第5話 おやすみ
特に会話もしないまま、リビングで各々時間を過ごす。
時計はまだ九時。時間の経過が妙に遅く感じる。
風呂も終えて、本来ならスマホをだらだら触っている時間帯。でも、この状況でくつろぐのは難しい。
にぎやかなバラエティがテレビから流れる。
少しは空気が和らいでくれることを期待するが、汐見さんは上の空でぼんやりと画面を眺めているだけ。
やっぱり、彼女も気まずいと思っているのだかろうか。
不安を払うため、まずはやり残した家事にせっせと取りかかることにした。
時計の針が十時を回ったころ、汐見さんを客間へ案内する。
「こっちにもテレビがあるから、好きに点けて」
「……うん」
「喉が渇いたら冷蔵庫から勝手に取っていいし、自分の家だと思って過ごしてよ」
「……わかった」
「ただし、地下の部屋には決して入らないこと」
「しない」
「あ、もちろん冗談。ないからねそんなもん」
「だろうね」
簡素な返事だけど、反応があるだけマシか。
まだ警戒心が解けていないのかもしれない。それは身を守るのに大事なものなので、しっかりと握っていてほしい。
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみ、鳴海くん」
戸締まりチェックを済ませて、自室に引きこもる。
今日はどっと疲れた。これほど気を遣った記憶は、正直ない。
夜更かしせずにさっさと寝よう。メンタルをリセットして、明日に備えた方がいい。
電灯を暗くしてベッドへと潜る。
汐見さん、ひとりにして大丈夫だろうか。
玄関鍵を開けたまま勝手に外に出ていくとは思わないけど、万が一がある。
だからといって、一晩中見張っているわけにもいかない。
……いや、信じよう。
ここで過ごした数時間が少しでも彼女を癒しているといいな。
うとうとしてきたタイミングで、
ガチャリと扉の開く音が聞こえた。
足音。誰かが部屋に入ってきた。
泥棒? いや、戸締まりは確認した。となると、可能性はひとつ。
「え、汐見さん?」
枕元に女の子の影。風呂上がりに嗅いだのと同じ香りが漂う。
「お礼、した方がいいよね」
「えっ? 別にいらないけど」
「ご飯つくってもらったし」
「大したことじゃないよ。それよりも、早く戻って寝たほうが——」
「お風呂も……借りたお湯、返さないとだよね」
ぼんやりと黒いシルエットのまま、「そうだ」と彼女は呟く。
「鳴海くんが気持ちよくなれるように、してあげる」
「はあっ!?」
思わず飛び起きる。え、聞き間違えか?
「やったことがないから、上手くできるかわからないけど」
「ちょ、ちょっと待て。何をするつもりだよ」
「口にできないけど、口でするもの」
「なぞなぞみたいに言うな!」
やっぱり天然だろこの子。
僕は彼女の隣をすっと抜け、部屋の電灯を点けた。
光に照らされた汐見さんは、泣きそうな顔で立ちすくんでいた。
「答えはなんとなくわかったけど、しなくていい。自分を大事しろバカ」
「……ごめんなさい」
それ以上、強く言う必要はなかった。
自暴自棄に任せた行動だと、本人が一番わかっている顔だった。
涙はまだ枯れていないらしい。
出し切るまで、横にいてあげるくらいなら、健全だよな。
やがて落ち着いた頃合いを見て、
「客間に戻ろう。もう休んだ方がいいよ」
「同じ部屋で寝たい」
「それは——」
断ろうと彼女の顔を見る。赤い目。憔悴しきった表情。
このまま突き放すことはできなかった。
「客間から布団を持ってくる。汐見さんはベッドを使って」
妥協案だ。これ以上は僕の理性が反抗期に入ってもおかしくない。
あ、せめて枕くらいは替え——と思う間もなく、彼女は枕に倒れ込んでいた。
「……臭くても文句言うなよ」
「鳴海くんの匂い、安心する」
その言葉にグッときそうになる。
感情を乗せた彼女の声は、思春期男子には甘すぎる。
気を逸らすため、布団を取りに部屋を出ようとした背に小さな声が届いた。
「……ありがとう」
「気にするなよ。この家はひとりで住むには広すぎるだけだから」
返事はなかった。
かわりに、スゥスゥと寝息が返ってきた。
電灯を最小限まで落とす。寝顔まで見てしまったら、僕の気持ちが揺らぐ。
「おやすみ、汐見さん」
——都筑蒼一が、タイムリープしてまで彼女の過去をやり直そうとした理由が、少しわかった気がする。
確かに庇護欲をくすぐる。
でもそれ以上に。
汐見さんの心は、どこかが壊れているのかもしれない。
もう『関わるべきかどうか』なんて考えている場合じゃない。
放っておけば、彼女は。
なんにしても、取り返しのつかない事態は避けなければ。
僕には蒼一みたいに、過去に戻る力はないのだから。
「……まいったな。僕には好きな子がいるのに」




