第35話 都筑家
日曜日。
天ノ浦海岸の最寄駅に降り立つのは、今週もう三度目だった。
ほとんど無人のローカル駅。小さなロータリーを抜け、海とは反対側へ向かう。
こじんまりとした商店街は、住んでいた頃とほとんど変わらない。色褪せた観光ポスターに、よく立ち寄った駄菓子屋。どちらもまだ息をしている。
山側へ向かう緩やかな坂道は、石垣にツタが絡み、道の脇にはツツジの花が少しばかり残っていた。
やがて視界が開け、大きな敷地を囲む塀が見えてくる。この辺の地主らしい、瓦屋根を重ねた二階建ての屋敷——都筑家の本宅だ。
さんざん遊びに来たものの、市の中心地へ引っ越してからは機会がぐっと減った。
そのうえ、今回の用件を思うと少し緊張してくる。
いつも一緒だったあいつはもう——いない。
「うわ……蒼一の家、いつの間にかリフォームしてんじゃん」
神社を管理していた一族だけあって、広い庭は松や石灯籠など和の趣が生きている。
けれど玄関前の砂利は敷き直され、バリアフリー化されていた。玄関扉も開き戸に変わり、ボタン式の鍵まで付いている。和洋折衷というより、利便性を取った感じ。
モニター付きインターホンのチャイムを押す。昔はガラッと引き戸を開けて「こんにちはー」で済んだのに。
ジジッと電源の入る音がして、スピーカー越しに女性の明るい声が届く。
『あらぁ、凛人くん?』
「おばさん、お久しぶりです」
『すぐ開けるから、待っててちょうだい』
ウィーンと錠が外れ、玄関が開く。蒼一の母親が迎え入れてくれた。整った顔立ちは、相変わらず蒼一にそっくりだ。
「あっらー、大っきくなったわね。何年ぶり?」
「去年の夏も一度来たよ。でも背はまた伸びたかも」
「まだ昔のイメージが強いのよ。ちっちゃくて可愛かったわぁ」
「たしかに。よく、食べちゃいたいって言われた記憶が」
「今も変わらず可愛いわ。うちの子になる?」
冗談なのかわからないやり取りを交わしつつ、居間へ通してもらう。
そこには、蒼一の父が威厳を漂わせて胡座をかき、タブレットを指先でいじっていた。
「おおう、どこのべっぴんさんが来たかと思ったら」
「それ、あまり男に言わないでしょ。おじさんもお変わりないですね」
「相変わらずのイケおじだろ? まあ、座って」
たしか四十代半ばだろうに、五分刈りの頭がやけに渋い。元神主の威光が残っている。
挨拶もほどほどに、向かい合って腰を下ろす。
すぐに居住まいを正し、一呼吸おいておじさんの顔を見つめた。
廊下を通るとき、棚に置かれた小さな額縁が目に入った。僕と親友が、運動会で肩を組む写真。
まずは、伝えないといけない言葉がある。
「……蒼一のこと、残念です」
過去へ行った親友。亡くなったわけではないが、今はもう光の中に消えている。
案外、こっそり帰ってきていないかと期待したが——
「ああ……。まあ、覚悟していたことだ」
おじさんは苦笑いで返したが、その顔には息子を失った感傷がにじんでいた。
やっぱり、そう都合のいい話はないのか。
「覚悟、ですか」
「早いうちから蒼一に聞かされていたよ。現実になるまで、心のどこかで疑ってはいたがね」
タイムリープのことは、すでに打ち明けられていたという。
そして——五日前のあの日、過去へ飛ぶつもりだったことも。
信じたくなかったはずだ。それでも、実際に息子は帰ってこない。
今生の別れ。育っていく姿を見ることが叶わない。お酒も酌み交わす前だ。
そんな心境は、つらいに決まっている。
「戻ってきたりは……しないんですか?」
「戻ってこれないと言っていた。繰り返し試したらしいが、おそらく過去への道は一方通行なのだろう」
「……試したけれど、無理だったんですね」
「受け入れてくれ、と達観した顔で告げられたよ。これが使命だとも、な」
やはり蒼一は、何度も過去に戻ってやり直していた。
一度戻れば、未来には帰れない。
その都度、その時代の両親と顔を合わせ、もどかしい時を過ごしたのだろう。
「でも、しっかり親孝行していったじゃない。事故で失うよりはマシだわ」
そう言っておばさんも隣に腰を下ろし、緑茶とお菓子を出してくれる。表情は明るく、どこか吹っ切れて見えた。
蒼一は事前通達だけでなく、後に残される両親や身の回りのことまで整えていたらしい。
道理で、突然消えた後始末が早かったわけだ。
「だけど、蒼一。とんでもない言い訳を残していきましたね。チベット高原の僧院に留学って」
「おお。あれ、ウケたか?」
「え?」
「わしが考えたんよ。別の宗教にいきなり鞍替えとか、パンクかなって」
誰もそこまで深読みしない。このおじさん、元神主なのに洒落が効きすぎだろ。
そういえば、あいつの両親ってこんなだった。地域の子どもたちから妙に懐かれるタイプ。
「幸いにも、うちにはもうひとりいる」
「ああ、燈里ちゃん。小学生の頃以来、顔を合わせてないなぁ。元気ですか?」
三つ下の親友の妹が浮かぶ。兄と両親に似て、少し変わった子だった。
煎餅をかじりながら、おばさんが「元気よぉ」とにこやかに応じる。
「ちょっと引きこもりがちだけど」
「……まあ、元気ならよかった」
「いずれ結婚しない? 凛人くんなら大歓迎。許嫁しましょ、許嫁」
「そんなカジュアルに結ぶ約束じゃないでしょ」
「我が子ながらけっこう巨乳だと思うけど」
「思っても言わないほうがいいですよ」
二人は「え、なし?」「尻派かなぁ」とかささやき合っている。ありに決まってる。でもそれは別の話。
重苦しい出来事があったにも関わらず、おじさんもおばさんも、自然体のまま会話を広げている。この両親あっての、あの親友なんだとつくづく実感させられる。
しかしその明るさに、ふっと肩の力が抜ける自分もいた。
たとえそれが空元気——だとしても。
「で、凛人くんがここに来た用件だが」
おじさんは一拍おいて、こちらの胸の内を先回りする。
背筋を伸ばしたその顔には、すでに真剣味が宿っていた。
「過去に戻る方法——だろう?」




