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もう1つのロストテクノロジー  作者: 維岡 真
第4章 優しさの接点
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共通面(二度目)

霊気灯の落ちる間隔が、妙に揃い始めていた。


揃う、というのが嫌だった。

一定は固定へ寄る。固定は削る。

削れたら戻らない。


志乃はベッドの端に座ったまま、息を数えないように息をした。

数えなければ整えたくなる衝動が減る。

減った衝動の分だけ、体の軋みがはっきり聞こえる。


肩の奥。胸の内側。腰の芯。

どこも痛みになりきらないまま、引っかかる。


医療監督がモニターを見て言った。


「塔近傍の通報が増えています。『線』『白い』『匂い』がもう共通語になり始めた」


共通語。

共通面が、言葉まで侵し始める。


「今日は解除なし。滑走もなし」医療監督が続ける。「あなたの身体が先に摩耗する」


摩耗。

“滑走”は摩擦だから、その言葉は正しい。


志乃は頷こうとして、首の奥がきしむのを感じ、やめた。


そのとき。


霊気灯が落ちた。


短い。だが、落ち方が違う。

暗くなるのではなく、白くなる。


白さが、床から立ち上がる。

病室の隅から、線が一本、伸びる。


線は天井に向かわない。塔の方向へも向かわない。

志乃の胸の奥へ向かう。


(切り口)


