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もう1つのロストテクノロジー  作者: 維岡 真
第4章 優しさの接点
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照会と切り取り

封鎖は、壁を増やすのではなく線を減らす。


位相整流室から医療区画へ、医療区画から監査室へ、監査室から上層へ。

志乃に届く情報は、最初から「切り取られた形」で落ちてくる。


その切り取り方が、いちばん怖い。


医療区画。


志乃はベッドの上で、指先を見ていた。

握り込む癖は少し減った。代わりに、力の抜き方が分からない。


力を抜くと、胸の奥の席が重くなる。

重くなった席を軽くしたくて、呼吸を整えたくなる。

整える衝動が、また修正になる。


医療監督がカーテンを少しだけ開けた。外の光は入らない。監査の目を避けるために、遮光が落とされている。


「痛みは」


志乃は首を横に振りかけて、やめた。小さく言う。


「痛みじゃないです。……軋みが、残ってます」


「部位は」


「肩と腰。あと、息を吸うときに胸の内側が引っかかる」


医療監督はペンを走らせる。書き方が、病名の方へ寄らないように慎重だ。


「“声”のほうは、今も聞こえますか」


志乃は一拍迷って、正直に言った。


「近いときがあります。眠る前とか、呼吸が一定になりそうなとき」


一定、という単語を口にしただけで、喉が硬くなる。


医療監督が低い声で言う。


「監査は、あなたの報告を“症状”にしたがる。症状にすれば、運用から外せる。外せば、固定に戻せる。――あなたの意思は消える」


志乃は唇を噛んだ。

意思を守るために、言わない。

言わないために、胸の奥で微修正をする。

その循環が、もう身体の形に染みている。


カーテンの向こうで足音。


三条が入ってきた。監督官の腕章がある。監査の立ち会いはない。だが、それは「許可された面会」ではなく「必要な報告」だという顔をしている。


三条は椅子に座らず、立ったまま言う。


「上が“固定復帰”を検討している」


志乃の胸の奥の席が、ひとつ重くなる。


「私が……危険だから?」


「危険だから、だがそれは志乃だけの話じゃない」三条は言う。「“参照主体の入替”が問題になった。あれを“侵入”に結びつければ、上は固定へ逃げる」


志乃は息を吸い、胸が引っかかるのを感じた。


「固定に戻したら、私が削れます」


「分かってる」三条の返事は早い。早すぎて、余計に怖い。


三条は続けた。


「だから別案を出す。封鎖された整流室じゃなく、医療区画主導で“短時間の呼吸”だけを許可する。名目はリハビリ。解除窓はゼロ点数秒、回数も少なく。監査の“安全”と、志乃の“侵蝕抑制”を両立させる形にする」


