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もう1つのロストテクノロジー  作者: 維岡 真
第4章 優しさの接点
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切り取りの順番

会議室は窓がない。

窓がない部屋ほど、街の揺れを「数字」でしか感じない。


数字だけで感じる人間は、切り取りが上手い。


上層会議室。


卓上に、同じ出来事を別々の形にした紙が並んでいた。

監査室の「要約」。医療側の「抽出」。交通管制の「速報」。市民通報の「一覧」。


監査室の男が、要約を指先で押さえた。


「市内で“線視認”が多発。原因不明。運用は不安定。基準位相の特殊運用(間欠・滑走)の影響が疑われます。従って——固定復帰が必要です」


役員が、通報一覧をめくる。


「“線が見えた”“白くなった”“紙の匂い”……冗談みたいだな」


「冗談ではありません」監査は淡々と続ける。「集団の錯誤が事故を生みます。錯誤の原因を潰すべきです」


医療監督が、医療抽出を机に置いた。

置き方が静かなのに、音が重い。


「錯誤ではありません。運用ログに同期が出ています。医療区画での固定保持中にも、“席が浮きかける兆候”が出た。解除隙がなくても切り口が開いている」


監査の男がすぐ返す。


「“切り口”という用語は非公式だ。議事録に残すべきではない」


「残すべきです」医療監督。


役員の一人が苛立ったように指を叩く。


「言葉遊びはいい。責任は誰が取る。街で転倒事故が出てる。報道も入る」


その「責任」の単語に、空気が一段冷える。

誰もが、責任を置く場所を探し始める。


三条は席に座っていない。壁際に立ったまま、淡々と言った。


「固定に戻せば、参照侵蝕が進む。志乃が削れる。削れれば戻らない」


「個人の健康と都市の安全は別だ」別の役員が言う。


三条は目を逸らさない。


「別ではない。今は基準が人間に寄っている。寄せたのはあなた方だ。都合のいいときだけ装置、都合が悪いときだけ個人——それは許されない」


監査室の男が挟む。


「撤回権が運用を妨げている。要件を上げるべきです。医療措置という抜け道も塞ぐ」


医療監督の眉がわずかに動く。


「塞いだ瞬間に、“切り取られた記録”だけが残ります。記録が切られれば、現象は“消えたことにされる”。消えたことにされた現象は、次に必ず大きく返ってくる」


役員が問う。


「医療側の抽出は、監査要約と何が違う」


医療監督が、抽出の一行を指した。


解除窓:0.00(固定維持)

共通面兆候:視認報告増加(一般)

備考:参照主体の入替 疑い(N=1)※医療記録保全


監査室の男がすぐに被せる。


「その備考は推測だ。混乱を生む。削除する。提供範囲は“客観ログ”のみとする」


三条が低く言った。


「客観ログから“秒以下”と“備考”を削れば、客観ではなくなる。あなたの都合になるだけだ」


監査が言う。


「適正化だ」


適正化。

紙の端が揃う言葉。


そのとき、会議室の隅のモニターが点いた。

交通管制の速報が、勝手に割り込んできた。


塔近傍:線視認通報 追加(12件)

霊気灯:局所落ち 3.0秒

信号同期:遅延 発生

注記:成立点参照 ※旧式

署名:M…(欠損)


役員の視線が一斉にモニターへ吸い寄せられる。

“旧式”という単語が、空気にひっかかる。


監査室の男が即座に言った。


「テンプレートの残骸です。無関係」


三条は、モニターの一行から目を離さずに言った。


「無関係なら、なぜ今出る。今出るものは、今の現象と繋がる」


役員が短く命じた。


「調べろ。だが今は——街の安全が先だ。固定復帰の準備を進めろ」


医療監督が言い返す。


「固定復帰は“見える現象”を抑えても、内側の侵蝕を進めます。志乃が壊れれば、次は誰が基準を担う?」


「代替はある」監査室の男が言う。「補助環で——」


「補助環だけでは足りないのは、もう分かっているはずだ」三条。


会議室の空気が、誰かに押し付ける方向へ傾く。

その瞬間、役員が言った。


「では、こうだ。志乃の撤回権の“運用”を見直す。医療措置の適用範囲も限定。現場判断を減らす。——責任は監査が持て」


監査室の男がわずかに詰まる。

持ちたくない責任が、落ちてきた。


三条はその間に、一枚の紙を机に滑らせた。


封鎖解除の条件:


