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もう1つのロストテクノロジー  作者: 維岡 真
第1章 周期と位相
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静かな偏差

東都研究都市――。


計算された区画と規格化された街路。ガラスと金属の肌理が陽光を弾き、霊気灯が一定の間隔で並ぶ。地中には霊気循環路が走り、都市そのものが巨大な装置として、静かに呼吸している。


そして、都市の中央に一本。


霊気制御塔スカイ・ピラー


白銀の塔は、まるで空に溶けるように真っ直ぐ伸びていた。雲の高さを越え、視線の先で細くなり、最後には青に紛れて消える。都市に満ちる霊気の流れを束ね、均し、乱れを許さないための中枢――そう教えられてきた。


塔がある限り、この都市の空は乱れない。


少なくとも、そう“教えられている”。


東都先端総合学院、三年A組。


午後二時十七分。教室の空気は、授業の単調さと午後の眠気を含んで緩くよどんでいた。窓際の席で、綾崎志乃はペン先を紙の上に止めたまま、ほんのわずか肩の力を抜いていた。


黒板の前では神代教官がチョークを鳴らし、数式を迷いなく書いていく。


総出力 = 保有量 × 制御精度 × 精神安定係数


白い粉が黒板に残り、教官の指先が淡く汚れている。


「霊気は万物に備わるエネルギーだ」


神代の声はよく通り、抑揚は少ない。講義用の声、という感じがした。


「だが重要なのは量ではない。制御だ。暴走すれば都市一つ吹き飛ぶ」


その言い方は淡々としているのに、内容だけがやけに物騒で、教室の誰もが一瞬だけ背筋を正す。


隣の席の西野が、口元だけ動かして小声で囁いた。


「それ漫画の世界な」


志乃は肘で軽く小突く。やめろ、という合図のつもりだったが、強くはない。


前の席の古本は、相変わらず視線を上げず、ノートを取る手だけが滑らかに動いている。ページをめくる音が小さくした。


神代は続ける。


「2035年の震災以降、霊気研究は軍事利用から都市維持へ比重を移した」


チョークがまた鳴り、式の横に補足の矢印が引かれる。


「我々は力を持つが、同時に制御される側でもある」


そのときだった。


志乃の視界の端、窓の外――スカイ・ピラーの上空が、ほんのわずかに揺らいだ。


蜃気楼のような歪み。熱のせいの屈折とは違う、輪郭の曖昧さ。空そのものが一瞬だけ“柔らかく”なり、次の瞬間には何事もなかったように戻る。


(……今の)


志乃は瞬きを忘れていた。息を吸っていたことさえ、遅れて自覚する。


西野も同じ方向を見ている。口が半開きになりかけ、慌てて閉じた。


「なあ」


言いかけた西野の声を遮るように、古本が顔を上げないまま低く言う。


「気のせいだ」


即断。断言。まるで、起こり得ないことを見たときの、人間の反射のように。


だが、志乃の背筋に残った感覚は消えなかった。


音はない。振動もない。教室の時計は規則正しく秒を刻み、誰かのペンが紙を引っ掻く音がする。


それでも、確かに――空気の“重さ”だけが変わった。


胸の奥がざわつく。胃のあたりが、わずかに沈む。自分の中の霊気が微かに波打ったような、皮膚の内側を撫でられるような感覚が残っている。


神代教官は黒板に向き直ったままだ。


気づいていないのか。

気づいていて、触れないのか。


志乃にはわからない。


授業は続く。

チョークの音。ページをめくる音。椅子が微かに軋む音。

いつもの午後が、いつものように進んでいく。


――ただ、志乃の中だけが、ほんの数ミリずれたまま戻らなかった。


放課後。


三人は学院を出た。校門を抜けると、整然とした街路がそのまま未来の見本のように広がっている。霊気灯は薄明の中で先に灯り始め、足元の舗装は継ぎ目なく滑らかだ。


地面の下では霊気循環路が脈打っている――そう習う。実際に見えるわけではないのに、都市の静けさの底に、機械の規則性があるように感じられる。


巡回ドローンが一定の高度を保って通り過ぎ、遠くで子どもが笑った。帰宅する人々はいつも通りで、誰も空を気にしていない。


西野が歩きながら空を見上げた。


「さっきの、ニュースになるかな」


「ならない」


古本が即答する。目線は前のまま、歩幅も乱れない。


「制御塔に異常が出れば、警報が鳴る。記録にも残る。今は何も出てない」


理屈は正しい。東都研究都市は“そういう街”だ。異常があれば通知がある。通知がないなら正常――この都市では、その前提で人々が安心を買っている。


志乃は黙って歩いた。


視線は無意識にスカイ・ピラーへ向かう。塔は静かだ。白く、まっすぐで、完璧に安定している。暮れかけた空の中で、塔の輪郭だけが不自然に清潔に見える。


(でも)


胸の奥の違和感だけが残る。

ほんの数秒の揺らぎ。

それだけなのに、見てはいけない“綻び”を見た気がしてならなかった。


都市はいつも通りだ。

何も起きていない。

だからこそ、志乃の感覚だけが浮いている。


その夜。


志乃は自室で教科書を閉じた。机の上の明かりを落とすと、窓の外にはスカイ・ピラーが見える。夜の空に縦の線が刺さっているようで、塔は淡い光を放ち続けていた。


いつも通り。規則通り。正常運転。


……のはずだ。


だが――ほんの一瞬。


塔の先端が、脈打ったように見えた。


光が増したわけではない。色が変わったわけでもない。ただ、鼓動のような“間”があった。見間違いと言われれば否定できない程度の、微細な偏差。


志乃が反射的にまばたきすると、その感覚は消えた。窓の外には、ただ完璧な塔が立っている。


夢かもしれない。

疲れのせいかもしれない。

気のせいだ、と言えば終わる。


けれど。


神代教官の言葉が、遅れて胸に残る。


霊気は万物に備わるエネルギーだ。


ならば、都市も。塔も。空も。

そこに満ちる霊気の流れも。


――何かを感じることが、あるのだろうか。


志乃は窓越しにスカイ・ピラーを見つめたまま、しばらく動けなかった。


静かな夜の中で、都市は何事もないふりをして呼吸を続けている。


そして、その呼吸に、ほんのわずかな“ずれ”が混じった気がしてならなかった。

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