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もう1つのロストテクノロジー  作者: 維岡 真
第3章 混沌と狂気

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基準位相

都市は、静かだった。


暗転もない。

揺れもない。

霊気灯は均質に灯り、ニュース端末はいつも通りの言葉を並べる。


だからこそ、中央塔の内部だけが不気味だった。

静けさが「回復」ではなく、「固定」に見える。


固定が、誰の手で固定されているのか分からないまま。


中央塔・制御室。


モニターの数値は、じわじわと同じ方向へ滑っていた。


外部参照同期率:64.0 → 66.8 → 68.1(緩慢上昇)

内部参照:不明(揺らぎ)

欠損:未発生

外部位相ノイズ:微弱(圧型)/検出不安定


「上がり続ける」


制御主任が言う。声は低い。

数字が示しているのは“侵入”ではない。“同意”に近い形の浸潤だった。


「止まらないのは分かってる」


三条は画面から目を離さずに言った。


「止めるには、“基準”を置くしかない」


制御主任が眉を寄せる。


「基準?」


三条は端末を操作し、別の手順書を投影した。


緊急運用:基準位相 再設定(臨時)

適用条件:参照不明の固定進行/自律制御限界

目的:塔制御輪の参照点を一時的に“確定”させる


制御主任が息を飲む。


「そんな手順……」


「ある」


三条は淡々と言う。


「ただし使えば、誰かが“基準”になる」


室内の空気が固まる。

誰も次の言葉を言わない。言えば確定するからだ。


上層フロア。


決裁は速かった。速すぎるほどに。


基準位相 再設定:承認

名目:運用最適化(実験に非ず)

条件:対象の同意取得/撤回権の明文化/医療監督常設

備考:対外説明は「観測体制の調整」に限定


“同意”と“撤回権”が並ぶ。

それが守りの言葉であり、免責の言葉でもある。


三条は文面を閉じ、短く息を吐いた。


「通った」


嬉しさはない。

通ってしまった怖さのほうが大きい。


保護区画。


志乃は個室の机の前に座らされた。

面会室ではない。会議室でもない。書類のための部屋だ。


三条が端末を置く。画面には、手順と条件。


基準位相 再設定(臨時)

基準候補:綾崎志乃

介入:防御のみ(継続)

目的:参照固定の抑制/都市安定化

撤回:可(※緊急条項あり)


志乃は画面を見つめた。


「……これ、私が“空席”になるってことですか」


三条は否定しない。


「塔の参照が迷ってる。空席がある。

そこに“都市が選べる基準”を置く」


志乃の胸の奥が、静かに重くなる。

塔の応答が、探しているように近づいた。


「私が置かれたら、塔は安定しますか」


「安定する可能性が高い」


三条は言葉を濁さない。


「ただし、お前に負荷が行く。

そして——相手が狙うなら、狙いやすくなる」


狙いやすくなる。

それは志乃が一番聞きたくない言葉だった。


志乃は指先を握り、ほどく。


戻れる道があるのに残ると決めた。

それでも“さらに中心へ行く”のは、別の決断だ。


「……仲間は、危険になりますか」


志乃が訊くと、三条は首を振る。


「お前がここにいる限り、学院や市街の“偶発的媒介”は減る。

少なくとも、次に誰かが突然倒れる確率は下がる」


それは志乃にとって、決定打だった。


自分が削られるのは怖い。

でも、誰かが代わりに削られるのは、もっと嫌だ。


そしてもう一つ。

真実が近い。


基準位相。参照。成立点。

塔がどう“中心”になっているのかを、いま触れられる距離まで来ている。


志乃は小さく息を吸った。


「……やります」


三条の表情は変わらない。

けれど返事が、いつもより速い。


「了解した」


それだけ言って、端末を操作する。

同意の記録が残る音が、無機質に鳴った。


位相整流室。


準備が進む。医療監督がつき、抑制環の限界値が再設定される。

志乃の測定リングと導子が接続され、塔の制御輪と直結される。


“直結”という言葉が戻ってきた。

戻ってきてしまった。


制御主任が言う。


「押し返しは禁止。防御のみ。

だが今回は防御じゃない。“基準”だ。揺れを止めるのではなく、参照を一本にする」


志乃は頷くしかない。


胸の奥の波が、いつもより綺麗に整い始める。

自分の呼吸より先に整う。誰かが整えているのではなく、整う方向が決められていく。


三条が短く指示する。


「開始」


モニターにカウントが出た。


3。

2。

1。


その瞬間、志乃の胸の奥が“沈んだ”。


削られる痛みではない。

引かれる感覚でもない。


定められる感覚。


波の輪郭が、勝手に“正しい形”に固定されていく。

志乃の意思が入る余地がないほど、静かに、強い。


視界が一瞬だけ別色を帯びた。


白い照明。

高い天井。

紙の擦れる音。


図面の上に置かれる指先。

線が集まる一点。そこから全てが伸びていく。


——原点。


志乃の胸が冷たく鳴る。


(また……)


同じ場所を誰かが見ている。

ただし今回は、触りではなく、参照そのものが揃えられている。


“読む目”が、塔ではなく「基準」に触れた。


そう感じた瞬間、別色は消えた。


モニターが確定を出す。


基準位相:綾崎志乃(臨時)

外部参照同期率:68.1 → 12.4(急落)

内部参照:固定(暫定)

欠損:未発生

備考:位相固定(新基準)へ移行


制御室が静まり返る。


喜びではない。

恐怖の静まり方だ。


志乃は息を吐こうとして、吐けなかった。

胸の奥が重い。重いのに、揺れない。


揺れない重さが、いちばん怖い。


三条が志乃を見る。


「意識は」


「……あります」


声が細くなる。自分の声が遠い。


制御主任が画面を見つめたまま呟く。


「空席が……埋まった」


埋まったのは塔の参照だ。

埋まったのは都市の中心だ。


そして、その席に座ったのは志乃だ。


数分後。


都市は何事もなかったように動いている。

ニュースは「観測体制の調整」「出力制限の継続」を淡々と流す。


だが塔のログには、新しい行が残っていた。


基準位相固定:継続

外部位相ノイズ:検出不能(再)

備考:外部参照ではなく“内部基準”への移行で説明可能


検出不能。


以前とは意味が違う。

外から消えたのではない。外を必要としなくなった。


そしてその裏側で、志乃の胸の奥に“座り続ける重さ”が残る。


三条は表情を変えずに言った。


「今日はここまでだ。休め。

……基準は、お前の身体だ。壊すな」


志乃は頷けなかった。

頷くと、自分が本当に基準になったと認める気がした。


でも、もう遅い。


志乃は天井を見上げる。


都市に貢献したい。

仲間を危険に遭わせたくない。

真実が知りたい。


全部の理由が、いま重さになって胸に座っている。


“揺れ”ではなく、“基準”として。


そして志乃は気づいてしまう。


基準になったものは、必ず狙われる。

狙われ方は、もう「触り」では済まない。

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