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もう1つのロストテクノロジー  作者: 維岡 真
第4章 優しさの接点
63/81

共通面

新しい病棟の表示灯は青かった。

青は安心の色のはずなのに、志乃の胸の奥の席は重いままだった。


廊下に出た瞬間、足の裏が少しだけ温かくなる。

その温かさに身体が寄りかけて、腰の奥がきしむ。


(寄るな)


寄るな、という意志が、また修正になる。

修正が積み上がって、呼吸の端が引っかかる。


医療監督が前を歩きながら言った。


「ここから先は医療区画の管理。監査の腕章は入れません。入れさせない」


三条は短く返した。


「頼む」


その「頼む」が、都市の言葉じゃない響きを持っていて、志乃は一瞬だけ顔を上げた。

上げた首の奥が、きし、と鳴る。


搬送先の個室。


ベッドに座らされ、抑制環は付けないまま、代わりに身体モニターだけが増えた。

胸に電極。指先に酸素。腰に筋電のバンド。


「今日は解除はしません」医療監督が言う。「固定のまま。揺れは外で吸う」


“吸う”という言葉が、また胸に引っかかった。


志乃は頷く代わりに、息を吐いた。

吐いた息が震えた。震えを整えない。


そのとき――霊気灯が、今度ははっきり暗くなった。


一拍。二拍。

さっきより長い。


部屋の機器が一斉に表示を変える。


霊気循環:揺動 上昇

スカイ・ピラー:出力位相 微小逸脱

医療区画:自律維持 継続

注意:参照侵蝕リスク(基準固定中)


医療監督が顔を上げた。


「……揺れが来た。整流室じゃないのに、ここまで波が触れる」


三条が即座に通信端末を取る。


「中央、状況。揺れの波長は」


返事はノイズに混じって短い。


『塔側で補正が入ってない。監査封鎖の影響で介入が遅れてる』


介入が遅れている。

遅れは、志乃の身体の遅れと同じ言葉だった。


志乃の腰が、反射で軋んだ。


(やめろ)


やめろ、と言う前に、胸の奥の席が勝手に“座り直し”を始める。

固定のままなのに、微修正が走る。


走った微修正は、筋肉に出る。

指先が固まる。肩が上がる。呼吸が一定に寄る。


一定は危険。

志乃はわざと吐く。吐いた瞬間、胸の内側がきし、と大きく引っかかった。


モニターが鳴った。音は控えめだが、部屋の空気が変わる。


「筋電、跳ねた」医療監督。「握り込み、強い。志乃さん、見て。ここ。いま、足の裏――」


志乃は足の裏を感じようとした。


感じようとした、その努力の端で。


“席が浮く”感覚が来た。


解除していないのに。

機器も作動していないのに。


胸の奥が一瞬、空席になる。


空席は狙われる。

その恐怖が脳より先に身体を動かし、志乃はベッドの縁を掴みかけた。


掴む前に、視界が白く跳ねた。


白い部屋ではない。


白さはある。けれど壁がない。床もない。

代わりに、薄い線が無数に走っている。設計図の線に似ているが、紙ではなく、空中に引かれた線だ。


遠くで、都市の音がする。

霊気灯の低い唸り。交通信号の同期音。塔の深い呼吸みたいな周期。


志乃は立っていないのに、倒れてもいない。

身体の軋みだけが、ここでは“重さ”として存在していた。


(ここが……共通意識?)


