第47話 墓参り
おばあちゃん。ひさしぶりだね。
ようやく会いに来られたよ。
今日は、大事な報告に来ました。
週末、晴れ晴れとした土曜日。
市立霊園に緩やかな風がそよぎ、蒸し暑さは感じられない。
雨の気配もなく、墓参りにはちょうどいい気候。
きっと、こんな天気にしてくれたんだよね。
「ほんとに、行かなくていいの?」
「うん。お父さんとお母さんのお墓は、日帰りで行ける距離じゃないから。代わりにおばあちゃんが届けてくれる」
「じゃあ、しっかり挨拶しないとだね」
「澪のおばあちゃん。きれいなお花、持ってきたからねー」
鳴海くんと彩伽が、墓前に花束を手向けてくれる。
木立の隙間から光がこぼれ、供花の影が墓石の上で静かに揺れた。
線香に火をつけ、三人で視線を交わしてから、そろって手を合わせた。
おばあちゃん。
友だちを紹介します。
一緒に住んでから、誰かを連れてきたのは初めてだね。
隣に立っている女の子。
凪瀬彩伽。
見た目は少し個性的だけど、それが彼女らしくて素敵だと思う。
私は事務所に言われて髪を染めたくらいで、おしゃれには疎いから、スキンケアやメイクをいろいろ教わっている。
おかげで、目の下のクマも消えたし、唇のかさつきも治ったよ。
どう? アイドルだった頃よりも、可愛くなった?
彩伽はね。
支えてくれた。
登校すると決意したとき、彼女が髪をとかして、メイクを整えてくれた。
『ちょっと、ふざけないでよ』
そのときの私は、身だしなみにまで頭が回らなかった。
漠然と、学校へ向かうことが勇気だと思っていた。
リップを塗りながら、こっそり涙ぐむ彼女の横顔が目に焼き付いている。
『あのねぇ、汐見さん。自分を大切にしなよ』
他人のために、ああいう表情ができる。
一瞬で、彼女に憧れてしまった。
おばあちゃん言ってたよね。ほかの人のために泣ける子になりなさい、って。
同じクラスになった頃、彼女は浮いた存在だった。
けれど、周囲から奇異の目で見られても気にしない。
それでいて、自然と振る舞える強さが羨ましかった。
あまり学校に通えなかったから、接する機会はほとんどなくて。
……言い訳だね。
話しかけられなかったのは、嫉妬していたからだ。
彼女には好きな人がいる。
その人のことを、私も好きだった。
だから、ふたりが仲良くしている姿を見かけるたび、胸がギュッとなってつい目を逸らした。
おばあちゃんの看病のおかげで、見ずに済んで安堵していたんだよ。
嫌なことから逃げ出そうとしてばかりだね。
でも、彩伽は私に向かってきてくれた。
同居生活の初日、ふたりきりで話した。
『好きなんでしょ。見ればわかるし、べつに隠さなくていいから』
心臓が跳ねた。
彼女は恋敵で、同時に恩人でもある。
私に返せるもの——差し出せるものは、ひとつしかない。
それすら私のものじゃない。一方的な片思い。
気持ちに固く蓋をして、諦めるしかないと覚悟した。
それなのに——。
『あはっ、ライバルじゃん』
同じ立場でいてもいい、と。
諦めなくていいって、その一言で解決してくれた。
受け入れてくれた。
『まあ、仕方ないよね。澪の気持ち、正直よーくわかるわ』
彩伽は、彼のことが好き。
……ううん、お互いに好き同士。それはとっくにわかっていた。
だから、ごめんね。
『てか、同棲って。そんなのあり? って思ったけどさ』
邪魔者の私なんて気にしないで、今までのように過ごせば自然とくっつく。
本音なら独占したいに違いない。
当然、そうだよね。普通はそうだよ。
邪魔して、ごめん。
『おかげで、わたしも都合のいい状況に持ち込めたし』
私は卑怯だ。
傷ついた自分の境遇に甘えた。
絶望の中で唯一見えた光。それにすがった。
あわよくば、と思ってしまった。
横取りしようと、卑しい考えまで抱いてしまって、
ごめんなさい。
『にひひ、ふたりで凛人を困らせちゃおっか』
『えっ、ふたり……。彩伽は、それでいいの?』
『は? 当たり前でしょ、同じ立場なんだから。でも、どっちかが諦めるって話なら——』
あくまで同等と認めて、彼女は力強い瞳で、はっきり宣言した。
『言っとくけど、わたしは譲らないから』
ごめんね、彩伽。
私も、譲れない。
譲りたくないよ。
たとえ邪魔者になったとしても、
抱いたこの感情を捨てるなんて、もうできない。
諦めきれない。
ねえ、おばあちゃん。
今もまだ、彼女の優しさに甘えている。
私は、どうしたらいい?
