第8話 親しくない
時間も余ったので、海から町の方へと散策の足を広げる。
人通りは少なく、道の端に寄せられた緑葉が、海風に押されてくるくると舞っていた。
町の景色は昔と変わり映えしない。たかが数年でガラッと変わっていたら、それこそ過去改変の影響を疑う。
「——汐見さんは町中を停電させる妄想とかしなかった?」
「……しなかった」
「本格的な雨乞いの儀式を試した経験とか」
「まったく」
「世界情勢について思うことは」
「ない」
「ベルマークに小数点以下の計算って必要だと思う?」
「思う」
「……あ、そう」
他愛のない世間話が実に盛り上がる。
……あれ、僕って会話苦手だっけ?
さすがに会話のネタも尽きてきた。
ここまでの道のり、あらゆる話題を振ってみてもこの調子でスカされ続けている。
返事だけはかろうじて返ってくるけれど。
やがて小学校の付近に差しかかる。
フェンスの向こうに広がるグラウンドは、記憶よりずっと狭く見えた。子どもの頃は地域のクラブに入って、サッカーばかりしていたっけ。なんだかノスタルジーを感じる。
「そうだ、汐見さんは——」
何気なく口を開きかけて、言葉を止める。
海での一件もあり、どの話題で地雷を踏むかわからない。
それに、どれだけ振っても、響いて返ってこなければ虚しいだけだ。
ちら、と彼女を振り返る。
僕の視線に気づいたのか、どことなくムスッとした表情を返してきた。
「……なに?」
「いや、機嫌が悪そうだなぁ、って」
すると、彼女は黙ってスッと手を差し出す。
「え、ふたりで気合いでも入れ直すの? えいえいおーってやつ。まあ、どうしてもって言うなら」
「……どうして離すの」
「ん?」
「どうして、手を離しちゃうの。離さないでって言ったのに」
——そうだった。
防波堤から降りて、海辺のベンチでお弁当を食べた流れですっかり忘れていた。
いや、多少は気にしていたけどね。
辺鄙な場所とはいえ、付き合ってもない女の子と手を繋いで歩くのは、正直気恥ずかしい。
けれど、今の彼女には止まり木が必要なのかもしれない。
「そうだったな。ごめん」
素直にその手を取り直す。少し汗ばんだ手のひらから、人間らしさを感じられてホッとする。
汐見さんの表情を伺うと、ほんの一瞬だけ口元が綻んだ気がした。すぐにいつもの無表情に戻ったけれど。
「……それで、さっき何を言おうとしたの?」
「あ、いや、汐見さんは小学生の頃、何か習いごとしてたのかなって」
あとは話題の振り方さえ間違えなければいい。
地雷処理ゲームをプレイしている感覚だ。
「習いごと……は、短い期間だけどピアノかな」
「お、なんだか似合う」
「あとは、うちでよく歌をうたってた」
「歌かぁ。伸び伸び育ったんだね」
「……おばあちゃんと、いつもふたりきりだったから」
「へ、へぇ……」
あ、もしかして踏んだか?
申し訳ないけど、祖母というワードが出ると地雷処理の難度はぐっと上がる。
「私のおばあちゃんはね、音楽が大好きで、歌番組は欠かさず見てたんだ」
そう言って、汐見さんは番組名をいくつか挙げる。公共放送の長寿番組とか、年末の恒例特番。
表情はほとんど変わらない。けれどその声の奥には、温かさの欠片が宿っているように思える。
「……だからアイドルになったら、テレビで見てくれるかなって」
いい話なのに、おばあちゃんの影がチラついて冷や冷やする。
でも、アイドル。
噂のひとつは本当だったわけだ。
隠していたと聞いたのに、まさか自分からカミングアウトするとは思わなかった。
「もう、アイドルは……」
「しない」
言葉を重ねるよりも早く、強い拒絶が返ってきた。
間違いなく、この先は踏み込めないゾーンだ。
そんな会話の最中、ふと寂れた境内の前に出る。
「あ、ここ。白波神社の跡地だ。人の手が入らないと、こんなに荒れるんだな」
入口には鳥居だけが残っていた。
赤かったはずの柱は風雨にさらされて褪せ、灰色に近い。
奥は瓦礫と枯れ草、雑草に覆われた荒れ地。あとは傷みの目立つ古い蔵だけ。なのに、不思議な威圧感を漂わせていた。
……いずれは切り出さなきゃいけない話題だ。
「この神社な、蒼一の先祖のものらしいよ」
目をつぶるつもりで、親友の名前を出す。
「都筑蒼一。汐見さんは、あいつといつから知り合いだったの」
タイムリープなんて摩訶不思議を、僕は完全に受け入れてはいない。
でも、蒼一は確かに消えた。宙に浮いて、光に包まれて忽然と。
そんな得体の知れない時間越えの能力を——目の前の彼女のために使った。
あいつが物語の主人公なら、彼女はそのヒロイン。
それだけの関係値がふたりの間にはあるはずだ。
「都筑くんとは、正直あまり親しくないの」
「……え?」
「ほんとだよ。話すようになったのも、二年生で同じクラスになってから」
偶然、帰り道が被ったときとか——その程度。
汐見さんは淡々と答えた。
「じゃあタイムリープってのも」
「……意味がわかんないよ」
——勝手に期待させられて、裏切られた気分。
汐見さんの声には、冷たい響きが混じっていた。
おいおい。
まさか一方的な片思いの暴走で、あんな大立ち回りをしたのかよ。親友ながら天晴れとしか言いようがない。
ごめん、汐見さん。
彼、正義感は強いけど、見切り発車でマイペースなところがあるんですよ。どうか憎まないでやってください。
「そろそろ帰ろっか」
展望台まで登る気力は、もう残っていなかった。
「最寄り駅だと学校の人にバレるかもだし、繁華街のほうで着替えを見てみようか」
「鳴海くんが選んでくれる?」
「えぇー……センスには期待しないでね」
「あと下着も」
「だからそれは自分で選びなさいよ」
僕たちは並んで帰り路に着く。
彼女の手を握ったまま。離さないでと、言われたから。