医療記録の保全権限の維持

監査の“適正化”は原本突合必須

滑走維持(仮)の暫定承認(医療・運用共同)

役員が紙を見た。


「三条。条件を出す立場か?」


三条は淡々と言った。


「条件を出す。出さないと、街が倒れる。——いまも通報が増えている」


医療区画。


会議室の紙が動く頃、現場の扉が動く。


病棟の廊下を、監査の部下が早足で歩いてきた。手に封筒。封筒の赤い印が、強い。


「医療監督。命令書です」


医療監督が受け取る前に、三条が現れた。息が乱れていない。乱れていないのが不気味なほど速い。


「開封は俺の前でやれ」


部下が封筒を開ける。紙の音が、やけに大きい。


命令:被験者の運用区画への再移送

理由:市内異常現象の原因調査

付記:医療措置の適用停止(監査判断)


医療監督の顔色が変わる。


「停止? 医療判断を監査が——」


部下は冷たく言う。


「監査判断です。安全確保が最優先」


安全確保。

その言葉が、志乃の部屋の壁越しにも聞こえた気がした。


志乃はベッドの上で、息を止めそうになって止めなかった。

止めれば固定へ寄る。固定は削る。


けれど“移送”は、動かす。動かせば軋む。軋めば遅れる。遅れれば切り口が開く。


医療監督が小さく言った。


「移せば、街に線が増えます。いまは街が“見始めた”段階です。ここで揺らせば——」


「揺らすな」三条が部下を見て言った。「この命令書は上層決裁前だ。保留する」


部下が目を細める。


「保留の権限は——」


三条は一歩寄り、声を落とした。


「俺が持つ。撤回権の運用責任者は俺だ。医療区画の安全は医療監督だ。監査が奪うなら、奪う責任を今ここで署名しろ」


部下が言葉を失う。

責任の署名は、誰もしたくない。


その沈黙の隙に、廊下の霊気灯が一拍だけ落ちた。


短い。けれど鋭い。


「……まただ」誰かが呟く。


床に、細い線が走った。

白い線が、壁の角を曲がり、志乃の部屋の前で止まる。


部下が息を呑む。


「今のは——」


医療監督が答える。


「これが“実社会に影響する現象”です。あなたが運ぶなら、あなたの足元に線が出る」


線は、すぐ消えた。

消えたのに、空気に紙の匂いが残る。


志乃の耳の奥に、薄く声。


「……戻して」


志乃は目を閉じないまま、震える息を吐いた。

震えを整えない。


三条が、部下へ言い切った。


「命令書は預かる。上へは俺が出す。——勝手に動かすな。街がもう見ている」


部下は歯を噛み、引き下がった。引き下がりながら、腕章を触っている。腕章は盾だ。盾は、今は役に立たない。


学院。


古本の端末に、短い通知が入った。

医療連携照会の“限定提供”ではない。別の線。


交通管制ログ:旧式注記抽出(未確定)

署名欠損:M…


古本は画面を見て、紙に一文字だけ書いた。


「M」


西野が見て、眉を寄せる。


「何だよ、それ」


古本は答えない。答える前に、確認が要る。


ただ、古本の指が止まらない。

次のページへ、古い施工記録の索引を開く。


“旧式”は、必ずどこかに人の名前を残す。

残した名前は、いつか固有名になる。


医療区画。


志乃の部屋の前の廊下で、誰かが小さく言った。


「……線、病院にも出るんだ」


志乃はその声を聞きながら、胸の奥の席が重くなるのを感じた。

重いのに、浮きかける。矛盾した感覚が同時に来る。


共通面の具現化は、もう「塔の近く」だけじゃない。

塔を中心に、通り道が増えている。


三条が志乃の部屋に入ってきた。顔は変わらない。変わらないまま、目だけが硬い。


「志乃。上が動く。監査が“運用へ戻せ”と言ってきた」


志乃は短く聞く。


「……戻したら、どうなる」


三条は答えた。


「街の点が増える。お前の身体が先に折れる。——だから、戻させない」


志乃は息を吐いた。吐いた息が震えた。

震えを整えない。


その震えの向こうで、紙の匂いが消えずに残る。


そして志乃は、はっきり思った。


切り取り合戦が始まった以上、次に動くのは“紙”じゃない。

人が動く。運ぶ。奪う。封鎖する。


その動きのたびに、街がまた一瞬だけ白くなる。

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