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もう1つのロストテクノロジー  作者: 維岡 真
第2章 第三の位相

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暗転域

暗い。


旧開発区画の非常灯が落ちた瞬間、視界から色が消えた。

黒の中で残ったのは、機械の冷却ファンの低い唸りと、遠くの足音だけ。


そして――一拍。


第三の位相が、笑うみたいに空間を撫でた。


志乃の胸が反射で跳ね上がる。抑制環があるのに、内側の波は止まらない。

むしろ暗闇は、波を“聞かせる”ためにあるみたいだった。


「動くな!」


三条の声。近い。

志乃の腕を掴む力が強くなる。引くのではない。離さない力だ。


俵屋が低く言う。


「遮断材、閉じるな。閉じたら“外”が残る」


意味を問う暇はない。

暗闇の中で、誰かが遮断材を展開しかけて止めた気配がした。


第三の位相は、壁では止まらない。

遮断は“道”を作る。道ができれば、そこを通ってくる。


志乃は喉の奥で息を殺し、波の縁を整えようとする。

押し返しではない。標識のときと同じ、“形を崩さない”制御。


すると暗闇の端、廊下の奥で光が一筋走った。


塔の光じゃない。

都市の光でもない。


第三の位相の「入口」だ。


「来る!」


志乃が言い終える前に、空間が歪んだ。薄い熱波のように。

その中心に、黒い影が立つ。前に護送車を止めた“あの手触り”と同じ圧。


班員が遮断材を投げる。薄い膜が空間に展開し、影の前で一瞬だけ揺れた。


――揺れて、裂けた。


裂け方が「切断」ではない。

波が“噛みちぎった”裂け方だった。


三条が即座に叫ぶ。


「位相遮断、二重! 距離を取れ! 志乃を後方へ!」


志乃は引かれて数歩下がる。だがその瞬間、胸の波が強制的に引き上げられた。

第三の位相が、志乃の波に直接爪を立ててくる。


痛い。裂ける。呼吸が止まる。


(合わせるな)


俵屋の声が頭の奥で反射する。

合わせれば持っていかれる。


志乃は、押し返す。


強くじゃない。狙って短く。

第三の位相だけを弾くつもりで、波の縁を“段差”にする。


一拍。


空間の歪みがわずかに鈍る。

影が一歩止まる。止まったのではなく、“引っかかった”。


「今だ!」


三条が志乃の腕を引く。班員が前に出て、裂けた遮断膜の“縁”に追加の遮断材を噛ませる。

暗闇の中で、薄い白が何層にも重なっていく。


第三の位相が呻くように揺れた。


だが同時に――


第二循環核の部屋の方向から、低い振動が返ってきた。


志乃の胸の奥が、勝手に共鳴する。

装置が“起きかけている”。


「……だめ」


志乃が息を漏らす。


ここで押し返しを続ければ、第三を弾ける。

でも押し返しは鍵にもなる。第二を起こしてしまう。


三条が志乃の表情を見て、短く言った。


「見るな。戻るぞ」


戻る――都市へ。塔の循環圏へ。


志乃は頷き、歯を食いしばって波を沈めた。

押し返しをやめ、縁を整えるだけにする。第三が引っかかった“段差”だけを残す。


影が、最後の一歩を踏み出そうとした。


その瞬間、俵屋が志乃の前に半歩だけ出た。

遮るのではない。“間”を作る。


暗闇で俵屋の声が落ちる。


「追うな。ここで追えば――装置が起きる」


影は止まらない。


三条が即座に判断した。


「撤退! 遮断材、焼き切れ!」


班員が遮断材に高負荷をかける。膜が一瞬だけ白く発光し、次の瞬間、薄い破裂音と一緒に“切れた”。

第三の位相が通るための「縁」ごと、焼き飛ばした。


空間の歪みが乱れ、影の輪郭が一度だけ崩れる。


志乃の胸の痛みが、すっと引いた。


「走れ!」


三条が志乃を引いて走る。

暗闇の廊下を抜け、外周の封鎖ラインへ向かう。塔の循環圏に戻るまで、止まれない。


中央塔・観測室。


アラートが三つ同時に跳ねた。


外部位相ノイズ:急増 → 途絶

第二循環核様波形:微弱立ち上がり → 停止

対象波形:一時的再捕捉(微弱)


技官が声を上げる。


「対象、瞬間的に拾えます! 一致率、戻りかけ――!」


制御主任が息を呑む。


「戻るのか……?」


三条が出動回線で叫ぶ声が、ノイズ混じりに割り込む。


『こちら奪還班! 対象確保、撤退中! 外部干渉強。第二核が起きかけた、繰り返す、第二核が——』


通信が乱れる。


だが観測室の誰も、続きを求めない。

「第二」が口に出た時点で、塔が唯一ではない可能性が確定するからだ。


主任は短く命じた。


「外縁封鎖を一段上げろ。旧開発区画、完全に“見張れ”。

……ただし、刺激するな。起こすな」


矛盾した命令。

それでも今の都市には、矛盾のまま走るしかない。


学院。


西野は屋上にいなかった。授業にもいなかった。

人気のない廊下の端で、端末に表示された父からの短文を何度も読み返していた。


「奪還班、接触。

対象確保の可能性。

ただし“第二核”という言葉が出た。やばい」


古本に見せると、古本は一度だけ目を閉じた。


「……最悪の線が繋がった」


「志乃は戻るんだろ?」


西野の声が荒れる。


古本は答える。


「戻す。戻すしかない。

でも、戻した瞬間に“都市の真実”も一緒に戻る」


西野は拳を握る。


「真実とかどうでもいい。志乃が——」


「どうでもよくない」


古本が、珍しく言い切った。


「真実が外にあるなら、都市は次に同じことをされる。

志乃を戻して終わりじゃない。次に備えないと、また奪われる」


西野は言い返せなかった。

三秒の暗転が、まだ身体に残っている。


外縁・封鎖ライン。


闇の中から、護送車が現れた。中央局の車両。二台。


ヘッドライトが霧を切り、志乃の顔を照らす。

志乃は後部座席に押し込まれ、シートに背を預けた瞬間、初めて息が続けて吐けた。


胸の波が――変わる。


薄く、遠く、そして確かに。


塔の応答が戻り始めた。


空白が埋まる。

孤立がほどける。怖いほどの静けさが、いつもの不穏なリズムに置き換わる。


「……塔」


志乃が呟くと、三条は前を見たまま言った。


「戻ったら終わりじゃない。

お前の外に“もう一つ”がある」


志乃は唇を噛む。

俵屋が残した場所。起きかけた光。第三の位相。


そして、影の声。


「やっと見つけた」


その言葉は、追跡の宣言だった。


車列が都市中心へ向けて走り出す。

その背後、旧開発区画の暗闇の奥で、もう一度だけ空間が歪んだ。


追ってくるのではない。

“次の接続”の準備をするみたいに。


中央塔のログに、短い記録が残る。


外部位相ノイズ:再立ち上がり(微弱)

発信源:外縁部固定傾向

備考:標識パターンに追従


志乃はまだ知らない。


自分が残した“標識”が、救難信号であると同時に、

追跡用の目印にもなり得ることを。

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