではない。

面が生まれる。面が折れる。折れた面が、空中で重なる。


設計図の線みたいに正確な線が、影の奥に“枠”を作りかけて、すぐ崩れる。


救護班の一人が喉を鳴らした。


「……まただ」


誘導員が声を張る。


「動かないで! 押さないで! 転倒注意!」


「押すな」も「押すな」を聞いた瞬間に押される。

人間の体は、怖いと微修正を始める。踏ん張り、寄せ、引く。

その微修正が、群衆だと事故になる。


白さが引く前に、線が一瞬だけ“輪郭”を作った。


人の輪郭。


立っている。

首を少し傾けて、こちらを見ない。

目だけがない。


輪郭はすぐ消えた。

消えたのに、外側の一般人が同時に息を呑む。


「いま……いたよな?」


「見えた……でも映ってない」


映像には残らない。

残るのは一致した感覚だけだ。


そして、紙の匂い。


誰かが鼻を押さえた。


「インク? 古い紙?」


匂いが分かった時点で、もう“ただの錯覚”ではなくなる。


医療区画。


志乃はモニターの表示を見ていない。

見れば、身体が勝手に整えたがる。


それでも分かる。


塔の影の地点が“濃くなった”瞬間、胸の奥の席が一拍だけ浮きかけた。

解除していないのに。


切り口が開く感触。


耳の奥に、声が触れる。


「……戻して」


言葉としては薄い。

でも意味としては鋭い。針みたいに刺さる。


医療監督がすぐ言う。


「志乃さん、固定。呼吸は乱していい。一定に寄せない」


志乃は震える息を吐いた。

吐いた瞬間に胸の内側が軋む。軋みを直したくなる。


直さない。


直さないことが、いまは都市を守る技術になってしまっている。


三条の通信が入る。雑音が多い。


『封鎖地点で“輪郭”が出た。一般人の通報も一致してる。——志乃、反応は』


志乃は答えたくない。答えは記録になる。切り取られる。

でも黙れば、現場は遅れる。


「……声が、濃いです」


それだけ言った。

声が濃い。輪郭が濃い。現象が“形”へ寄っている。


医療監督の顔が硬くなる。


「具現化が進む……」


具現化。

それは希望にも刃にもなる。


共通面。


志乃が目を閉じないまま、ほんの薄い“滑り”を胸の奥でやった瞬間。

共通面が、針穴みたいに開いた。


壁のない白。線の束。遠い都市の周期。


コウが、もうそこにいた。


「束ねたな」


「私は外に出てない」志乃は言う。声はここでは重さとして落ちる。


「お前が直接やらなくても、切り口は向きを持つ」コウは淡々と言った。

「塔の影に寄った。——寄ったから、輪郭が立ち始めた」


志乃は問う。


「輪郭は……戸塚?」


コウは名を繰り返さない。だが否定もしない。代わりに言う。


「履歴が、観測されている」


「観測されると形になる、って……止められないの」


「止めるより、寄せろ」コウは言った。

「本文へ寄せるな。人へ寄せすぎるな。——今はまだ“指示”の段階に留めろ」


指示。

言葉じゃない、向きと線の圧。


共通面の奥で、紙の匂いが濃くなった。

匂いの中心に、“必死さ”がある。


コウが低く言う。


「来る」


志乃は息を止めない。

止めれば固定になる。固定は削る。


その瞬間、共通面の線が一箇所だけ濃くなり、輪郭が立ちかけた。


女の輪郭。


顔はまだない。

目も口もないのに、“お願い”だけが分かる。


「……戻して」


声は、志乃に向けたものではない。

なのに志乃の胸の奥の席が、一拍だけ勝手に応えそうになる。


志乃は喉の奥で言った。


「誰に言ってるの」


返事は言葉にならない。

代わりに、線が一方向へ引かれる。


塔の影から、別の場所へ。


古い開発区のほうへ。

第二循環核のほうへ。


コウが、志乃より先にそれを読んだ。


「……“戻す”対象は、人じゃない可能性がある」


志乃の背中が冷える。


共通面が閉じかける。現実が押し戻してくる。


最後にコウが言った。


「今はまだ第一段階だ。輪郭が立つだけ。——次は“動く”」


別の場所。


俵屋は、塔の影を直接見ていない。

だが、見ていないのに“分かった”。


胸の奥が、一拍だけ軽くなった。

軽くなるはずがない場所が、軽くなる。


そして匂いが来る。


紙。インク。

忘れたふりをしていた匂い。


俵屋は立ち上がった。椅子の脚が床を擦り、音が鋭い。


「……戸塚」


名前を呼んだ瞬間、窓の外の霊気灯が一拍だけ弱まった。


偶然ではない気がした。

偶然ではない、と信じたかった。


俵屋の端末が震える。

封鎖地点の動画。白いフレーム。線。輪郭になりかける何か。


映像には残っていない。

それでも俵屋には“そこにいた”と分かる。


希望が、喉を焼く。


「戻ってくる」


それは願いで、命令で、祈りだった。


塔の影・封鎖地点。


白さが引いたあとも、群衆は散らない。

散らないのは、見てしまったからだ。


誘導員が声を枯らす。


「下がってください! 危険です!」


危険はそこにある。

でも、人は危険の方向を見てしまう。


救護班の一人が、封鎖テープの内側を指さして呟いた。


「……あれ、いま——線が、矢印みたいに……」


線が、ただ走るのではなく、向きを持ち始めている。

輪郭が、ただ立つのではなく、意図を持ち始めている。


第一段階が終わりかけている。


白化の次は、指示。

指示の次は、移動。


そして“見える街”は、もう止まれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