その投稿は、今もあなたの中で続いている——世界で最初の「公開」ボタンが押された日
誰かに向けて何かを公開する、というごく普通の行為の中に、1991年8月6日はまだ、確かに息づいている。
今日も、世界のどこかで、誰かが公開ボタンを押しただろう。
深夜、画面の前でカーソルが点滅している。書き終えたばかりの文章、撮ったばかりの写真、誰に見せるためでもなかったはずの記録。指がボタンの上でほんの一瞬だけ止まり、それから、押す。
見ず知らずの誰かに、いきなり自分の何かを差し出す。そんな行為が当たり前になったのは、一体いつからだろう。
その最初の一回を、今日は書きたいと思う。
主人公の名前は、Tim Berners-Lee。1955年、ロンドン生まれ。両親はどちらも計算機科学者で、少年時代のTimは模型の鉄道を自作の電子回路で走らせて遊んでいたという。
1980年、Timは半年契約のエンジニアとして、スイス・ジュネーブ郊外のCERN(欧州原子核研究機構)で働いていた。世界中から集まる物理学者たちは、それぞれ違う機種のコンピューターを、違う流儀で使っていた。「あのデータを持っていたのは誰だったか」「あの実験の記録はどこへ行ったのか」——そんな単純な問いにさえ、誰も答えられないことがしょっちゅうあった。
暇を見つけては、Timは自分のためだけに小さなプログラムを書いた。名前はENQUIRE。文書と文書、人と人のつながりを覚えておくための、ごく個人的な道具だった。誰にも公開されなかった。
9年後の1989年3月、CERNに戻っていたTimは、上司のマイク・センドールに一枚の企画書を差し出した。タイトルは「Information Management: A Proposal」。センドールはその余白に、たった三語だけ書き込んで返した。
Vague, but exciting.(漠然としているが、心をひかれる。)
1990年9月、Timは正式にこの計画に時間を使えるようになる。その年のクリスマス、CERNの研究棟がほとんど無人になる中、Timの机にあった一台のコンピューター——NeXT社製マシン——にだけ、手書きの紙が貼られていた。
「電源を切るな」
その一台の中には、世界最初のブラウザと、世界最初のサーバーと、世界最初のWebページ「http://info.cern.ch」があった。けれどそれはまだ、CERNの建物の中だけで動く、小さな実験にすぎなかった。外の世界の誰も、その存在を知らなかった。
その状況を変えたのは、たった一つの投稿だった。
1991年8月6日、Timは数行の説明文を書いた。World Wide Webとは何か。ブラウザはどう使うのか。自分のサーバーはどうやって立てるのか。そしてそれを、"alt.hypertext"という、当時ごく一部の技術好きしか読んでいなかったニュースグループへ投稿した。
華々しい発表ではなかった。同じ日、同じ場所には、他にも無数の技術的な書き込みが並んでいたはずだ。この一件が後にどれほどの意味を持つことになるか、投稿した本人でさえ、そこまでは想像していなかったかもしれない。
けれどこの日を境に、CERNの塀の中だけにあったものが、初めて外の世界に開かれた。地球のどこにいても、この文章さえ読めば、自分のコンピューターにブラウザを入れ、自分のサーバーを立て、自分の言葉を世界に公開できるようになった。
実験だったものが、誰のものでもある場所に変わった瞬間だ。
反応は、決して爆発的ではなかった。最初の一年で、世界に生まれたWebサーバーはまだ10台ほど。それでも、その10台はTim一人が作ったものではなかった。見知らぬ誰かが、この投稿を読み、自分の手でサーバーを立てた結果だった。
実験だったものが、それぞれ別の場所にいる見知らぬ誰かの手によって、少しずつ増えていく——これこそが、あの日に起きたことの本当の意味だったのだと思う。
このあと1993年には、Timの働きかけによってCERNがこの技術を永久に無償公開すると宣言し、Webが特定の企業に独占されない道が確定する。けれどその決断がありえたのも、すでにこの技術がCERNの外へ、世界中の見知らぬ人々の手へと渡っていたからだ。すべての始まりは、あの地味な投稿にあった。
だから今、あなたがこの文章を 小説家になろう の画面の上で読んでいるということ。あるいは、いつか自分の言葉を初めて世界に向けて公開したときの、あの指先の緊張。それは全部、あの日Timが書いた数行の続きに過ぎない。




