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第3章:—— アカデミック・バンター

ミスティック・ウォーカーズ学院は、俺が想像していたものとはまるで違った。


廊下は群衆を丸ごと飲み込めそうなほど広く、天井は遥か高く伸び、石に刻まれたシンボル——俺が知らないルーンなのに、なぜか懐かしく感じるものがびっしり。


「列に並べよ」

レイが前を歩きながら低い声で言った。


俺は頷いた……けど、すぐに意識が逸れた。


暗い髪に指を梳き入れる。赤く染まった毛先は、乾いた汗でカチカチに固まっていた。


一瞬、柱の一つにカラスが彫られているように見えた。


もう一度見ると——

消えていた。


なんでこんなものばかり見えるのか、自分でもさっぱり分からない。

幻覚か、本能か、何だか知らないが……もう今日一日を台無しにする気満々だな、こいつ。


まぁ、もし本当にヤバいことになったら、またレイから小一時間説教を食らうだけだ。

正直、それくらいなら耐えられる。へっ。


「ひっ……あの目——」

「信じられない……」

「まさかあいつが……?」


予想通り、廊下中に囁きが広がった。

俺について。


左側の鏡が視界に入り——そこに映る俺自身。


冷たい深紅の瞳。瞳孔の中に埋め込まれたオレンジ色の三角模様。


これが俺——異端者。


こんな目をした人間は世界に俺しかいない。それを知っているからこそ、みんな俺を凝視する。


今はもう全員がそう扱うわけじゃない……でも一部の奴らは一生やめない。


妙なことに、唇の端がわずかに上がった。

久しぶりに感じる、この……孤立感。


最後にこんな気分だったのは、両親が死んだ時くらいか。


……だから家を出たんだっけな。


「ふんっ」


シンとレイが無言で前に出て、俺を庇うように立ち塞がった。鋭い視線で周囲を牽制する。


このバカども。


それでも……胸の奥にじんわりと温かいものが広がった。


だって——

今、俺の家族はこいつらしかいないんだから。


しばらくして、教室に入った。


このレベルの大学なら当然か、室内は期待を裏切らなかった。


床はマナストーンで敷き詰められ、半透明のクリスタルパネルの下で淡い光の脈がゆっくり脈打っている。部屋全体の神秘圧を常に調整しているらしい。


ベンチはその上を浮遊するように配置され、床面に刻まれたルーン文字と干渉しないよう精密に調整されている。


壁にはホログラフィック・プロジェクターが埋め込まれ、半透明のグリフ・スクリーンが次々と切り替わる。動くマナグラフ、三次元の術式構造が空中で分解・再構築を繰り返す。


天井には細い光の糸が神経のように走り、浮遊する光球にエネルギーを供給している。その光球は照明と監視を兼ねている。


空気すら濾過されている——清浄で安定していて、マナの溢れ出しを危険域に達する前に抑え込む設計。


ここはただの教室じゃない。

制御された環境——

学舎であり、実験室であり、戦場でもある。


カチッ!


扉が軽い音を立てて開き、白い優雅なローブを纏った女が教室に入ってきた。


「うわぁ!!」

「まじかよ、担任!?」

「俺、ついに祝福された……!」


……ほら来た。


男子共が一斉に神のお告げでも受けたみたいに沸いた。


俺は内心ため息をついた。


「ふむ……およそ百二十名か」


彼女の海のような青い瞳が教室をゆっくり見渡し、唇に薄い笑みが浮かぶ。


「悪くないわね」


男子たちの目が一斉に輝き出した……


——ただし、二人を除いて。


「だ、だめだめだめ——!」

レイがメガネをガチャガチャ直しながら小声で呟く。

「欲望に負けるな! 俺は優等生だ! 抑えろ——こんな幼稚な衝動を咲かせるな!」


……救いようがない。


「チッ」

シンが舌打ちして背もたれにだらしなく凭れる。

「マッチョなジジイ教授で殴り合いたかったのに。期待ハズレだわ」


こいつら。


一瞬、自分だけが影響受けてないのかと思ったけど……

どうやら違ったらしい。


「さて、諸君。私の名前はエリカ・ウィルソン」

彼女が明るく言った。

「これから君たちの担任を務めるわ」


男子たちが爆発——歓声、口笛、ほぼ崇拝。


「静かに」


彼女が微笑んで、一度だけ手を叩いた。


キィ……


……は?


