青カビの秘密:人類を救った97年前の偶然
#人類を変えた足跡 シリーズ物語 第十五回
1928年9月28日
1928年9月28日、 Fleming はロンドンのセント・メアリー病院にある研究室で、放置していたブドウ球菌の培養皿にカビが生えていることに気づきました。奇妙なことに、カビの周辺ではブドウ球菌の増殖が見られず、カビから離れた場所では依然として活発に増殖していました。 Fleming は、カビが分泌する何らかの物質がブドウ球菌を抑制しているのではないかと考えました。
そのカビは「青カビ(Penicillium)」であると特定され、 Fleming はその分泌物を「ペニシリン(Penicillin)」と名付けました。さらに研究を進めた結果、ペニシリンはブドウ球菌だけでなく、連鎖球菌、髄膜炎菌、ジフテリア菌など、さまざまな病原菌を死滅させることがわかりました。
当時、人類は細菌感染に対してほぼ無力でした。肺炎、淋病、リウマチ熱、あるいは今日では軽視されるような傷口の感染でさえ、死の宣告を受けたも同然で、後は運命に身を委ねるしかありませんでした。
まるで千年もの間隠れていた伝説の達人のように、ペニシリンは突如として現れ、細菌の細胞壁を破壊することで抗菌作用を発揮しました。人間の細胞には細胞壁がないため、ペニシリンは人体に対して大規模な攻撃を仕掛けることなく、理想的な薬剤でした。
翌年、 Fleming はこの重大な発見を『British Journal of Experimental Pathology』に論文として発表しましたが、当時は学界の十分な注目を集めませんでした。その理由は、当時の技術ではペニシリンの高純度抽出が難しく、細菌研究に使える程度で、治療薬としての実用化には程遠かったからです。
論文が10年間眠っていた後、オックスフォード大学の化学者Howard Florey と Ernst Chain がペニシリンの抽出と精製の研究に着手しました。1941年、43歳の警察官がペニシリン治療を受けた最初の患者となりました。彼はバラの棘で口を傷つけ、顔と肺に膿瘍を伴う重篤な感染症に陥り、命の危機に瀕していました。慎重にペニシリンを注射された後、彼の症状は劇的に改善しました。しかし、十分な量のペニシリンが確保できず、治療を継続できなかったため、彼はわずか数日長く生きただけで逝去しました。
Florey と Chain は昼夜を問わず研究を重ね、凍結乾燥法を用いてペニシリン結晶の抽出に成功しました。さらに、Florey はあるメロンから大量のペニシリンを生産できるカビを発見し、トウモロコシ粉を用いた培養液を開発しました。これらの成果をもとに、1942年からアメリカの製薬企業がペニシリンの大量生産を開始し、人類は史上初めて病原微生物に対抗できる抗生物質を手に入れました。この時期は第二次世界大戦の真っ只中で、この新薬は戦時の医療において大いに貢献し、連合軍の戦局を大きく好転させました。
1945年、つまり第二次世界大戦が終結した年に、 Fleming 、Florey 、Chain は「ペニシリンの発見とその臨床的応用」によりノーベル生理学・医学賞を共同受賞しました。ペニシリンの登場は無数の命を救っただけでなく、人類の平均寿命を40歳から60歳以上に引き上げました。
もしあなたが手術や事故、あるいは何らかの理由で傷を負い、その傷が感染した経験がありながら、今こうして画面の前でこの恐怖と嫌悪感を同時に与える、おぞましい青カビの姿を愛でることができるなら、97年前のあの偶然の研究室のカビと、故人となった三人の科学者の努力に感謝せずにはいられません。




