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もう1つのロストテクノロジー  作者: 維岡 真
第4章 優しさの接点
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奪いに来る

「止めろ」は、技術の命令じゃない。

政治の命令だ。


政治の命令は、現象を止めない。

止まるのは現場の手だけだ。


中央局・暫定指揮室。


塔を中心にした地図が、昨夜からずっと点滅している。

点は増えていく。増え方が悪い。


放射状ではない。

通勤路でもない。


「塔の影」みたいに、ある方向へ寄り始めていた。


制御主任が喉を鳴らす。


「……点が“束”になってきてる。自然に? 誰かが誘導してるみたいに」


監査室の男が即座に言う。


「誘導は違反だ。誰がやっている」


誰が。

責任の矢印が、すぐ“人”へ向く。


三条は地図から目を離さず言った。


「違反でもいい。散らばれば事故が増える。束ねた方が止められる」


監査室が噛みつく。


「それは推測だ。承認されていない手順で市民を——」


「市民はもう動かされている」三条が遮った。「線が見える時点で、誰かが“引いている”。こちらが束ねなければ、向こうの都合で束ねられる」


制御主任が、塔側補助環の操作画面を開く。

そこに、昨日までなかったラベルが追加されている。


位相安定補助:滑走(暫定)

承認:未

実行:可(責任者入力)


責任者入力欄が、空白だ。

空白は穴だ。穴は足場になる。


監査室の男が言う。


「滑走は停止する。未承認手順だ。事故の原因の可能性がある」


三条が答える。


「停止すれば、揺れは三秒に戻る。白化は散る。転倒が増える。——それを議事録に載せるか」


監査室の男が一拍詰まる。

責任を載せたくない沈黙。


その沈黙の間に、地図の一点が濃くなった。


塔近傍。影側。

束が、できる。


制御主任が小さく言った。


「……滑走、効いてる。揺動は落ちてるのに、線視認の通報は“束の地点”に集中し始めた」


集中。

束ね。


三条の喉の奥に、昨日の共通面の言葉が刺さる。


(街が見る前に)


監査室が言う。


「集中しているなら危険だ。封鎖する。塔近傍のその地点を立入禁止に——」


「それがいい」三条は即答した。

監査室が一瞬だけ表情を変える。味方を取られた顔。


三条は続ける。


「封鎖は“止める”ためじゃない。“束ねる場所を守る”ために使え。一般人を近づけるな。救護班と誘導だけ入れろ」


監査室の男が冷たく言う。


「あなたが指示する立場ではない」


三条は、責任者入力欄に自分のIDを打ち込んだ。


実行責任者:三条


入力音は小さい。

でも部屋の空気が硬くなるには十分だった。


監査室が言う。


「越権だ。停止命令を出す」


三条は画面から目を離さずに返す。


「出せ。止めたいなら、止めた指で署名しろ」


塔近傍・環状道路下。


封鎖テープが引かれ、誘導員が声を張っていた。


「こちら通れません! 迂回してください!」


迂回の先には、渋滞がある。

渋滞の先には、苛立ちがある。苛立ちは、視線を上げる。


霊気灯が一拍だけ落ちた。


群衆の数人が、同時に足を止めた。

止めたのは恐怖ではなく、吸い寄せられたような“間”だった。


白い線が、アスファルトの上を走る。

走った線が、封鎖テープの内側へ向かう。


誘導員が息を呑む。


「……また出た……」


一般人は言葉を持たない。

持てないまま、同じ方向を見る。


見た先には何もない。

何もないのに、“そこにいる”感じだけがある。


救護班が声を張る。


「座って! 立ち止まらないで! 転ばないように!」


転ばないように、と言われた瞬間に転ぶ。

足が、自分のものじゃないみたいに遅れる。


白さが引く。

引いたあとも、紙の匂いだけが残る。


医療区画・新病棟。


志乃は、ベッドの端に座らされていた。

座らされる、という形が安全のはずなのに、身体は勝手に“座り直し”を始める。


止まれ、と言う前に止まらない。


胸の奥の席が重い。

重いのに、方向がある。


塔の影へ、引かれる。


(束ねられてる)