教室が凍りついた。

比喩じゃなく、本当に。


口は動いている。

音が出ない。


待て——

声が奪われた?


横を見ると。シン。レイ。俺。

俺たちは普通。


さっきまで叫んでた男子だけが、完全に無音。


「……いい子たちね」


エリカがにっこり笑って、もう一度パチンと手を叩く。


「あ゛っ!?」

「声が——!」

「戻った……!」


安堵とパニックが混じった声が一斉に溢れた。


この女……


俺の目が自然と彼女に固定される。警戒心が全身を走った。


声も上げず、

派手な術も使わず、

それでも一瞬で全員を黙らせた。


危険だ。


理由は分からないが、背筋に冷たいものが這い上がった。


「ふふっ」


柔らかい笑い声が響き——


「——!?」


視線が、俺と絡まった。


ほんの一瞬だけ。


部屋の空気が……おかしくなった。


何か見えないものが俺の感覚を撫でた。

圧力。引力。

不気味な……でも俺には向けられていない何か。


俺が睨み返すと、彼女の目が一瞬揺らいだ。


微笑みを浮かべて視線を逸らす。


ふん、俺を威圧できると思ったのか。夢でも見てろ。


エリカは黒板の方を向き、背後のホログラフィック・グリフがわずかに動いた。


「さて」

彼女は落ち着いた声で、両手を背中で組んだ。

「規則や評価、君たちが大好きなランキング制度の話をする前に……」


薄い笑みが浮かぶ。


「……この学院がそもそも何のために存在するのか、話しておきましょうか」


教室が静まり返った。興奮していた連中まで身を乗り出す。


「七百六十八年前」

エリカが続けた。

「この世界は、ほぼ消滅しかけた」


ホログラムが変形——戦場、裂けた空、歴史そのものから血を流すような歪んだマナの流れ。


「七人の最強の神秘使いの間で戦争が起きた。なぜ戦争が起きたのか、今に至るまで動機は……はっきりしていない」

彼女は一瞬止まり、

「……少なくとも、今はね」


映し出される人物像はぼやけている。おそらく検閲の印だろう。


「ただ、その中の一人」

声が少し低くなる。

「神秘の頂点に立った男——ゼロと呼ばれる存在がいた」


教室に波紋が広がった。俺も感じた。


「彼が戦争を終わらせたと言われている」

エリカは続けた。

「一方で、彼が戦争を始めたとも言われている。どちらも公式には正しいわ」


指がわずかに曲がる。彼女の視線が鋭くなるのを感じた。


「歴史によれば、ゼロは最大の敵——名もなき存在——と共に姿を消した。その正体は今も不明のまま」


投影が一瞬だけ乱れた。


「それ以降の記録は」

彼女は滑らかに言った。

「存在しない!」


そこで俺の集中が切れた。


ゼロ……

語られる時のその名前は、俺にとって封印された棺のようなものだ。

欠落で形作られた伝説。


もし俺がそこにいたら……もしあのレベルの力があれば——いや、無駄な考えだ。ここに集中しろ。


「……あの戦争から」

エリカは続けた。

「現代の神秘序列が生まれた。

つまり——君たちに繋がる話よ」


突然、俺たちの頭上に七つの星が咲いた。


普通の光じゃない。

虹の色。


紫。

藍。

青。

緑。

黄。

橙。

赤。


ゆっくり回転しながら、まるで今生まれたばかりのように輝いている。


「この学院では」

エリカの声は落ち着いている。

「星は順位ではない。許可証よ。それぞれの色が、異なる権限・力・アクセスの閾値を表す」


指を一本上げる。


「どの生徒でも星を獲得できる」

指がゆっくり弧を描く。

