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神話から科学へ――青年ダーウィン、運命の航海記

#人類を変えた足跡シリーズ物語 第五十三回

1831年12月27日

ダーウィン、5年間にわたる世界一周の航海へ

チャールズ・ロバート・ダーウィンは、オソルノ火山の噴火をその目に焼き付け、バルディビア大地震の脅威を身をもって体験し、さらには壊滅的なひょうの嵐を間一髪で切り抜けました。


彼は、外来の豚や羊がセントヘレナ島の豊かな森を無残に食い荒らす光景を目の当たりにしました。それは、南米やオーストラリアの地で、ヨーロッパ人が先住民に対して振るった蛮行を目にした時の衝撃と重なるものでした。一方で、ナンドゥーやアルマジロ、アグーチといった未知の野生動物の肉を「珍味」として堪能する、旺盛な好奇心も持ち合わせていました。


これらすべては、5年に及ぶ壮大な世界一周航海の中での出来事です。1831年12月27日、ダーウィンを乗せた英国海軍の調査船「ビーグル号」は、プリマス港から静かに帆を上げました。航海とはいえ、ダーウィンは全行程の3分の2を陸上での調査に費やしました。各地を巡り歩いたその執念は、368ページの動物学ノート、1383ページにわたる地質学ノート、そして数千点もの動植物標本という、計り知れない成果となって結実したのです。


この旅から20年以上の歳月を経て、あの混沌とした時代に一冊の本が産声を上げる。――『種の起源』である。 彼が提唱した「進化論」は、当時の主流であった「神による創造論」や「種の不変説」を根底から覆す、激しい衝撃を世界に与えた。 5年間の旅を通じて、彼は確信したのだ。世界は神がわずか一週間で創り上げたものではなく、地球の歴史は聖書の記述よりも遥かに長いこと。そして人類もまた、原始的な生物から変化を遂げてきた存在であるということを。アダムとイブの物語は美しくとも、それはあくまで「神話」に過ぎなかったのである。


実は1831年当時、まだ無名だったダーウィンがビーグル号に乗れる可能性は極めて低かった。補欠のような立場で乗り込んだ彼が、後にこの船で最も有名な人物になるとは誰が予想しただろうか。 彼が発起人でもなく、あやうく参加し損ねるところだったこの航海は、今では「ダーウィンの世界一周」として歴史に刻まれている。彼の進化論は、細胞説やエネルギー保存の法則と並び、19世紀の自然科学における「三大発見」の一つと称えられている。

挿絵(By みてみん)

1809年、母が44歳の時に生まれたダーウィン。医師であった父は妻の体への負担を案じ、この子の誕生を諦めることすら一度は考えたという。 母の胎内から出ることさえ危ぶまれた一人の少年が、後に、人類のほとんどが生涯で決して辿り着けない場所を巡り、世界の常識を塗り替えたのである。

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