第39話 【小学校】
キンコンカンコン。
下校時間の合図。小学校の廊下に、ひび割れたチャイムの音が響いた。
「鳴海くん、遠国さん。迷惑かけてごめんね。先生はもう大丈夫だから、ありがとう」
「よかったです。……では失礼します」
保健室のドアを静かに閉め、隣に並ぶ女の子に声をかける。
「遠国さん、助かったよ」
「べつに、いいよ」
カチューシャでまとめた、つやつやの黒髪。すらりとした手足に、女の子らしいピンク色のワンピース。
遠国彩伽。
ついこのあいだ越してきた転校生は、なんでもないように答えた。
「でも、すごいね。僕なんか焦ってばっかで、保健係なのに全然役に立てなかった」
「担任がいきなり倒れたんだから、すぐに動けただけでもえらいと思う」
「それは遠国さんのおかげ。処置が正しかったって、保健の先生も褒めてたし」
さっきまでの出来事を思い返す。
午後の授業を終えて『終わりの会』に移ると、担任の先生が急に息苦しそうにして床に倒れた。
過呼吸、というらしい。強い不安や緊張のせいで起こると教えてくれた。
たぶん、クラスであったいざこざが原因だと思う。他クラスでいじめ問題が出たから、些細なことでも、先生には大きな負担だったようだ。
この春に赴任したばかりで、まだ慣れないのかもしれない。普段からよくテンパってる。
「袋を口に当てるなんて、よく知ってたね」
遠国さんの指示で、僕はビニール袋を探しただけ。みんなもただ見守るしかできなかった。
とっさに思いつくことじゃないし、五年生の授業でも習わないのに。
「……慣れっこなだけだから」
彼女の返事はそっけない。妙に大人びた表情で、これ以上は聞きづらい空気だった。
そのまま教室に差しかかったところで、
「よかったら、いっしょに帰らない?」
気づけばそう口にしていた。しかし、遠国さんの顔にはわずかな驚きが浮かんでいる。
「え、どうして……?」
「どうしてって、たしか地区が同じじゃなかった?」
「地区……ごめんなさい。まだよくわかってなくて」
「引っ越してきたばかりだもんね。ついでだから、いろいろ案内するよ」
なかなか返事がない。彼女は困ったように指を口に当てていた。
よく考えると、ちゃんと自己紹介してなかった気がする。こいつ誰、とか思われてたりして。
それなら、
「僕の名前は、鳴海凛人。どこにでもいる普通の小学五年生」
「知ってる。普通だよね」
「あ、うん。でもちょっと否定してほしかった」
「平凡なところ以外が見当たらなくて、ごめんなさい……」
「やめて。謝られると余計に心にくる」
けっこうキツいこと言ってくるな。「自称普通がいちばん信用できない」とか、そういう返しを期待してたんだけど。
たしかに身長は低いし、蒼一みたいにモテたりしない。学力も普通で、運動も目立つほうじゃない。せいぜいおばさん受けがいいくらい。
つまり、平凡。
遠国さんは、単に正直者なのかもしれない。変にごまかされるよりはマシか。
そんなことを考えていると、彼女がぽつりと口を開いた。
「あ、風鈴みたいな名前」
「風鈴?」
「リン、と鳴る……みたいな」
「え……うわっ、気づかなかった! リントナルミ、外国で言ったらウケそう!」
「海外だと意味が伝わらないでしょ」
的確なツッコミが入る。たしかにそうだ。
ここは負けじと僕も頭をひねってみよう。
「それなら、遠国さんは……うん。思いつかなかった」
「遠くにいく、とかあるでしょ。引っ越す前によく言われたよ」
「……それは言いたくない。なんか、かなしい気がする」
「あはっ、意外と繊細なこと言うのね」
遠国さんが吹き出す。八重歯がのぞき、目を細めると小悪魔みたいだ。
年相応の笑顔を初めて見た。なんというか、けっこう可愛い。