ひとつ目の報告を終えて、ふたりの姿を横目で見る。
まだふたりとも目を閉じて、真剣な顔で手を合わせていた。
私の家族のために、こんなにも語りかけてくれているんだ。
次は、もうひとりの大切な人を紹介します。
鳴海凛人くん。
おばあちゃんが旅立って、相続のいざこざもあって、深い闇に沈み込んでいた私を——
そのあたたかい手で、不幸のどん底から引き上げてくれた。
命の恩人。
本当に、いろいろなことがあったんだよ。
少し長くなるけど、話したいから、話すね。
あの日は、家出をして二日目。
放課後の教室で、私は都筑蒼一くんに呼び出された。
都筑くんは、身長が高くて大人びた雰囲気のあるクラスメイト。
普段から誰に対しても気さくで、鳴海くんとも仲が良いから、悪い人ではないと知っていた。
それでも、何かを期待したわけじゃない。
告白だとも思わなかった。
もう、すべてを失ったあとだった。
『過去に戻って、すべてをやり直す』
わけもわからず、ただ状況に身を任せていた。
当時の私は深く考えるのを拒み、どうなってもいいと、ただ投げやりに眺めていた。
『安心してくれ、汐見。おまえを必ず助けるから』
不思議な光景だった。目の前に光の粒がとめどなくあふれ、彼の体が包まれるようにゆっくりと宙に浮いていく。
神秘的で、幻を見ているのだと思った。
すると突然、都筑くんはにやりと横を見て、親指を立てた。
こっちを振り返って、小さく呟いた。
たぶん、私にだけ聞こえる声で。
『——凛人がな』
じゃあな。その一言を残して、元から誰もいなかったみたいに、教室はがらんとした様子に戻った。
都筑くん、あなたはどこへ消えたの。
凛人ってどういう意味——あ。
『都筑くん。ほんとに、行っちゃったんだ』
ぽつり、意図せずこぼれた。
でも頭の中では、小さな期待が生まれている。
正直、こんな私を見られるのは嫌だ。
一日中、情けない姿をさらして、つらくて、苦しくて、胸が張り裂けそうだった。
いっそのこと——と頭をよぎることもあった。
だけど。
『おまえを必ず助ける』と、その言葉が脳裏を何度もめぐる。
そうであってほしい。かすかな希望を込めて、振り向いた。
『あ……。鳴海凛人、くん……っ』
目の奥がぐっと熱くなる。
こぼせる涙は残っていなかった。
何もかも失った。
最後に残った家族も、思い出の家も、目標も、希望も。全部。
今すぐ消えてもいい。おばあちゃんに会いたいって、そればかり考えていた。
でも、もう少しだけ——と、その顔を見て思えたんだ。
それからの私は、何をしていたのか、あまり覚えていない。
複雑な感情を整理できずに、彼の優しさに甘えた。困らせて、悩ませたかもしれない。
返せるものも思いつかなくて。
自暴自棄な行動をとって、怒られもした。
今にして思えば、気を引きたい邪な気持ちが先立ってしまった。
最低、だったよね。
だけど、鳴海くんは見捨てなかった。
私の手を握ってくれた。
この世界に、つなぎ止めてくれた。
勇気を与えてくれた。
助けてくれた。
救ってくれた。
そばにいさせてくれた。
でも——その気持ちは、同情だったよね。
彩伽のこと好きなのに、あいだに私が出しゃばっている。
六年前の停電のことをめぐって、鳴海くんと彩伽は後悔を打ち明けた。
お父さんとお母さんが事故に遭った、あの夜。
不幸な偶然が重なっただけで、ふたりに落ち度はない。
責める理由がない。謝ってほしくなかった。
謝りたいのは私のほう。ふたりの大切な思い出を、むしろ傷つけてしまった。
あの事故がふたりのせいになったら、普通の関係には戻れない。
ふたりが離れてしまうのが、こわかった。
だから——ズルいお願いをした。
おばあちゃん、
前にも話したよね。好きな人ができた、って。
鳴海くん。
入学式の日から、ずっと目で追っている。
彼にとっては思い出せないほど些細なことかもしれない。
普段の調子で、当たり前のように声をかけてくれただけ。