志乃は三条を見る。

三条は、感情で言っていない。都市の形で守ろうとしている。


それがありがたくて、苦しい。


「……私、また“入替”が起きたら」


三条の視線がわずかに揺れた。


「起こさせない。起きたら、その責任は運用側が取る。志乃が一人で背負う話じゃない」


その言い方は正しい。

正しいのに、志乃の体は軋む。正しさにも負荷がある。


学院。


古本は、照会文の文面を三回書き直した。


「研究目的」

「統計的検証」

「匿名化された運用ログの提供依頼」


どれも嘘ではない。だが、どれも目的の中心ではない。


西野が苛立ちを押し殺して言う。


「結局“名目”で殴るしかないのかよ」


古本は淡々と答える。


「封鎖されたとき、直接は負ける。直接で勝てる相手は、最初から封鎖しない」


西野は机の縁を掴み、離した。掴む癖が怖くて、離すのも怖い。


「父さんに回すか」


「回せ」古本は即答した。「上層の内部経路に乗せる。監査室を経由しない照会線を作る」


西野の端末が震えた。父から短い返信。


“医療監督経由”なら通る可能性。監査室は今、外部照会を嫌う。


古本が言う。


「嫌うのは、外に知られたくないからだ。なら、外に知られる形の照会を作れば、医療監督側は“記録を守る口実”を得る」


西野が呟く。


「志乃のログを、守る口実……」


守る。


その単語が、二人にとってはほとんど祈りみたいに重い。


古本は紙を一枚抜き、余白に小さく書いた。


入替=主体の置換

条件:解除隙/遅延/身体反応の一定化

推定:履歴の媒介(声)→参照の誘導


西野が目を細める。


「“声”のこと、現場は把握してんのか」


「医療監督は把握してる可能性が高い」古本。「ただし監査には出さない。出したら“症状”で切られる」


西野が唇を噛む。


「じゃあ俺たちがやるのは……切られる前に、切らせない形にする」


古本が頷いた。


「切り取りを、逆に利用する。症状じゃなく、運用上の“参照イベント”として扱わせる」


上層・監査室。


監査の男は、志乃のログを「見せる順番」から組み立てていた。


赤になった行だけを先に。

次に、解除窓超過。

最後に、参照主体の入替。


逆は見せない。

参照侵蝕の微減も、混線頻度の低下も、身体負荷の積算も後回しにする。


その切り取りで、結論は一つになる。


「危険だから固定へ」


監査の男が上官に言う。


「本人の訴えは情緒的です。“戻して”などという幻聴様の報告もある。運用継続は不適切」


上官は短く問う。


「医療監督は?」


「抵抗しています」監査。「三条も。撤回権を盾に」


上官が机を指で叩く。


「盾にされる権利など、最初から設計ミスだ。――見直せ。撤回権の運用要件を上げる」


その指示は、都市の文章になって降りていく。


“本人の意思”の形を、細くする文章。


医療区画。


志乃はベッドの端に座り、足を床へ下ろした。

立ち上がる動作ひとつで、腰がきしむ。きしみを消そうとして、腹筋に力が入る。


力が入るのを自覚した瞬間、息が一定に寄りそうになる。


志乃は、わざと不規則に息を吐いた。

不規則にする努力が、また修正になるのが分かって、それでもやめられない。


医療監督が小さな端末を差し出す。


「さっき届きました。学院からの照会です。統計研究の名目で、ログ提供依頼」


志乃は目を瞬いた。


「……古本、たち?」


医療監督は頷かず、否定もしない。ただ言う。


「これが通れば、監査がログを“消す”前に、医療側が複製を持てます。あなたのためにもなる。けど、監査は嫌がる」


志乃は端末の文字を見た。白地に黒。都市の文章。

けれど、その文の向こうに、学院の「焦り」が透けて見える気がした。


三条が入ってくる。表情の筋肉が少し硬い。


「監査が撤回権の要件を上げに来てる」


医療監督が即座に返す。


「そんなの通せません」


「通す気だ」三条は言った。「今夜、決裁ラインに乗せる。止めるには、こちらも“線”を作る必要がある」


医療監督が照会文を指で叩いた。


「この線を使う」


三条が一瞬だけ考え、頷いた。


「使う。学院照会を受けた形にして、医療記録としてログを保全する。監査の手から外す」


志乃は二人の会話を聞きながら、胸の奥の席が静かに軋むのを感じた。


保全。

外す。

守る。

都市の言葉で、志乃の内側が運ばれていく。


志乃は小さく言った。


「……私、何を言えばいいですか」


三条が即答する。


「今は、言うな。言葉が記録にされる。記録は切り取られる」


医療監督が続ける。


「言うなら、“身体の軋み”だけ。数値に落ちるものだけ。声や青年の話は、今は私の中に留める」


留める。

留めることが、逆に怖い。留めている間に、内側で混ざっていく。


志乃はうなずき、うなずく動きで肩の奥がまた引っかかった。


その引っかかりの向こうで、薄く――紙の匂いがした。


志乃は目を閉じない。

閉じたら白い部屋が来る。白い部屋が来たら、また誰かが席を掴む。


志乃は息を吐いた。震えた。震えを整えない。


(入口じゃない。本文だ)


青年の目の感触が、まだ残っている。


そして志乃は、初めてはっきり思った。


(“戻して”は、私に言ってるんじゃない)


誰に向けた言葉なのか。

誰の世界が、どこまでここへ滲んでいるのか。


その答えを探す前に、都市の決裁ラインが動き始める音がした。

紙を束ねる音。判を押す音。線が引かれる音。


封鎖は続く。

だが、切り取られた線の隙間に、別の線が一本だけ通ろうとしていた。

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