誰かの言葉じゃない。

志乃の理解が、勝手にその名前を選んだ。


線の向こうから、足音が来た。


紙の上を滑るみたいな、軽い音。


青年が現れる。

前に見たときより、輪郭がはっきりしている。


服の色も曖昧なのに、目だけは相変わらず正確だった。

こちらを見ていないのに、こちらの“混ざり”を測っている目。


青年が言った。


「来たか」


声は若い。乾いている。

怒っていない。慰めてもいない。事実を置くだけの声。


志乃は喉がないのに、言葉が出た。


「……あなたが、ここを作ったの?」


青年は首を小さく振る。


「塔が作る。俺は通るだけだ」


「通るだけで、私の中に入れるの」


青年の視線が、志乃の胸の奥――見えない席の位置に落ちた。


「入ってない。お前が塔に繋がってる。繋がってるから、ここができる」


志乃は息を呑む。息の動きはここにはないはずなのに、“呑む”感覚だけが残っている。


「“戻して”って声……戸塚の声は、あなたが――」


青年は言葉を切った。


「俺じゃない」


言い切りは早い。否定の仕方が、嘘ではないと感じさせる。


志乃は続ける。


「じゃあ、どうして私が聞くの。どうして、私が――」


青年が線を一本、指でなぞった。

なぞった線が微かに光り、そこから紙の匂いが立つ。インク。指の脂。


志乃の背中が冷えた。


青年が言う。


「履歴が滲んでる。塔は溜める。溜めたものは、圧が変わると漏れる」


「圧?」


「お前の“呼吸”だ。固定と解除じゃない。緩みと戻し。その端で、漏れる」


志乃は歯を食いしばる癖が出て、ここでも“重さ”が増した。


「じゃあ、私が呼吸しなければいいの?」


青年はすぐ答えない。

代わりに、線の束の奥――暗い一点を指さした。


「呼吸は止められない。止めたら固定になる。固定は削る。削れたら、戻らない」


志乃の胸がきしんだ。

青年が言ったことが、志乃の身体の現実と一致する。


「……あなた、何を知ってるの」


青年の目が、志乃を“見る”側に一瞬だけ寄った。


「俺は、霊気の過去が見える」


その言葉が、唐突なのに自然だった。

この空間そのものが、過去の集積だからだ。


志乃は問う。


「じゃあ、私が見たものも? 白い部屋も、線も、戸塚も」


青年は頷いた。


「見える。だから、ここにいる」


「何のために」


青年は少しだけ口を閉じた。

言うべきでないことを飲み込む動き。


それでも、次の言葉は落ちた。


「戻すためだ」


“戻す”という単語が、志乃の体の軋みと同じ手触りで響く。

同じ単語なのに、意味が違う。


志乃は一歩――踏み出せないのに、距離が縮まる感覚で詰め寄った。


「何を戻すの。誰を。どこへ」


青年は、線の束をもう一度なぞった。

なぞった瞬間、遠くで塔の周期が一拍だけずれる。


そのずれに合わせて、志乃の胸の奥の席が浮きかけた。


志乃は叫ぶ。


「やめて!」


青年の手が止まった。

止まった瞬間、空席が戻る。席が沈む。志乃の“重さ”が少し軽くなる。


青年が低く言った。


「お前が叫ぶと、ここが固まる」


志乃は息を整えたくなる衝動を抑えた。

整えると一定になる。一定は固定。


「……ここは何。塔の中?」


青年は首を振る。


「塔の中じゃない。塔を媒介にした“共通面”だ。お前の席と、俺の通路が交差すると、ここができる」


志乃は震える。


「じゃあ、私が弱るほど、ここができるの?」


青年の目が、ほんの少しだけ細くなる。感情ではない。計算だ。


「お前が遅れるほど、隙が伸びる。隙が伸びるほど、通れる」


志乃の腰が、現実の痛みを思い出したみたいに軋んだ。


「……私は、利用されてる」


青年は否定しない。肯定もしない。

ただ、言葉を選ぶ。


「お前は、塔の“本文”に近い」


本文。

青年が唇だけ動かした気がした言葉。


志乃は問う。


「本文って何」


青年は、線の束の奥の暗点を見た。


「成立点。原点。塔が“自分”を参照する場所」


志乃の背中が冷える。第三の位相が塔を掴んだ場所。

そこへ、青年の言葉が繋がる。


「そこを触るな」志乃は言った。「触ったら、都市が――」


青年が、初めて“人”みたいに眉を動かした。


「もう触られてる」


その一言で、線の束の奥がわずかに震えた。

震えは、塔の微小揺動と同じ周期だ。


志乃は唇が乾く。


「じゃあ、私はどうすればいい」


青年は、志乃の胸の奥を見た。


「席を守れ。空席を作るな」


「でも呼吸は必要だって言った」


青年は短く言う。


「隙の形を変えろ」


「形?」


青年は線を二本、指で交差させた。

交差した瞬間、紙の匂いが消え、代わりに無臭の白が広がる。


「解除で空けるな。ずらせ。滑らせろ。座り直しじゃない。“座ったまま動かせ”」


志乃は理解が追いつかない。けれど、直感はそれが“次の手”だと告げた。


「……そんなこと、できるの」


青年の返事は冷たいほど現実的だった。


「できなければ、削れて終わる」


その言葉が痛い。

痛いのに、嘘じゃない。


志乃は青年の顔を見ようとした。

見た瞬間、青年の目がこちらを正確に捉えた気がした。


「あなたの名前は」


青年は一拍だけ黙り、短く言った。


「コウ」


姓は言わない。

言わないこと自体が、ここが“危険な線”だと示している。


志乃が「コウ」と反復した瞬間、共通面がざわりと揺れた。

塔の周期が、現実側で大きく揺れたのが分かる。


青年が言う。


「戻れ。今の揺れは、お前の身体が耐えない」


志乃は叫びたい。


「待って。戸塚は――俵屋は――」


青年は、線の束の奥を一瞬だけ見た。

その視線だけで、志乃は“戻して”がどこに向けられているかを察しそうになった。


察した瞬間。


現実側のモニターの警告音が、ここまで貫いてきた。


高い音。

切り口が開く音。


共通面が裂ける。線がほどける。紙の匂いが逆流する。


青年の声が最後に落ちた。


「次は、隙じゃなく切り口で来る。気をつけろ、志乃」


志乃はベッドの上に戻っていた。


喉が焼け、肺が痛い。

腰が軋んで、足先が痺れている。


医療監督が必死に声を張っている。


「意識戻って! 志乃さん! いまのは発作じゃない、同期です――固定のまま、呼吸は乱さない!」


三条が通信端末に怒鳴っていた。


「塔の揺れ、いま何秒だ! 医療区画まで来てるぞ!」


志乃は言葉を出そうとして、出せなかった。

出せば記録になる。記録は切り取られる。


それでも、胸の奥に残った一文だけは、消えない。


(隙の形を変えろ)

(座ったまま動かせ)


そして、“コウ”の目の感触が、まぶたの裏に焼き付いたまま離れなかった。

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