第30話 ドキドキ
窓から夜風がそよぎ込む。
昼の強い雨のおかげか、ここ最近ではいちばん涼しい夜だ。
僕の部屋はいま、三つの寝具で占められている。
もともとのシングルベッドに、来客用の布団が二組。狭すぎて布団は重ねて置くしかなかった。
「やっぱりさ、客間のほうがよくない?」
「パジャマパーティーってこんな感じなのかな」
「借り物の寝巻きだけどね。なんかテンション上がるー」
「……まあ、聞いてないよね」
汐見さんと凪瀬はふたりだけで盛り上がっている。既定路線から外れるつもりはないよう。
二階に寝具を運ぶ途中、ふと両親の部屋を思い出したが、
「勝手に入るのはよくないと思う」
「プライバシーを侵したらダメじゃん」
と、まったく取り合ってくれなかった。僕のプライベートは配慮の対象外らしい。
今日は僕がベッド、ふたりは布団に並ぶ。
この配置ならさすがに潜り込まれる余地はない……はず。
「じゃあ、電気消すぞ?」
「え、早くない?」
「もっとおしゃべりしたいのに」
「明日も学校あるんだから、いったん寝るモードに入ろうよ。はい、おやすみー」
有無を言わせず消灯する。
夜のイベントを引き延ばすと、僕の寝不足がさらに加速してしまう。
それに、夜中の自室にこのふたりがいる状況は直視していられない。
正直、ドキドキしてしまう。
「え、そっちの枕貸してよ。わたしのターンでしょ」
「これはもう私の。下着の力で上書きしたから」
「効果強すぎでしょ。禁止よ禁止!」
その枕、もともと僕のなんだけど……。
いや、今さらそれで寝られないかも。変な夢を見そうだし。
おしゃべりにひとしきり花を咲かせ、ようやく落ち着いたころ、
「……あのさ」
「なに?」
「どしたー?」
それまで黙っていた僕の声に、薄暗闇の中でふたりが素早く反応する。
「実はずっと謎だったんだけど——トリートメントってのが、うちにあったんだな。使ったことないから気づかなかった。だから匂いが違った……秘伝の調合レシピなんかじゃなかったんだよ」
「ふぅん」
「あ、そう」
ふたりは淡白に返す。本気で興味なさそうだった。そもそも匂いに疑問を抱えていないのだから当然だ。
シーン、と静まり返る。話さなきゃよかった。
「……そういえば、凛人」
「なに?」
今度は凪瀬が口を開く。
「もう三日もしてないし……いい加減、溜まってるんじゃない?」
「え、なんのこと?」
「あの、気持ちいいやつ」
「なっ……!?」
思わず起き上がる。
下の布団に目を凝らすと、暗闇から凪瀬の視線がこちらを射抜いていた。
その声には、いたずらっぽい含みがある。
「ほら。あれよ、あーれ」
「おまっ……この状況でそういう冗談はやめて?」
「はぁ? 二日もログイン途絶えて、今日もしてないんだから、気になるでしょ」
「……え?」
「蒼一とやってたFPS。わたしもフレンドだから、そのくらい追えるし」
「……あっ、ああ、そっち」
焦った。ゲームの話かよ。
何とは言わないけど、別の連想をしてしまった。
「ぷくく……何と勘違いしてたのかなぁ?」
「わかってて言っただろ! ハメ技を決めにきたな!?」
「あはっ、なんのことー?」
ぼやけた視界の向こうから、楽しそうな声がころころと響く。
際どい話題だけど、汐見さんも笑ってくれて少し安心する。つい先日、意味深ななぞなぞをやったばかりだし。
ゆっくりと時間が流れる。
まぶたの重みが増したころ、ふと汐見さんの静かな声がこぼれた。
「……ふたりとも、ほんとに……ありがとう」
「いいって」
「うん、当たり前のことをしただけ」
「……それでも、ほんとに……」
途切れる声。
部屋にしんとした静寂が落ちる。
僕たちの胸には同じ感情があるはず。
汐見さんが救われてよかったという、しんみりとした気持ち。
「……ん? てか澪、なんでブラ取ってんの」
「こうじゃないと寝られない」
「はぁ。おばあちゃんとの習慣ってやつね。じゃあ、触っていい?」
「あっ、だめ……」
「え、わたしのと違う!」
「……あの、君たち。マジでやめてくんない?」
どこの何がどう違うんだよ。
多感な高校生男子が耳にしていいASMRじゃないよこれ。
すぅすぅ、くぅくぅ——
ひと通りはしゃいだせいか、すぐにふたりの寝息が聞こえてくる。
凪瀬は朝早かったし、汐見さんもすっかり泣き疲れたのだろう。
逆に、僕だけ目が冴えてしまった。
本当に長い一日だったけど、これはいい一日の終わりだ。
悪い夢にはならなさそう。
……しかし、あれだな。
わかりやすくフラグを立てると……ほんとに何も起こらないんだな。
なんで僕はちょっと期待してたんだ。今さら恥ずかしいだろ。
さて、と。
忘れて寝よう。目をつぶって、頑張れ。
僕の好きな人は、凪瀬彩伽。
それほど長い時間を過ごしたわけじゃないけれど、彼女の人柄に惚れている。
不器用なところも、情に厚いところも。
日々、惚れ直すことばかりだ。
昨日より今日のほうが、さらに好きが増している。
だけど一方で、違う感情も生まれている。
たった三日間、一緒に過ごしただけ。
それ以前の彼女のことはほとんど知らなかったし、今もまだ知りはじめたところだ。
もっと知りたいと思う。
庇護欲の勘違いだろうか。
それとも一緒に吊り橋を渡っているから?
特殊な状況のせいで、心理的なバイアスがかかっている?
まだ名前をつける前の感情だとしても。
この気持ちは、確実に変化している。
もし僕が物語の主人公なら、それはラブコメだろう。
たとえラブコメであっても、コメディのままで終わらせたくない。
きっと、迷う前に決めないといけないことだ。