「ただし、星は先輩だからとか、純粋な強さだけで与えられるものじゃない」


七色が再び脈打つ。


「それぞれの色は条件——学院が認める特性を表している」


彼女は深紅の輝きを指した。


「赤は勇気。

圧倒的な不利に立ち向かい、逃げた方が楽な場面でなお立つこと」


指が動く。


「橙は決意——失敗、痛み、喪失を耐え抜く力」


「黄は意志の明晰さ。圧力下で正しい選択を下すこと」


「緑は適応力——成長、進化、生き残り」


「青は制御。精密さ。自身の神秘の流れを完全に掌握すること」


「藍は洞察——表層を超えて本質を見抜く力」


「そして紫は……」


彼女の声が少し低くなり、僅かに危険な笑みが混じる。


「……己を超えて行動した者にのみ与えられる。犠牲、信念、目的」


色がゆっくり、厳粛に回転する。


「誰もが星を得られる保証はない」

エリカは言った。

「力ずくで奪うこともできない」


一拍。


「条件が満たされた時のみ顕現する」


そして静かに——


「そして七つ全てが共鳴した時……」


中心に一瞬、白い閃光が走った。


「……最後の星が反応する」


教室が息を呑んだ。


色が彼女の言葉に呼応するように微かに脈打つ。


「ただし、理解しておきなさい」

彼女の目が細まる。

「この七つが終わりではない」


星がゆっくり止まる。


その後、中央に白い光の虚空が一瞬だけちらついた。

すぐに消える。


背筋に冷たいものが走った。


「八つ目の星が存在する」

エリカが静かに言った。

「白。記録なし。割り当てなし」


教室にざわめきが広がる。


「それは点数や試験で得られるものではない」

彼女は続けた。

「七つが完全に調和した時のみ顕現する」


視線が鋭くなる。


「それに到達した者は、戦争以来この世界が見ていない称号に最も近い存在となる」


一瞬の間。


「……神秘の御主人ミスティック・マスター


その言葉が出た瞬間、空気が変わった。


大声ではない——ただ、重くなった。


全員が同じことを考えているのが分かった。


ゼロ。


当然だ。

みんな彼になりたい。

誰もその代償は欲しくない。


俺は小さく舌打ちし、エリカが淡々と続けるのを聞き流した。部屋の半分が彼女の言葉で再配線されたというのに。


もう退屈だ。


顎を掌に載せ、浮遊ベンチに肘をついて、視線を適当に彷徨わせる——前方以外ならどこでもいい。


エリカの声は背景雑音になり、言葉は積み重なるだけで頭に残らない。


まぁ、当たり前だ。退屈は呪いみたいなもんだろ?


『……ん?』


視界の端で何かが光った。


左側——少し下。

教室の照明に金属が鈍く反射している。


フリントロック。

妙に磨き上げられ、優雅で、殺すための道具にしては綺麗すぎる。


隣の席の少女の腰に下げられていた。姿勢は完璧に正しく、まるで肖像画の中にいるかのようだ。

一人で座っているだけで分かる。


貴族か。


俺は少し首を傾けて、声を潜めた。


「貴族だろ?」


「……」


返事なし。


ティール色の瞳が俺を半瞬だけ捉え——冷たく値踏みするように見て——すぐに前方に戻る。俺が喋ったことなどなかったかのように。


……


おい。


無視かよ?


俺は一瞬瞬きをして、ゆっくり息を吐き、背もたれに凭れた。


「分かった分かった。邪魔しないよ」

小さく呟いて体勢を直す。

「……せめてフレンドリーに話したいだけなんだけどな」


静かな声が耳元をかすめた。


「でもお願いだから」


今度ははっきり聞こえた。


この冷たいお姫様が俺に話しかけてきた?


