第7話 離さないでね
市街地から電車に揺られて二十分ほど。
終点に近い駅で降り、潮の匂いに満ちた道を抜けると、天ノ浦海岸が広がっていた。
まずは白い浜辺。
日差しはじわじわと強まってきているのに、海風はまだ冷たい。
夏場なら浜茶屋が並んで子どもの声が響くのだろうけど、今は骨組みだけが砂浜に突き立っていて、閑散とした雰囲気だった。
「やっぱり、梅雨の時期だと人がいないな」
「そうだね」
「海の家もないし、ちょっと寂しいね」
汐見さんは水平線を見つめていた。
広がる大海原を前にして、彼女の中に何か感じるものがあるだろうか。
無表情の横顔からは読みとれない。
「——で、本命はこっち」
僕たちは浜を抜け、岩場と防波堤のあるほうへと歩き出す。
地元民でもなければあまり寄りつかないエリア。釣り人も今日はいないようだ。
「この岩場で、父さんとよく生き物を捕まえたよ」
「生き物?」
「アメフラシとか。触ると紫の液体かけてくるんだよなぁ。あと、定番のヤドカリ。観察してるとおもしろいよ。引っ越し先をミスって、貝殻に入りきらないやつがいたり」
「……ドジだね」
汐見さんに小さな笑みが浮かんだ。不覚にも可愛い。
ほんの一瞬でも、それを見られただけで来た甲斐がある。
「お父さん、海洋学者って言ってた」
「ああ。今はプエルトリコあたりで、光るクラゲを観測してるらしい」
「光るクラゲ……」
「水族館で見たことない? 青白く光るやつ。プランクトンと一緒に群れて、夜になると海全体が星空みたいに見えるんだって」
「なんだか、幻想的だね」
「発光の仕組みを調べたら医療や研究に役立つかも、って言ってるけど、いい歳してロマンを追ってる」
「へぇ……」
「まあ、母さんはバカンスのつもりでついて行って、南国暮らしをすっかり満喫してるよ」
「……羨ましいね」
潮風に吹かれる汐見さんの横顔は、少し落ち着いて見えた。
それとも、ただ漂っているだけなのかもしれない。流されるまま、クラゲのように。
防波堤の先へ進む。
この海を渡る感覚。いつ訪れても開放感があって、妙にワクワクする。汐見さんにも同じように思ってもらえたら嬉しいのだけれど。
先端に向かうにつれ、細く高くなっていく。
途中で町の方を振り返り、中央に位置した丘を指差した。
「ほら、あの丘に展望台がある。小さい頃、よく登ったよ。当時はこの町に住んでて、小学校もこっちで通ってたんだ。蒼一……都筑も一緒だった」
「……懐かしい?」
「まあね。昔、あの展望台で——」
と、言いかけて隣を見たら、汐見さんの姿が消えていた。
ハッとして前方を見る。防波堤の先端へと、ひとりで歩いている。
風が強く、波が打ち寄せるたびに足元までしぶきが飛ぶ。
胸の奥が急激に冷えた。
「おい——!」
慌てて追いかけ、彼女の腕をつかんだ。
「フラフラしてると落ちるぞ。このへんは海風も強いんだ」
「そうなんだ。へぇ……」
興味があるような、ないような返事。
虚ろな瞳がまた戻ってきている。
「……バカなこと考えてないだろうな」
「考えてたら、どうする?」
息を呑む。
さっきまで少しは緩和したと思っていた。けれど、そう簡単な話じゃない。
油断すれば、すぐに深淵へと引きずられてしまう。
「ねえ、引越し先の見つからないヤドカリは、どうなるの」
ヤドカリの宿無し。
まれに自分の貝を失って、裸でうろうろしている個体がいる。
柔らかい体を天敵に狙われることがあり、非常に危険で不安定。長くは生きられない。
「……ちょうどいい貝殻が見つかれば、すぐにまた住み着けるよ」
「そうなんだ。いいね。……でも」
彼女は薄く笑った。
「見つからなかったら、きっと死んじゃうね」
「そんなこと……言うな」
「両親がいたら頼れた。いなくても、おばあちゃんさえいれば……」
迂闊だった。目に見えていた地雷。家族の話を出したのはデリカシーが足りなかった。
詳しく知らないとはいえ、両親も他界していると聞いたことがあったのに。
大きく波が打ちつけた。潮の飛沫が宙を舞う。
「落ちたら、どうなるのかな」
彼女の視線は微動だにしない。
こちらをじっと見つめている。
「どうもならない。案外平気で泳げる。……でもいちおう、この腕はつかんだままでいるよ」
「じゃあ、その手。離さないでね」
冷たい潮風の中、その言葉がやけに重く響いた。
指先の体温だけが彼女と現実を繋いでいる気がした。




