第40話 【夏休み】
夏休みに入った。
学校の代わりに、大量の宿題と新しい日課が加わる。
今日も朝から、地元サッカークラブの練習に顔を出していた。
夏の日差しが照りつける中、ボールを蹴っては明後日の方向へ追いかける。
拾って戻って、また蹴って。
そんな繰り返しのうちに、毎日があっという間に過ぎていく。
気づけば、もう八月に入っていた。
「凛人くーん、宿題手伝ってよ」
休憩中、額の汗をぬぐっていると、波留がボールを抱えてぴょこぴょこと寄ってきた。
「それ手伝ったら、何かいいことある?」
「復習になる」
「じゃあ波留は?」
「練習ができる」
そう言って、リフティングを始める。
ボールはなかなか落ちない。もう僕より上手いじゃん。
これ以上差をつけられては困るので、しっかり断っておく。
「じゃあ、日記に凛人が覗いてきたこと書いちゃお」
「その復讐はやめて……」
鍵もかけずに着替えるおまえが悪い。僕よりぺたんこのくせに。
その後は鳥かごやミニゲームで汗を流して、昼前に解散になった。
「腹減ったな。凛人に何かつくってもらおう」
「また勝手なこと言う」
「いやいや。おまえのメシ、ほんとにうまいから。一種の才能だよ」
「えー? 持ち上げてない? 見よう見まねでやってるだけなのに」
「マジで。その家事スキルは伸ばしたほうがいい。絶対に将来モテるぞ」
「……そ、そう?」
「でも、稼ぐ才能のほうがモテるかぁ」
「なんでそこは現実的なんだよ」
夢のないこと言うな。ちょっと喜んじゃって恥ずかしいだろ。
とはいえ、ひとりで昼食を食べるのも寂しい。
父親は海洋生物の研究者で、母親はその熱烈なサポーター。隙あらば各地の臨海施設を巡っている。
結局、腕を振るうことにした。これも将来モテるためだ。
「そうだ、彩伽も呼ぼうぜ」
「え、来てくれるかな」
「来るだろ。ほかに友だちいないし、どうせ暇してる」
「またそうやって勝手に決めつける。前の学校の人と連絡取ってるかもよ」
「はは、そんな器用なやつじゃねえって」
不器用代表のおまえが言うのかよ。
まあでも、最近はもう友だちと呼べるくらいには仲良くなった。
夏休み前から遊ぶようになって、最近も連日のように顔を合わせている。この町は広くないから、行き先が被りやすいのもある。だいたい展望台あたり。
遠国の家は同じ地区。ちょっと寄り道する感覚だ。
せっかくだし、誘ってみようかな。
——バタン。
「もう、放っておいてください!」
遠国の家の近くまで来ると、玄関のドアが勢いよく開いて、彼女が飛び出してきた。
門の前で鉢合わせて、お互い固まる。
「なんで……」
言葉の途中で、彼女は息を呑む。目の端がぴくりと震えた。あまりいいタイミングじゃなかったらしい。
「……あの、遠国と遊ぼうと思って」
「わかった。さっさと行きましょ」
そう言うと、くるりと背を向けて先に歩き出す。
足早の背中を追いかけながら、ふと家のほうを振り返った。
門の陰に、ひとりの男が立っていた。
腕を組んだまま、じっとこちらを見ている。目つきが妙に冷たい。
あれは父親……だろうか。にしては若い気がする。
「なにかあったか、聞くべき?」
「やめとけ。気まずくなるだけだ」
小声で相談すると、蒼一は珍しく真剣な顔で答えた。
「蒼一は、事情を知ってるの?」
「……前に聞いた。母親の彼氏と同居してて、あまりいい関係じゃないらしい」
「え、父親は」
「別居中。離婚してるって」
母親もパニック発作を起こしがちで、家だと気が休まる時間がないらしい。
知らなかった。
遠国の複雑な家庭事情。過呼吸の対処法を知っていたのは、そういう理由があったのか。
どうして蒼一には話して、僕には何も言わなかったんだろう。
先を歩く彼女の背中が、夏の陽炎に揺れる。
実際の距離よりも、ずっと遠く見えた。
昼食をつくって四人で食べたあと、居間でゲームをして過ごす。
蒼一と波留がレーシングで白熱しているあいだ、遠国は縁側に出て、ぼんやりしていた。
麦茶のグラスを持って、そっと隣に腰を下ろす。
「なんだか、元気ないね」
「そう? べつに普通だよ」
「遠慮してるの?」
「してないよ。いつも通り」
「……そんなに猫かぶろうとするなよ」
「え……?」
遠国が目を丸くする。けれど、その視線はすぐに逸らされた。
さっきゲームをしてたときもそう。無理して笑ってる顔くらい、もうわかる。
「ありのままの自分でいればいい」
「……アニメの受け売りでしょ」
「え、そんなのあったっけ? ……だとしても、先に言われただけで、僕も前からそう思ってたし」
「……ふふっ」
「あっ、信じてないな?」
「ううん、信じるよ。そういうこと平気で言うタイプだし」
そう言って、軽く笑ってみせる。
この顔、絶対に嘘だと思ってる。
