第36話 過去に戻る方法
梅雨の湿った風が内庭から吹き込んでくる。
窓際の風鈴がちりんと鳴った。
「過去に戻る方法、だろう?」
都筑の父親が表情を引き締めて、切り出した。
まるで事情をすべて見透かしているかのよう。
「はい。それが知りたくて、今日は訪ねました」
時間の流れは、本来やり直しが効かない。絶えず進み続けるものだ。
しかし、それに抗う唯一の方法がある。
蒼一が持つ異能——過去をさかのぼる力、タイムリープ。
もし僕にも、その力で過去を変えられるのなら——。
「その術はない」
「え」
「正確には、凛人くんには扱えない。もっと言えば、顕現できるのは——蒼一だけだ」
コトンと湯呑みを置く音が響いた。
おじさんはゆっくり腕を組み、昔語りの調子で口を開いた。
「遠い昔、先祖のひとりが同じような力を用いて、奇跡を起こしたと伝わっている。古い伝承では、恐ろしい水害から村を救ったとも」
「それって……未来から過去に戻り、先読みして避難させたとか?」
「先読みの部分は正しい。まるで見てきたかのように強く説得したらしい」
「……つまり、先祖にも似た力を持つ人がいたと」
「まあ、子守唄のように語り継がれてきた、おとぎ話みたいなものだがな」
そう言われて、納得せざるを得ない。過去に戻って未来視で村を救うなんて、まさにおとぎ話。玉手箱を開けて一気に歳をとったり、鶴が恩返しにやってきたりする類——さすがに、それよりはリアリティがあるか。
そういえば、展望台の辺りに石碑のようなものがあった気がする。いまは角が丸く削れた石に成り果てているけれど。
「まさか、あの子がいにしえの逸話をなぞるとは思わなかった。だがおかげで、いろいろと腑に落ちたよ」
もしかすると、それは隔世遺伝のようなものかもしれない。
魔法のアイテムや儀式的なギミックではなく、神様から授かったチートでもない。あえて言うのなら、一族の中に眠る特異体質。
先祖の逸話と同じく、蒼一はいくつもの事象を的中させたという。
すでに未来を見ているあいつなら、予言めいた先読みができて当然だ。
「あの神社は、どうして廃れてしまったんですか?」
もうひとつ、大きな疑問が残っていた。
小学生の頃までは健在だったのに、いまやすっかり寂れて、異様な雰囲気を漂わせている。
蒼一の父親はそこの宮司だった。管理を放棄している理由はなぜだろう。
おじさんは神妙な顔つきになり、声のトーンをひとつ落として言う。
「白波神社を今のような状態にしているのは、蒼一の意向だ」
「え、なぜですか。神様が祀られていたはずでしょう?」
身を乗り出して聞く。おそらく、僕が体験した出来事にも通じている。
廃れてしまったせいで、神の怒りを買ったのかもしれない。
「正式には、御祭神だな。わしらの祖先は、代々この地の氏神として祀られてきた」
「じゃあ、なおさら放っておかないほうが……」
「そうせざるを得ない理由があるらしい。あの子の境遇を思えば、いつまでも崇め続けてはいられんのかもな」
その口ぶりには同情の念が混ざっていた。僕も知らない事実を、蒼一から聞いているのだろう。
たしかに、あの能力はあいつにとって、ある種の呪いなのかもしれない。
目の前で不幸な人間を見て、放っておける性格じゃない。
汐見さんを救おうと——あるいは、凪瀬を救ったように。何度も似たような試練をくぐり抜けてきた。
「……あそこって、たしか別の名称がありませんでしたか?」
「ああ。祭りの祝詞でも唱えるよ。白波神社は昔、時渡りの社と呼ばれていた」
「時渡り……僕、あそこで妙な映像を見ました。いや、映像というか——別の世界の残像のようなものを」
「ほう……聞いたことがあるような、ないような」
「何か文献が残っていたりしませんか?」
「いや……全部虫にやられた」
「しっかりしろ、元神主」
笑っていいのかわからない。冗談であってくれよ。
おじさんは「あそこの蔵に、まだ残っているかもなぁ」と、のんきにとぼけてみせる。
思い返せば、境内の奥に怪しげな蔵が佇んでいた。立ち入る勇気はないけれど。
「……なぁ、凛人くん」
「なんですか?」
「あの荒れ地、もったいなくないか。何にすればいいと思う? いっそカラオケでも建てるのはどうだろう」
「心配しなくても、そのうち心霊スポットとして盛り上がりますよ」
あんな不気味な場所、飢えた配信者が放っておくはずがない。まあ、本気で言ってるわけじゃないと思うけど。
結局のところ、蒼一の実家でも、過去に戻る方法は見つからなかった。
それどころか、不可能だとはっきり告げられた。
だったら、僕はどうすればいいんだ。このままでは汐見さんに顔向けできない。
「安心しなさい。悪いようにはならない」
僕の表情を見て、蒼一の父親は心を見透かしたように言う。
懐の深い眼差しで、こちらを見据えている。そういえば、ここを訪ねた理由も察していた。
藁にもすがる思いで、その真意を問う。
「どうして、わかるんですか」
「蒼一が言っていた。君が近々ここに来ることも予言していたよ」
「なるほど……」
それなら間違いない。なによりも心強い言葉だ。『俺が見た未来』とか本でも出していれば、きっと飛ぶように売れたぞ。
張りつめた空気を和らげて、蒼一の父は柔和な笑顔を見せた。
「蒼一は、親友の凛人くんを信頼していると言ってたよ」
「……そう、ですか」
——信頼。
あいつは僕に、何を期待しているのだろう。
何の力も持たない僕に、応えられることなんてあるのだろうか。
「あ、そうだわぁ」
黙ってお茶をすすっていたおばさんが、思い出したように口を開く。
「凛人くん、蒼一の部屋を好きに見ていきなさい。あの子もそれを望んでいたの」
「……じゃあ、遠慮なく上がらせてもらいます」
「ベッドの下の雑誌もついでに持ち帰ってね」
「そういうものの隠し場所はもっと工夫したほうがいいよな……」
会話を聞いて、おじさんがしょんぼりとした表情を見せる。おい、今日一の顔するな。
ともかく。蒼一の両親の計らいで、親友の部屋を調べさせてもらえることになった。
何かしらのヒントが残っているかもしれない。
僕に何も告げず、勝手に過去へと消えた理由。
せめて、一言でも書き残しておいてくれよ。
真面目な話も落ち着いたところで、旧知のくだけた雰囲気が生まれる。
蒼一の思い出話を持ち出しながら、なんとなく気になっていたことも聞いてみた。
「そういえば、リフォームしたんですね」
「蒼一の学費が浮くって早めにわかったから、思い切って改装しちゃったの」
「トイレも洋式でウォシュレット付きだ。使うなら座ションで頼む。母さんがうるさいんだ。あ、照明は自動で、水も勝手に流れるぞ」
「凛人くんのおうちも新居だから、きっと同じ感じよ。ね? 座ションよね?」
なんというか、蒼一の両親だけあってたくましい。




