第42話 対等でいたい
天ノ宮市の住宅街。
夜道は人通りも少なく静かだが、ときどき団らんの声が漏れてくる。
玄関の灯りが、帰る場所へ導くように浮かんでいた。
「おかえりなさい、鳴海くん」
「おかえりー。タイミングいいじゃん。晩ごはん、ちょうどできたとこ」
扉を開けると、合鍵で先に帰っていた汐見さんと凪瀬が迎え入れた。
遅れるって伝えてたのに、夕飯の支度までしてくれたなんて。
「いや、このくらい普通だし」
「いつもご馳走になってばかりだもんね」
ふたりの自然な空気は、昨日の出来事など忘れているかのよう。
話をしていないか、それともすでに——。
気になるが、この雰囲気で切り出せる内容じゃない。
「冷める前に、早く食べよーよ」
凪瀬に押されてダイニングに向かう。
テーブルには、湯気を立てたピーマンの肉詰め。ライスと目玉焼き、サラダが添えられ、お店のワンプレートみたいに仕上がっていた。
冷蔵庫になかった食材だから、わざわざ買い物にも行ってくれたのだろう。
「澪って、おばあちゃんっ子なのに意外と料理できないのよ」
「ああ、それ。お弁当つくったときに僕も気づいたよ。包丁持たせちゃダメだって」
「……ピーラーなら得意だもん」
一方で父子家庭の凪瀬は、派手な風貌によらず料理上手。
この肉詰めも涙が出るくらい美味しいし、栄養バランスも完璧だ。
何から何まで助かるけれど……まさか本当に住み込むことになるとは。
凪瀬の父親が心配になってしまう。今度連絡してみよう。
「——でも、ふたりが無事でよかった」
食事を終え、片づけたあとも、ダイニングで会話を続けた。
すでにスマホでやり取りしたことでもあるが、
「結局、叔母さんたちは戻らなかったみたいだね」
「うん。でも代わりに、家の中のものがいくつかなくなってた」
「えぇ……せこぉ」
それは窃盗じゃないのか。汐見さんに通報する気がないなら、それで手打ちなのだろうけど。
納得のいかない気分でいると、向かいの凪瀬がぷっと吹き出した。
「あはっ、テレビと冷蔵庫もなくてマジでウケたわ」
「運んでいる姿を想像して、面白かった。あんな古いのどうするつもりなんだろ」
叔母夫婦は年季を経た大型家電まで運び去ったという。
八つ当たりなのか、転売できると踏んだのか。いずれにせよ、心が曇っているのは間違いない。
「それで、ふたりで何をして過ごしたの?」
「トランプでババ抜き」
「えっ、ふたりきりで!?」
「十回戦はしたよね」
「もう闇のゲームじゃん」
勝手なことを言う。
でもふたりだけのババ抜きって、この世でいちばんつまらない遊びでしょ。
「すごく盛り上がったよ。賭け事してたから」
「まさか、お金なんて……?」
「当然でしょ? ネットカジノのニュースで見たし」
法律に触れていなくてよかった。話題になったおかげ。対岸の火事から学べることもあるもんだな。
「じゃあ、何を賭けてたの? プライドとか?」
「凛人のファーストキス」
「ふぁっ!?」
人生で最も高音域のファが出た。勝手に何賭けてんの。
あと、ファーストと決めつけないでくれ。
間接キスは含まれるよな。え、含まれない?