彼女はくくっと笑って、
「じゃあ、帰ろっか」
「え、いっしょに?」
「誘ったの、凛人でしょ」
呆れたように、彼女はランドセルを肩にかける。そう、僕が誘ったんだった。
というか凛人って。いつの間にか名前呼びになってる。
「それなら僕も、彩伽って呼ぶよ?」
「……いいけど」
「じゃあ、……遠国」
「ぷっ、呼ばないのかよー」
あらたまると照れ臭いんだよ。
それに蒼一と被るのも、真似したみたいで嫌なんだよな。『俺』って一人称も先に取られたし。
「そういえば、展望台にはもう登った?」
「……展望台?」
昇降口まで降りたところで聞いてみた。
「ほら、丘の上にある」
「あそこって展望台なのね。ただの丘だと思ってた」
「この町自慢のランドマークなのに」
市外から来た転校生はだいたい同じようなことを言う。さては彼女も都会っ子だな。
今度は、遠国から質問が飛んできた。
「お友だち、今日はいっしょじゃないの?」
「蒼一のこと? あいつは先に帰ったよ」
「ふぅん」
「……あまり嫌わないでやってよ」
「嫌ってない。馬が合わないだけ」
そうかな。
遠国も蒼一もわりと雰囲気が似ている。本心と言葉が噛み合っていないところとか。
ちゃんと話せば、仲良くなれると思うけれど。
「せっかくだから行ってみない? 町の景色がぜんぶ見れるよ」
「……まあ、いいけど」
***
「遅かったな。凛人、彩伽」
「え、なんでいるのよ」
展望台に着くと、蒼一が待っていた。子分のように波留充希もいる。帰りに捕まったか。
遠国は、だまされたような顔でこっちを見た。
「……凛人」
「先に帰ったとしか言ってないよ。家とは限らない」
「けっこうズルい手を使うのね」
「まあまあ、友だちの友だちは友だちって言うじゃん」
「敵の敵は味方でしょ。友だちの友だちはだいたい気まずいの」
「真理を突いてくるね……」
気を取り直して、蒼一の持ってきたバドミントンで遊ぶ。
波留と三人でローテーションを組み、遠国は混ざらず日陰のベンチで眺めていた。
「これ、買ってもらってよ。インスタントカメラ」
テレテレッテーと効果音が鳴りそうな感じで、蒼一が大げさに取り出す。
そのまま、ふてくされたように座る遠国に向けると、
パシャッ。
「ちょっと、勝手に撮らないでよ」
「ビフォーの姿を撮っとかないとな」
「は? あとで整形するみたいに言わないで」
「これも思い出だ」
「勝手に思い出にしないでよ。元カノじゃないんだから」
蒼一がわざとあおると、遠国は立ち上がって抗議する。
そういうことするから馬が合わないとか言われちゃうんだ。
蝉時雨が遠くで鳴きだす。
気づけば、海側からまぶしい陽光が差し込んでいた。
四人でバドミントンに熱中するうち、すっかり時間が過ぎていたらしい。
「うわ、きれい」
「ね、ここの夕日はすごいでしょ」
「うん……悪くない、かも」
「遠国さぁ。素直に、良いって認めなよ」
「……まあ、悪くないかな」
案外、ひねくれてるなぁ。でもこれが彼女の素なのかも。
照らされた横顔は、ほんのり赤みを帯びて、やわらかく見える。
「……連れてきてくれて、ありがと」
小さな言葉がこぼれる。
その本音が聞けてよかった。
「……そろそろ帰らないと」
「あ、そうだよね。途中まで送るよ」
夕日が沈むということは、もう七時になる。
彼女の両親が厳しかったら怒られてしまうかもしれない。
遠国はこちらの様子を感じ取ったのか、
「気にしなくていいよ。暇をつぶせてよかった」
「暇つぶしなら得意。いつでも手伝うよ」
蒼一たちにさよならを言って、急な坂道を駆け出す。
遠国が同い年っぽく笑いながら追いかけてきた。
もうすぐ夏休み。
楽しい思い出を、今年もたくさん作れるといいな。