志乃は息を止めない。

止めたら固定へ寄る。寄れば削れる。


吐く。震える。整えない。


線の先で、空気が一瞬だけ薄くなる。

薄くなったところに、足音が滑る。


紙の上を滑るような音。


志乃は目を閉じなかった。

閉じると、引かれる。


目を開けたまま、共通面が開く。


白い部屋ではない。


壁も床もない。

空中に、薄い線が束になって漂っている。

都市の周期が、遠くで低く鳴っている。


志乃はここでも“軋み”を感じた。

軋みは痛みにならず、重さとして体の中心に沈む。


「また来たか」


青年の声。

コウはいつも、現れ方が静かだった。

こちらを見ていないのに、こちらの混ざりを測っている目。


志乃は言った。


「私が呼んでるんじゃない。勝手に開く」


コウは短く返す。


「街が見始めた。通路が太くなった」


志乃は線の束を見た。

束の中に、ところどころ黒い縁がある。黒塗りの縁。足場の縁。


「……塔側で何が起きてるの」


コウは線の奥――暗い一点を指した。


「本文が、擦れてる」


本文。成立点。

そこが揺れれば、街が白くなる。


志乃は息を呑む癖を抑え、言葉を続けた。


「擦れるって、どういうこと」


コウは線を一本、指でなぞった。

なぞっただけで、紙の匂いが一瞬立つ。インク。指の脂。


志乃の背中が冷える。


「誰かが“書き込んでる”」コウが言った。「塔の参照に、後から」


「第三の位相?」


コウは首を振らない。頷きもしない。

代わりに言う。


「名付けるな。名付けると固まる。固まると、足場になる」


志乃は唇を噛み、すぐ緩めた。

噛む力が修正になる。


「じゃあ、何ができる。私は——」


コウが志乃の胸の奥を見る。

“席”の位置を見ている目だ。


「お前は、隙を作ると引かれる。もう解除で呼吸する段階じゃない」


「滑走に切り替えた」


「滑走は効く」コウは言った。「だが摩耗する。お前の身体が先に壊れる」


志乃は答えなかった。

答えは現実の軋みだ。


コウが続ける。


「滑走は“擦る”動きだ。擦ると履歴が出る。履歴が出ると、声が濃くなる」


志乃の喉が硬くなる。


「……戸塚」


コウは一拍置いて言った。


「そう呼んでるのか」


呼んでる、という言い方が違う。

志乃が名付けたのではなく、志乃が“そう理解した”だけだ。


志乃は問う。


「戸塚の複製思考は、これから具現化する。街が見始めたから。——止められる?」


コウはすぐ答えない。

線の束の中から、細い裂け目を探すように目を動かす。


「止める、は無理だ」コウが言った。「観測が始まった。観測されたものは形を得る」


志乃は胸が軋むのを感じた。


「じゃあ、どうする」


「形を“寄せる”」コウ。


「寄せる?」


コウは線を二本、交差させ、わずかにずらした。

交差点が、ほどけずに滑る。


「暴走する形に寄せるな。本文に触れる形に寄せるな。——街で起きるなら、起きる場所を限定しろ」


志乃は理解が追いつかない。


「限定って、どうやって」


コウは志乃を見る。初めて、視線がまっすぐ来る。


「お前が“切り口”の向きを変える」


向き。

切り口には向きがある。


志乃は喉が焼けるような感覚で言った。


「でも私は、動けない。医療区画にいる。外に出たら——」


「外に出るな」コウは遮った。「出たら引かれる。引かれたら、街が白くなる」


志乃は息を吐いた。吐いた息がここでは“重さ”として落ちる。


「じゃあ、ここで何を」


コウが言う。


「“場所”を作れ」


志乃は眉を寄せる。


「場所?」


コウは線の束の中に、微かに点滅する地点を示した。塔近傍の地図のような配置。


「白化が出てる地点がある。点が増える前に、点を“束ねる”」


束ねる。

点を集める。危険を寄せる。


「そんなことしたら、被害が」


「被害はもう出てる」コウの声は乾いている。「散らばるより、束ねた方が止められる」


志乃は思い出す。駅前の転倒事故。

散らばる白化が、人を倒した。


「……束ねる場所を、どこに」


コウは言葉を選んだ。

選んだ言葉は短い。


「塔の影」


塔の影。

近い。危険だ。だが、近いほど制御に届く。


志乃は吐き気を飲み込んだ。

飲み込む動作が修正になり、胸が軋む。


「私が束ねたら、戸塚は——」


コウは、線の束の端にある“紙の匂い”を見た。


「声は濃くなる。輪郭も濃くなる。——だが、本文から遠ざけられるなら、まだましだ」


まだまし。

救いじゃない。選択肢の中の毒の薄さだ。


志乃は言った。


「あなたは、何のためにそこまで」


コウは少しだけ黙った。

黙り方が、答えを隠す黙りだ。


それでも一つだけ落とす。


「塔が落ちるのを見たくない」


見たくない。

それは感情だった。薄いが確かに人の感情。


「……あなたは塔の味方なの?」


コウは首を振る。


「味方じゃない。危ういから見る。見るから、止めたくなる」


志乃は胸の奥を押さえた。押さえる手がここでは見えないのに、重さだけが変わる。


「危ういって、どこが」


コウが線の束の暗点――成立点の方向を見た。


「本文が、最初から“二重”だ」


志乃の背中が冷える。


「最初から?」


コウが頷く。


「後から書き込まれたんじゃない。最初から、保存のための道がある。——それが今、表に漏れてる」


保存。


学院が見つけた言葉。意識保全。

紙の線が、ここで繋がる。


志乃は言った。


「学院が“意識保全”って注記を見つけた。署名が欠けてた。M…って」


コウの目が、一瞬だけ鋭くなる。

履歴の匂いを嗅いだ目。


「……名前に触れるな」コウが低く言う。「名前は足場になる」


「でも、もう出てる。紙に」


「紙にあるなら、いずれ線になる」コウは言った。「だから急げ」


志乃は震える。


「何を急ぐ」


コウは最後に、志乃の胸の奥を指した。


「隙の形を変える。切り口の向きを変える。——お前の身体が壊れる前に」


共通面が、ざわりと揺れた。

現実側の霊気灯が戻る気配がする。戻りの波が、ここを押す。


コウが言う。


「戻れ。いま戻らないと、向こうで呼吸が一定になる。一定になれば固定だ。固定は削る」


志乃は言い返したかった。

でも、その通りだった。


共通面が裂ける。線がほどける。

紙の匂いが引く。


最後にコウの声が落ちた。


「塔の影に、点を束ねろ。——街が見る前に」


志乃は病室に戻っていた。


モニターが、静かに警告を出している。


呼吸:一定化兆候

筋電:上昇

揺動:塔近傍で増加


医療監督が志乃の手首を押さえた。


「志乃さん、戻って。いまここ。——息を乱していい。整えないで」


志乃は震える息を吐いた。

吐いた息が軋みを連れてくる。軋みを直したくなる。


直さない。


頭の中に、塔の影という言葉が残っている。

危険を束ねる場所。被害を集める場所。

それでも散らばるよりましだという、毒の薄さ。


その日の午後、塔近傍の通報地図に新しい印がついた。

点が増えるのではなく、ある一点が濃くなる。


誰かが、束ね始めている。

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