「いやいや、本人の許可なくダメだから」
「わかってるって。あくまでプレだし」
「だから、あらためて三人で決めようと思って」
汐見さんがトランプを取り出す。
え、何この有無を言わせない流れ。
「ババ抜きしよ?」
カードが配られる。
ペアを場に捨て、開始時点で三枚のみ。汐見さんは九枚で、凪瀬も九。ジョーカーは手札になかった。
じゃんけん勝者の僕が汐見さんから引き、汐見さんは凪瀬へと時計回りに進める。
順調に揃い、残りの手札が一枚になったところで、
「……彩伽から聞いたよ。六年前のこと」
「えっ」
ぽつりと、汐見さんが口を開いた。
六年前のこと——先ほど展望台に寄ったとき、ちょうど思いを馳せていた。
夏の終わりに起こった奇跡。世界を一度、終わらせた夜。
「昨日、彩伽が謝ってきたの。六年前のあの日、停電を起こしたのは自分たちかもしれないって」
凪瀬に目をやる。そっと瞼を伏せられた。
つい黙ってしまう僕を見て、汐見さんはふっと穏やかな表情で続ける。
「それは、間違いだよ。関係のないことだもん。……あれは鳴海くんと彩伽のせいじゃない」
後日のニュース番組で、送電線の断線が原因だと報道されていた。
インフラの老朽化と点検不足が重なった、人為的なトラブル。
事実だけを並べれば、それが真実かもしれない。
「でも……あのとき僕は願ったんだよ。世界が終わってほしい、消えてなくなれって」
願った結果、奇跡のように暗闇が訪れた。
そして、その暗闇が汐見さんの両親の死につながってしまった。
それは動かしようのない事実で、取り返しのつかない後悔として残っている。
僕のせい——だと。
「汐見さん、本当にごめんなさい……」
「謝らないで」
「だけど僕のせいで——」
「違う! 謝ってほしくない!」
強い否定が返ってくる。
彼女の瞳に、はっきりと意志が灯っていた。
「勝手に、自分のせいにしないでよ! ……そんなの、私がつらい。鳴海くんと彩伽が事故の原因を背負うなんて、絶対に嫌……っ」
汐見さんが、緩んだ手からカードをぱらぱらと落とした。
そのまま凪瀬の手を握り、僕の手にも重ねてきた。
「事情も彩伽から聞いた。消えたくなるような暗い感情を、鳴海くんのおかげで救われたって……。私は、その気持ちがすごくわかる」
手のひらから熱が伝わる。
かすかな震えは悲しみというより、本音をのせているように感じる。
「彩伽にも伝えたけど、これが私の本心。引け目を感じてほしくない。同情もいらない。……この先も、対等な関係でいたいの」
「汐見さん……」
胸のしこりが、そっと解けていくようだった。
「ふたりの思い出を、後悔で塗り替えたくない。ふたりにとって大切な思い出にしていてほしい」
「……っうん……ありがとう……っ」
彼女の言葉を受け取り、気づけば涙がこぼれていて止まらなかった。凪瀬も、机に伏して嗚咽を漏らしている。
あの夜の展望台で遠国——凪瀬とつくった思い出は、僕たちにとってかけがえのないものだった。大きなことをしでかしたと思った。
その裏で起きた悲劇を知らずに、のうのうと生きていた——そう気づいて、心の底から苦しくなった。
自分勝手で、取り返さなきゃいけないと思った。
最低な出来事を最高の思い出だと勘違いした、僕の後悔。
その罪悪感を、汐見さんの言葉が溶かしてくれた。
「それにね……今はもう、救われた感謝のほうが大きいんだよ。鳴海くんと彩伽がいなかったら、私はもっと不幸だったと思う」
僕の手を包むように、彼女の指先に力がこもる。
「だからこれからも……ううん、ここからはずっと対等でいたい」
「……うん。もう、勝手に後悔しない」
「遠慮もなしだからね」
「うん、うん。……あの、汐見さんにお願いしたいことがあるんだけど」
「お願い?」
「今度、両親のお墓参りをさせてほしい。それに、おばあちゃんにも。もう他人って気がしないんだ」
「鳴海くん……ありがとう。……ぷっ、彩伽と同じこと言うんだね」
「え?」
汐見さんが思わず吹き出す。凪瀬を見ると、赤い目で照れくさそうに鼻を掻いていた。
昨晩のうちにふたりのあいだで行われた話し合いがどう着地したか、これでようやくわかった。
過去の悲劇をさらけ出し、受け入れて、より強い絆が生まれていた。
「次の週末、みんなでいこうね。初めて友だちを紹介するから、きっと喜んでくれる」
「大事な挨拶だし、豪華なお供え物を持っていこっか」
「あと、トランプ落としちゃったから、もう一回やり直しだね」
「……僕、次であがりだったのに」
こんな緊張感のない場面を、汐見さんはわざと作ってくれたのだろう。
単純な因果じゃない。でも、一生背負うものだと思ってた。
これで対等と伝えてくれたことで、罪の意識から僕を救い出してくれた。
「じゃあ、仕切り直しで。わたしが配るから」
「上手に切ってね、彩伽。鳴海くんにジョーカーがいくように」
「あの、ズルはやめてね……?」
団らんの温度が戻るダイニング。
ふたたび配られるカードを受け取りながら——
頭の片隅に、別の答えも持っていた。
当時の記憶を思い返すと、僕があの結末にたどり着くよう、仕向けられていた。
蒼一は、凪瀬を別の結末から救うためにタイムリープをしていた。
そして今、汐見さんの不幸を取り除くためにタイムリープをしている。
その不幸の発端が、もっと昔——両親の事故。あの夜の停電だとしたら。
停電の原因を知ることができたのに、どうしてあいつはそれを防ごうとしなかったのか。
おそらく。
その先に待つ、別のシナリオを見てしまったから。
答えは、あいつの残した日記にある。
六年前を示唆するページに、汐見という文字が載っていた。
当時知るはずのない、彼女の名前を——。