でも本気で言った。たとえ誰かの言葉でも、すでに僕の血肉になっている。
「ありのまま……えっと、素の遠国のほうがいいよ」
「素のわたし?」
「大人ぶってるときより、自然に振る舞ってるときのほうが……遠国らしいっていうか」
少し幼く見えるくらいの、小悪魔みたいな笑顔が似合ってる。遠慮のない言葉のほうが、まっすぐ伝わる。
それが彼女の魅力だと、心の底から思っている。
すると、じっと見ていた遠国がぽつりと呟いた。
「……凛人って、わたしのこと好きなの?」
「えっ!? いや、違う! 普通にそう思ってるだけ!」
「……ほんと?」
「うん! 僕たち、友だちじゃん!」
自分でも何を言ってるのか、よくわからない。
いきなり変なこと言い出す遠国が悪い。
「……そう。まあ、いっか。そういうことで」
「そういうことでってなんだよ」
「ありのままで、って凛人が言ったんでしょ? わかったから、そうする。アレルギーだから、猫なんて被ったらくしゃみ止まらなくなるし」
遠国は無邪気な笑顔を見せる。
今度は自然だった。そう、その表情が似合うんだよ。
でも、ちゃんと伝わったかな。
ふさぎ込まずに相談してほしい——ありのままの姿を、僕にもさらけ出してほしいという気持ち。
「そういえば、凛人は予言を信じてる?」
「予言?」
「終焉の魔王」
「ああ。夏になったら世界を滅ぼしに来るっていうやつ」
予言だったり、予知夢だったり。どこで誰が言い始めたのかもわからない。たしかネット発で火がついて。
昔の大予言と重ねられ、いつの間にか『終焉の魔王』が来ると噂になった。
前のときは全財産を使い果たす人もいたらしいけど、さすがに今回は根拠は薄すぎた。どちらかといえば悪ノリで流行った感じ。
その証拠に、当初は七月の終わりと言われていたのに、八月になっても何も起きていない。
テレビでも、もうすっかりブームは下火になっていた。
「そう、その予言。……なかなか来ないんだよね」
「魔王もうっかり夏休みに入ってるんじゃない?」
「……じゃあ、夏休みが早く終わってほしいね」
それは嫌だ。できることなら一週間でも長く続いてほしい。
けれど、遠国の表情を見ていると、そんな軽口は飲み込んでおいた。
本気のオカルト好きに言っても野暮なことくらい、僕にだってわかる。
***
気づけば、夏休みも残り三日になっていた。
海水浴も釣りもキャンプも、つい先日は家族旅行でサファリパークにも行った。
日記はどれも五行で終わったけど、それなりに充実した夏だった。
すでに宿題も終わらせて、夕暮れの居間でごろごろしていると、
固定電話が鳴った。
蒼一からだった。
『凛人、いま彩伽といたりしないか?』
「遠国? いや、先週から会うタイミングなかったけど」
『……あいつ、もう三日も家に帰ってないらしい』
「え」
『母親が取り乱して、あちこちに電話してる。そっちに連絡は?』
「いや、来てない……たぶん」
もしかすると、昼寝中に鳴ったのだろうか。
両親は出かけていて、結果的に無視した形になっていたのかもしれない。
『このままだと、警察に相談するかもな』
「えっ、まだしてなかったの!?」
『それも家庭の事情だ。とにかく、大事にならないほうがいい』
「もうとっくに大事だろ。でも、マジか……僕も探してみる」
『ああ、あとは頼んだ』
短くそう言って、通話は切れた。
あとは、って。どうせおまえも探すつもりなんだろ。
こんな田舎で、三日も行方をくらますなんて無理だ。
普通なら誰かに見つかる。行き先は限られるし、親同士のネットワークだってすぐ広まる。
でも——遠国の家は越してきたばかりで、その輪から外れていた。
「一日でも帰ってこなかったら、もっと早く探せよ……」
つい愚痴りながら、靴を履く。
遠国の状況は、なんとなくだけど察せられる。
以前訪ねたときに感じた、あの嫌な空気。
遠国を見ていた、父親じゃない男の視線。パニックを起こしたがちな母親のこと。とっくに原因には思い当たっていた。
それなのに、黙って見過ごした僕が悪い。
変な嫉妬心が邪魔して、ちゃんと聞き出そうとしなかった。
彼女が切り出すのを、のんきに待ってしまった——。
「まずは……展望台から行ってみるか」
一晩中つく街灯に、屋根のあるベンチ、夜風の通り道。あそこなら、夏場でも野宿くらいできそうだ。
でなければ、白波神社あたりとか。海より山側にいてくれたほうが、まだ安心できる。夜の海は本当に危ないから。
三日……か。想像もつかない。
とにかく無事でいてほしい。
夏の思い出を嫌な結末で塗りつぶしたくない。
——いや、過去の思い出なんてどうでもいい。
遠国がいなきゃ、つまらない。
これからもあいつと一緒に、思い出をつくっていきたいんだ。