「今は邪魔しないで。エリカ先生が大事なことを教えてるの」


俺は少し止まって、鼻から息を吐いた。


貴族のガキって……


「はいはい」

唇が曲がる。

「ミス・邪魔しないでさん」


小さく笑いが漏れた——偶然か、わざとか。


「……アリア・ヴェルシャイン」


横を見ると、彼女が言った。


「ん?」


「私の名前」

ほとんど自分に呆れているような声。

そして意外にも——僅かに自嘲的な笑みが浮かんだ。


「ああ」

俺は軽く言った。

「悪くない。似合ってる」


少し体を起こし、気怠げに手を差し出す。


「エデン・クレストフォール。よろしくな、お嬢さん」


彼女の目が一瞬で細まった。


「アリアでいい」

鋭く切り裂くような視線。

「お願いだから」


あー、はいはい。

俺は手を引っ込め、笑顔はそのまま——胸の奥にちょっと酸っぱいものが広がった。


「分かった分かった」

肩を竦める。

「アリアね」


もっと丁寧にできたかもしれない。

するべきだったかもしれない。

でも貴族に対しては、どうしても塩対応になるんだよな。


ふぁぁ〜……


どんなに堪えても、欠伸が出てしまった。ゆっくり、大きく、開き直ったやつ。


マジでなんでこんな退屈なんだよ。まだ初日だぞ。まだ一時間目だぞ。


視線が自然とアリアの方へ。


完璧に姿勢を正し、目を逸らさず、集中している——その集中力が逆に怖いくらいだ。


……結局、退屈に耐えるしかないか。


ふぁぁ〜〜……


「エデン・クレストフォール」


「——あぷっ!」


欠伸の途中で口がバチンと閉まり、歯がカチッと鳴った。首がガクンと前に。


最高のタイミングだ。


視線を上げると——エリカがまっすぐ俺を見ていた。


怒鳴らない。声を荒げない。

ただ……見ている。

ようやく獲物に気付いた捕食者のように。


「私の説明が」

静かに尋ねる。

「……おかしいかしら?」


「あ、いやいやいや、先生。かなり面白かったです」


……


……


やべ。


本当は「素晴らしい」って言うつもりだった。


「ほぉ〜〜そうなの〜〜?」


一瞬で温度が落ちた。


バキッ——


彼女の指の下のマーブル机に細かい蜘蛛の巣のような亀裂が走った。


「エ……デン……」

レイの魂が肉体から抜け出して浮遊してるのが見えた気がする。


周囲から波紋のように囁きが広がる——まるで俺が大罪を犯したかのように。


おいおい! ただの言い間違いだろ!


「兄貴……」

シンが寄ってきて、目をキラキラさせて。

「オーラ稼ぎしてんだろ?」


こいつ、完全に誇らしげだ。


「い、いや、素晴らしいって意味で! ただの——」


「いいじゃない」

エリカが目を閉じたまま滑らかに遮る。

「もっと面白い人たちに会いたくなったわね……クレストフォール卿〜?」


卿……悪くない響きだな、正直。


でも彼女のこめかみに浮かぶ血管が、かなり本気で怒ってることを物語っていた。


「せ、せんせいエリカ!!」

レイが絶叫。パニックの化身。

「エデンは冗談なんです! 本気にしないでください! エデン、何か言え、この馬鹿!」


「う、うん……」


俺は思わず視線を逸らした。

理由は分からない。ただ、そうした方が安全な気がした。


「まぁ」

シンが耳に小指を突っ込みながら気楽に。

「ボスは間違ってねぇよな」


「黙れお前!!」

レイが真っ赤になって叫ぶ。


「レイ・ナイト。シン・イノチ」


「——!?」

二人が同時に硬直した。


「校長室へ行きなさい」

エリカがようやく目を開く。

「今すぐ」


怒りはない口調。それが逆に一番怖い。


こうして——

ミスティック・ウォーカーズ学院初日で、早速トラブルに突っ込んでしまった。


<FATE SIMULATOR — 観測ログ>


[所在地:ミスティック・ウォーカーズ学院]

[対象ID:???]

[異常検知:ZERØ-ECHO]

[二次接触:登録済]

→ エデン・クレストフォール

[時系列同期:失敗]

[脅威レベル:UN▯▯WN]


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