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もう1つのロストテクノロジー  作者: 維岡 真
第4章 優しさの接点
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滑り

警告音は、同じ高さで鳴り続けると「背景」になる。

背景になった瞬間が、いちばん危ない。


医療区画のモニターが、赤いまま点滅している。

赤が常態になりかけていた。


志乃はベッドの上で、息を吸うたびに胸の内側が引っかかるのを感じていた。

引っかかりは痛みじゃない。痛みになる一歩手前の、軋み。


医療監督が声を張る。


「固定のまま! 解除はしない! 呼吸を一定に寄せない!」


一定、という言葉が刺さる。

刺さったぶんだけ、志乃の身体が“整えよう”とする。


整える衝動が起きた瞬間、腰の奥がきし、と鳴った気がした。


(やめろ)


やめろ、がもう修正だ。


廊下の霊気灯が、また落ちた。


今度ははっきり長い。

一拍、二拍、三拍――戻らない。


遠くで誰かが叫ぶ声。ストレッチャーの車輪が走る音。

病院の音が、都市の揺れに飲まれ始める。


三条が端末に怒鳴った。


「塔側、何が起きてる! 揺れの秒数は!」


返答はノイズ混じりだった。


『――3.1秒。区域落ちが出てる。交通管制が遅延――』


3.1秒。


志乃の背中が冷える。

この数字は「市民が気づく」境目だ。


医療監督が即座に指示する。


「予備電源、切替。生命維持系優先。――志乃さん、いま動かないで。動くと身体が勝手に修正を走らせる」


動かないで、と言われた瞬間、志乃は逆に自分がどれだけ微修正で身体を支えていたかを知る。

動かないことすら、いまは技術だ。


ドアが開いた。


封鎖腕章。監査の男が入ってくる。後ろに二人。

室内の空気が一段硬くなる。


「医療区画での異常同期、確認した」監査の男が言う。「被験者を運用区画へ戻す。ここは封鎖対象だ」


医療監督が前へ出る。


「移送は不可能です。いま塔の揺れが出ている。移動中に解除隙が生じれば、再侵入リスクが跳ね上がる」


「再侵入?」監査の男は眉を動かす。「検出不能のものを理由にするのか。――結局、あなた方は制御を手放したくないだけだ」


三条が低い声で言った。


「手放したくないのは上だ。志乃を“固定”に閉じ込めて、数字だけ安定させたい」


監査の男の視線が、ベッドの志乃へ刺さる。


「綾崎志乃、あなたは――」


「本人への尋問は医療の妨害です」医療監督が切った。


その瞬間、霊気灯がもう一度落ちた。

今度は、病室の時計が一拍遅れるみたいに、表示がズレた。


志乃の胸の奥の席が、勝手に浮きかけた。


解除していないのに。

誰も操作していないのに。


“切り口”が開く感触。


白い線が、視界の端に走った。

壁紙の模様ではない。空中に引かれた線。


耳の奥で、女の声。


「……戻して」


同時に、青年の目の感触が近づく。

見られているのに、見えない。


志乃は反射でベッド柵を掴みかけた。

掴む力が一定を作る。一定は固定へ寄る。固定は削る。


医療監督がすぐ志乃の手首を押さえた。


「掴まない。いま、足の裏。冷たいところだけ」


志乃は足の裏を感じようとする。

努力が修正になって、腰が軋む。


(……隙の形を変えろ)


コウの声が、現実の音より先に浮かぶ。


三条が医療監督へ、短く言った。


「ここで揺れを止められないと、上は“固定復帰”を決裁する。志乃が削れる。――今、手が要る」


医療監督は一瞬だけ歯を食いしばり、それから言った。


「解除はしない。解除は隙になる。……代わりに、ずらします」


監査の男が眉を寄せる。


「ずらす?」


医療監督は答えない。志乃を見る。


「志乃さん。あなたがさっき話した、“座ったまま動かす”。できますか」


志乃の喉が焼けている。


言葉にすると切り取られる。

けれど、いま切り取られているのは言葉じゃない。都市そのものだ。


志乃は小さく頷いた。頷きで首がきしむ。


「……やります」


監査の男が一歩詰める。


「勝手な――」


三条が遮った。


「医療措置だ。止めたければ、止めた責任を取れ」


監査の男の目が細くなる。

だが、霊気灯がまた落ち、廊下の向こうで悲鳴が上がった。止める余裕が薄れる。


医療監督が小型補助環の設定を変える。画面に新しい項目が出た。


[基準位相:滑走維持(仮)]