でも、それができる人ばかりじゃないんだよ。
いつの間にか、気になる存在に留まらなかった。
それは、理屈じゃない。
鳴海くんに「対等な関係でいたい」とお願いした。
対等になりたいのは、同情の関係から抜け出す口実がほしかったから……。
無理やりにでも、私を見る目を変えたかった。
ね? 偶然の事故にかこつけて、ズルかったよね。
わかってる、けれど。
長話になっちゃった。
これじゃあ、紹介というより懺悔だね。
ごめん、おばあちゃん。
また、話を聞いてね。バイバイ。
まぶたを開くと、隣に気配はなかった。
振り返ると、少し離れたところに彩伽が立っている。声をかけずに待っていてくれたらしい。
「凛人はゴミを捨てに行ったよ。自販機のあたりで待つって」
「彩伽も、待たせてごめんね」
「いいって。気にせず、ゆっくり話してくればよかったのに」
ううん、と首を振る。
これ以上は、おばあちゃんを困らせてしまう。
「澪、いい報告できた?」
「……うん」
答えながら、彩伽の目を直視できない。
罪悪感、だろうか。嫌な自分とあらためて向き合ったから。
「三角関係でバチバチに修羅場ってるって、ちゃんと伝えた?」
「え?」
「わたしは澪の家族に言っといたよ。譲るつもりはありません、って」
似たようなことを伝えていたみたい。
恋敵の家族に宣言するあたり、彩伽らしい。
「だから、しばらく見守っててほしいよね。競い合ったり、協力したり、こういう関係も悪くないから。……わたし、親友ができたの初めてだし」
「彩伽……」
親友。あなたが認めてくれるなら、私もそう紹介したかった関係。
こんなズルい私を、彩伽は引き上げてくれる。
「澪を応援したいなら法律変えてください、ってお願いしといた」
とんでもないことを言い出す。
いつものような、彼女らしい冗談。
でも、それ……いいね。
「神様じゃないから、お願いは聞いてくれないよ?」
彩伽となら。ありえない未来が想像できる。
「頼む相手が違うよ。お願いするなら、鳴海くん」
「あはっ、総理大臣にして変えさせよ。おーい、凛人ぉ!」
彩伽が、先で待つ鳴海くんに声をかける。
彼はこちらに向けてペットボトルを持ち上げた。
「凛人、政治家になってよ」
「いきなりなに!?」
「立身出世してくれん? わたしたちのために日本を変えて!」
「え、なんで急に目覚めた? 女性総理が誕生したから?」
妙に噛み合わない会話が楽しい。
どんな無茶振りをしても、彼は彼らしく返してくれる。
その安心感に、どれだけ救われてきたか。
「前に、鳴海くん言ったよね。『国際情勢について思うことは』って」
「そんな話してたっけ」
「国際情勢には興味ないけど、国政には興味あるかも」
「汐見さんまで……ふたりとも、掲げたいマニフェストでもあるの?」
「一夫多妻制」
「は!? いや、さすがにそれは王政じゃないと」
「いいじゃん、王様。もっと野心を出して」
「——ふはは、この国を酒池肉林に変えてやる!」
「その意気!」
「これじゃ討伐される悪役だよ。明らかに女性の敵だけど、それでいいの?」
迫るほど悩ませるのはわかってる。わかっていて、でも止められない。
彩伽が認めてくれるなら、全力を出し切ろう。
ズルい私を抱えたまま、悔いのないように。
「正妻は譲らないし」
「正妻は譲らないから」
「え、急にハモった。ほんと……仲良いね」
そう言って、困ったように頬を掻く。
彼の優柔不断が、できるだけ長引いてほしい。
まだ許されるかぎり——このままでいたい。
いつか結論が下されるまで、諦めがつく日まで。
このいびつな関係が終わる、そのときまで。
雲ひとつない青空が透き通るほどまぶしい。
どこかからホトトギスの鳴き声が聞こえた。
あっ、大事な報告が漏れてたね。
おばあちゃん、お父さん、お母さん。
私はもう大丈夫。前を向いて生きていきます。
どうか、見守っていてください。




