精子からアニー・ホールへ:ウディ・アレンという人生
#人類を変えた足跡 シリーズ物語 第四十一回
ウディ・アレンは1935年11月30日に生まれました。
1972年、37歳のウディ・アレンは、自身の映画で“もの思いにふける精子”を演じたことがある。『Everything You Always Wanted to Know About Sex* (*But Were Afraid to Ask)』(『誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう』)と題されたこの作品は、性をめぐる七つの短篇で構成されている。最後の一編では、人体の器官や組織を俳優が演じ、男性の射精時に体内で起きる反応をユーモラスかつ生々しく再現している。
しかし、それでも彼がやった中で最も奇抜なことだとは言えない。おしゃべり好きなユダヤ系のコメディアンであり知識人であり、20世紀後半から現代にかけて重要な映画作家の一人として知られる彼には、数多くの逸話がある。たとえば彼は長年オスカー授賞式への出席を固辞してきた。理由の一つとして「月曜の夜は酒場でクラリネットを吹く定例の演奏があるから」と告げていたという。だが2002年、9・11の被害を受けたニューヨークへ捧げるオスカーの特別映像の紹介を頼まれた際には壇上に姿を現し、こう茶化した――「アカデミーから電話が来たときは、授章したオスカーを返してほしいのかと思って慌てたよ。質屋はもう閉まってるんだから」と。
授賞式に無頓着であっても、アカデミーは彼の才能を惜しまなかった。『アニー・ホール』(Annie Hall)は1978年の授賞式で作品賞、監督賞、脚本賞など主要な賞を受賞し、主演女優のダイアン・キートンを一躍スターに押し上げた。
ウディ・アレンは、夢のように奇妙で切ない情景をつくり、語り、映像化するのが得意だ。『アニー・ホール』はダイアン・キートンの中性的な装いを一世を風靡させ、『マンハッタン』は白黒の映像に早朝のマンハッタンの風景とジョージ・ガーシュウィンの『ラプソディ・イン・ブルー』を重ね、フィッツジェラルドの小説に出てくるような街の肖像を残した。
1935年11月30日に生まれ、いまや高名となった彼は、いまだに精力的に作品を発表し続けている。ニューヨークのジャズバーでクラリネットが鳴り続け、第五アヴェニューに朝日が差す限り、ウディ・アレンの名はニューヨークと生活と映画とともにあり続けるだろう。




