第46話 卒業しちゃうかも
入念にシャワーで洗い流す。
いつものルーティン。特別な事情があるわけじゃない。
ただ、万が一はある。億が一でも、たとえ徒労に終わろうとも、微々たる可能性に備えておく——それが思春期男子のたしなみってもんだ。
湯気で曇った鏡を拭うと、覚悟を決めた男の顔が映った。
「……今夜、卒業しちゃうかも」
思わず呟いてしまい、頭を振る。
しまった。フラグを立ててしまった。
ということは経験上、それはむしろ折れるフラグってことになる。
期待するほど何も起きないのが世の常。イベントは都合よく発生しない。
「いや、起きないほうがいいだろ……!」
そうだ。事が起こってはいけない。こんなの不純にもほどがある。
凪瀬と汐見さん。まだどちらかを選べていない。
中途半端で優柔不断な男が、降って湧いた流れに身を任せていいはずがない。
「はぁ……独り言が止まらねえ……」
湯船にぶくぶく沈みながら、頭をひねる。
考えろ。何があっても対処できるように、あらかじめ想定しておくんだ。
これから部屋に戻ったら、どんな展開が待ち受けている?
準備って、いったい何を?
部屋に戻ると、薄暗い間接照明が灯る。アロマが焚かれ、甘い香りが漂っていた。
すでに敷かれた布団には、ブランケットをかけたふたりが一糸まとわぬ姿で横たわっている。
わずかにのぞく肌は汗ばんでいて、ずっと待ちわびていたかのよう。
とろんと蕩けた視線で僕を見つめ、こちらへどうぞとばかりに薄い布をめくって——
「いや、ないない……。そもそもアロマなんてオシャレなもの持ってないし」
行き過ぎた妄想をしたおかげで、今度は肩透かしの状況も見えてくる。
ドライヤーを念入りにかけ、戻ったときには、ふたりはすでに小さな寝息を立てていた。
はしゃぎすぎて、疲れ果ててしまったのだろう。
僕はちょっと残念な気持ちで、ホッとため息をつきながら電灯を消す。
——これに一票。
同棲を始めてから、なんだかんだこのパターンで乗り切ってきた。
ベッドに潜り込まれたこともない。三者が互いに監視しているから、迂闊なことをすればすぐにバレてしまう。
健全な生活が今日まで機能してきた理由だ。
「……ああ、待て待て」
ダメだ。安牌を想像したことで、またもルートが分岐した気がする。
起こらないと思えば、逆に起こってしまう。しかもより悪い事態になりがちだ。
とくに今夜は事情が違う。
ふたりの熱はまだ冷めていない。それどころか、勘違いで加速しているような。
さっき部屋に来たときも、頬は上気して、やけに色っぽく見えた。ほんのりと濡れた髪が、はやる気持ちを抑えきれないみたいな雰囲気で。
いまや背中を流し合うほどの仲良し。『ラップ越しキス事変』でも結託していた。天下を目指せるコンビであり、まさに最強タッグと言っていい。
二対一。圧倒的劣勢。しかも相手は、一騎当千のとびきり魅力的な女の子だ。
同時に迫ってきて、耐え切れるか……?
「……ぐああ、どうしよう!」
バシャバシャと風呂を泡立てる。テンションがおかしなことになってきた。
まるで期待のパラドックス。
妄想を重ねるほど、フラグを立てたり折ったりを繰り返す気持ちになる。
なるようになれ、なんて甘いことを考えるな。誘惑の濁流に飲まれたら終わりだ。
ここは冷静に。そうだ、蒼一のポエム……日記はもう客間の奥に隠してしまった。
頼れるのは自分の良心のみ。どこまでならセーフ、どこからアウトかを見極めろ。でもちょっとくらいなら、好奇心の範囲でなんとか我慢できないか?
理性と共にあれ——。
「……あれ、ここは」
天井を眺めている。リビングのソファに仰向けに倒れていた。
全身が重く、やけに気怠い。
「あ、鳴海くん……目が覚めたんだね」
「汐見さん。凪瀬も。……どうして僕はここに? もしかして、寝落ちしてた?」
「ううん、のぼせて気を失ってたの」
「凛人が遅いし、様子を見に行ったら湯船でぐったりしてて」
「そうだったんだ……って、えええ!?」
身を起こそうとして、上半身が素っ裸なことに気づく。
慌ててブランケットをたぐり寄せて、その感触でわかる。下半身もはいてない。
「え、てことは……」
ふたりがそっと視線を外す。頬がわかりやすく紅潮していた。
「あの、助けるのに必死だったし?」
「ただの救命行為だから……」
返答がなんだか尻すぼみ。ごまかすみたいに「おっ、うん」と喉を鳴らしている。
救命行為。ソファに寝かされていたということは、ふたりが協力して湯船から上げてくれたらしい。
「ありがとう、助けてくれて」
「いいって」
「うん、当たり前のことをしただけだよ」
返事はあたたかい。だけど、顔はそっぽを向いたまま。
疑念がどうしても湧いてしまう。
「……何も、してないよね?」
「と、当然だよ」
「す、するわけないじゃん。凛人は意識がなかったんだよ?」
言い訳する鼻息が荒い。え、なんでそんなにテンパってんの。
身体に違和感はない。あったところで、違和感が生まれるのかもよくわからないけれど。
だが、この全裸ブランケットの状態から考えるに、
「でも……見たよね?」
「湯気が濃すぎて全然」
「謎の光がまぶしくて」
「……修正版のアニメじゃないんだから、絶対、嘘じゃん!!」
気恥ずかしさもあり、これ以上は深掘りできず。
凪瀬と汐見さんも借りてきた猫みたいに大人しく、この日は穏便に床に就いた。
最後までふたりと目が合わなかったのは、正直めちゃくちゃ気がかりだけど。
……あと、蒼一の本、どこやった?
——なぁ、親友。
このラブコメみたいなハプニングも、おまえは想定していたか?
未来のことは、日記に何も記されていなかった。
僕には、僕らしく行動することしかできない。
何度も繰り返して、正解のルートを見つけるなんてできない。それでも本当にいいのか?
……このくらいの苦悩、おまえに比べたら大したことないよな。
せいぜい、もがいてみるよ。