方式:固定保持+微小位相ずらし(空席なし)

目的:揺動吸収/解除隙の回避

注意:身体負荷↑/参照主体の同期兆候

空席なし。

その言葉だけが救いだった。


志乃は目を閉じない。閉じたら白い部屋が来る。


胸の奥の席に触れる。触れる、というより、重さを感じる。

そこに座ったまま、座面を滑らせる。


ずらす。


ずらす、という操作は解除より地味で、だからこそ身体に摩擦を残す。

摩擦が、軋みになる。


肩が引っかかる。腰が鳴る。胸の内側が擦れる。

それでも席は浮かない。


浮かなければ、隙はできない。


志乃は歯を食いしばる。食いしばりが修正になりそうで、すぐ顎を緩める。

緩めた瞬間、呼吸が一定に寄りそうになって、わざと吐く。


吐く息が震える。

震えを整えない。


補助環が、ごく弱く“押す”。押し返すのではない。滑りを助ける押し。


モニター。


滑走量:+0.03

揺動吸収:上昇

解除窓:0.00(維持)

身体反応:筋緊張↑(中)

志乃の腰が、きし、と大きく軋んだ。

軋みが痛みに変わりかけて、視界の端が白くなる。


白い線が、また走る。

走った線の向こうに、青年の輪郭が一瞬だけ見えた気がした。


声はない。

でも“そこじゃない”という感触だけが来る。


志乃は、ずらし方を変える。

座面を横に滑らせるのではなく、ほんの少し“回す”。


回す、という感覚にした瞬間、紙の匂いが薄れる。

戻して、の声が遠のく。


(いける)


その一拍後に、病棟の霊気灯が戻った。

暗さが引いて、色が戻る。


廊下の叫び声も、遠のく。

世界がもう一度「現実」へ戻る。


三条が端末を耳に当てたまま言った。


「……揺れ、落ちた。何秒だ」


返答。


『1.1秒まで低下。区域落ちは止まった――何をした?』


三条は医療監督を見る。

医療監督は志乃を見て、静かに言った。


「空席を作らずに、揺れを吸った」


監査の男が、初めて言葉を失った顔をした。

そして次の瞬間、その顔が“管理”へ戻る。


「その手順は承認されていない。即時停止――」


志乃が、かすれた声で言った。


「止めたら、また三秒に戻る」


監査の男が志乃を見下ろす。


「それは推測だ」


志乃は、推測じゃないものを言う。


「身体が……もう、戻し方を覚えてます。解除しなくても、勝手に浮く。いまの揺れは、私の中の“切り口”と繋がってる」


医療監督がすぐに補足する。


「身体反応ログも取れている。解除窓ゼロで揺動吸収が上がった。危険性評価はこれからだが、少なくとも“固定復帰一択”ではない」


監査の男は黙り、部下へ視線を投げた。

部下がメモを取る。紙の上を滑る音。


その音に、志乃の背中がまた冷えた。


紙の匂いが、戻りかける。


(切り口は、閉じてない)


閉じたのは揺れだけだ。

切り口は、まだ開いたまま薄く繋がっている。


志乃の胸の内側が、息を吸うだけで軋んだ。

軋みの向こうで、青年の目の感触がまだ残っている。


見られている。

そして今度は――志乃だけじゃない。


廊下の向こうで、看護師が小さく呟くのが聞こえた。


「……いま、線が見えた気がした」


医療監督と三条の顔が同時に硬くなる。


志乃は、喉の奥で息を呑んだ。


共通面が、個人の中だけに留まらなくなり始めている。

塔を媒介にして、“共通”が本当に共通になりかけている。

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