束ねているのが誰かは分からない。

けれど、束ねられているのは確かだ。


医療監督が低い声で言った。


「中央局から連絡。監査が“滑走停止”を出す可能性。……三条さんが抵抗してる」


志乃は短く聞く。


「止めたら……どうなる」


医療監督は一拍置いて言った。


「散ります。白化地点がまた広がる。事故が増える」


志乃の腰が、きし、と鳴った。

軋みが強い。今日は座っているだけで強い。


そこへ、ノックもなく扉が開く。


監査室の男。例の当人だ。

背後に二人。封筒。腕章。


「医療措置の範囲を超えている」監査室の男が言った。「被験者を運用区画へ戻す。滑走は停止する。——命令だ」


医療監督が前へ出る。


「命令の根拠は」


監査室が封筒を掲げる。


「上層の暫定決裁。市内事故発生に伴う安全確保」


安全確保。

その言葉が、志乃の喉を硬くする。


志乃は息を止めそうになって、止めなかった。

止めれば固定へ寄る。寄れば削れる。


三条がいない。

ここは医療区画。線で守られているはずの場所。


監査室の男が、志乃を見た。


「綾崎志乃。あなたの状態は市民の安全に影響している。協力してもらう」


協力、という言葉が、剥奪の予告に聞こえる。


医療監督が冷たく言う。


「患者に対する強制移送はできません。あなた方に医療区画の指揮権はない」


監査室が言い返す。


「なら医療判断を停止する。撤回権の運用要件を——」


その瞬間、病棟の霊気灯が落ちた。


短い。鋭い。

暗くなるのではなく、白くなる。


志乃の胸の奥の席が、勝手に一拍だけ浮きかけた。

解除していないのに。


切り口が開く。


床に線が走る。

線は監査室の男の靴元をかすめ、廊下へ向かい、塔の方角へ伸びる。


監査室の男が息を呑んだ。


「……何だ、今の」


医療監督が答えた。


「これが現象です。あなた方が“止める”と言うたび、現場は遅れます。遅れは切り口になる」


線の中に、一瞬だけ輪郭が立ちかけた。


人の形。

でも顔はない。声もない。


その代わり、“必死さ”だけが濃い。


志乃の耳の奥が、紙の匂いで満ちる。


「……戻して」


監査室の男が、反射で一歩下がる。

その一歩が、廊下の看護師を驚かせ、誰かが転びかける。


医療監督が低く命じた。


「動かないで。——転ぶ」


監査室の男は、初めて「現象が人を動かす」場面を目の前で見た。

切り取りではなく、現実として。


志乃は、喉の奥で言った。


「……止めても、消えません」


監査室の男が志乃を睨む。


「脅しか」


志乃は首を振れない。振ると軋む。

ただ、短く言う。


「予告です」


学院。


古本の机の上には、閲覧室で写した旧式図面のコピーが広がっていた。

黒塗りの縁。欠けた名前。式名。署名。


「泉□道」


西野がその欠けを指で押さえた。


「次は、これが出るんだろ。街に」


古本は答えず、端末の速報を見る。


塔近傍:白化通報 集中傾向

封鎖準備:監査主導

手順:滑走停止命令(未確定)


古本が低く言った。


「滑走を止めたら散る。散ったら事故が増える。——だから監査は止めきれない」


西野が言う。


「じゃあ何で止めようとするんだよ」


古本は淡々と言った。


「主導権を奪うためだ。止めるか続けるかは本質じゃない。——誰の手で動くかが本質」


中央局。


監査室の停止命令が、正式文書として上がってきた。

しかし署名欄が空白だった。


止める責任を、誰も書きたくない。


三条は、その空白を見て言った。


「封鎖は続けろ。束ね地点は“保護”として扱え。救護班だけ入れろ。滑走は維持。——俺の署名はもうある」


制御主任が震える声で言う。


「三条さん、上が切りに来ます。あなたを」


「切らせない」三条は短く言った。「切られるなら、切り口ごと持っていく」


その言葉の意味を、誰もまだ理解できない。

だが地図の一点は、理解していた。


塔の影に、束ができる。

束ができるほど、輪郭が濃くなる。


白化は止まりかけているのに、通報は止まらない。

止まらないのは、“見た”という事実が消えないからだ。


そして、見られるほど形を持つものがある。


それが次に出てくるのは、もう「一瞬」では済まない気がした。

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