第29話 一緒に寝るつもり?
「……ん? なんかあったな」
時刻は八時過ぎ。
お風呂に向かった汐見さんと入れ違いで、凪瀬が戻ってくる。
リビングに残っていた妙な空気を、さっそく敏感に嗅ぎとっていた。
「なんかって、何が」
「どことなくあまーい匂いが」
湯上がりの火照りを手団扇で冷ましつつ、僕の隣にぽすんっと腰を下ろした。
甘い匂いはむしろそっちから漂ってくるんだけど。ほんとに同じシャンプーかよ。
「……なぁに見てんの?」
「あ、いや。メイクがないと一瞬誰かわからないなって」
普段はくくっているツインテールを下ろし、地雷系の派手な化粧も落ちて、すっかり素の美少女のような印象に変わっていた。見慣れたはずのシャツとジャージも、彼女のスタイルに合わせて別物に見える。
「それ、絶対大人の女性に言ったらダメだから」
「凪瀬は高校生だからセーフだよな」
「……高校生も、わりともうオトナだよ?」
「いや、急に近いって」
ぐっと近づいてきた凪瀬を押し返す。指に吸いつくみたいに、触れた肌がしっとりとしていた。
「こっちはまだお風呂入ってないんだから」
「えー、いいじゃん。ちょっと吸わせてよ」
「僕は猫じゃないっての」
「猫だったらアレルギー出るし。凛人臭が足りないわけ」
「なにその嫌な臭い」
「たぶんフェロモンじゃん? 知らんけど」
ああ言えばこう言う。こう言われたらああ返す。
というラリーを繰り返し、おでこににじんだ冷や汗を拭う。風呂前でよかった。
「てか、凪瀬は健全な監視役じゃないのかよ」
「え、そんなこと言ったっけ?」
「言ってない」
「ほら、言ってないじゃん。せっかくふたりきりの時間なのに」
「今は三人の家だから。レンガ造りの」
「子豚の三男かよ」
正面を向きながら口を尖らせる凪瀬。
メイクを落としても小悪魔な顔つきは変わらない。
ただ、そこに意外な幼さも見えて——
「……あ」
その横顔に、どこかで見た面影が重なる。
小学生の頃に——。
「てかさ」
「え、どうした」
記憶の扉が開きかけたタイミングで、凪瀬が唐突に口を開いた。視線はテレビに向いている。
「明後日、土曜日じゃん? 海行こうよ。天ノ浦の」
「今週末って、海開きはまだ先だよ」
「いや、海は泳ぐだけの場所じゃないでしょ」
そういえば、僕も似たようなことを言ったな。
昨日、汐見さんと行ったとき。思いがけず、ちょっとしたトラブルもあった。
でも、その心配はもういらないだろう。
「久しぶりに、大きな海が見たいんだよね」
「ふぅん。……まあ、いいかもな」
「素直に『僕も行ぎたいっ!』って泣いて懇願しなよ」
「えっ、凪瀬が言い出したのに……?」
冗談を挟みながら、他愛のないおしゃべりを続ける。
今度は汐見さんと交代で、僕にお風呂の順番が回ってきた。
「……約束どおり、下着つけてるよ」
「なんで少し不満そうなんだよ」
「約束は守るからね、ちゃんと」
「……なんか含みあるなぁ」
すれ違いさまに届いた汐見さんの香りは、やっぱり同じシャンプーとは思えなかった。
凪瀬も、汐見さんも。
きっと女子秘伝の調合レシピを隠し持っているに違いない。
***
お風呂のローテーションを回し、時計の針も十時を回った頃。
全員そろって客間へ向かう。
「こっちにもテレビがあるから、好きに点けて」
「……おい」
「喉が渇いたら冷蔵庫から勝手に取っていいし、自分の家だと思って過ごしてね」
「……いやいや」
「ただし、地下の部屋には決して入らないこと」
「え、こわ」
「あ、もちろん冗談。ないからねそんなもの」
「知ってるし」
汐見さんと凪瀬のコントを眺める。
凪瀬のツッコミは相変わらずキレがあり、汐見さんのテンポもいい。天下を取りにいけるコンビかも。
「あのさぁ、澪はどこで寝るつもり?」
「鳴海くんの部屋」
「ちょっと、今日はわたしのターンでしょ?」
「彩伽のターンはスキップした」
「何の効果が発動したんだよ」
いつの間にか、お互いを下の名前で呼び合っていた。
すっかり打ち解けた関係に見える。
どうやら僕の入浴中に親睦を深めたらしい。
「というか、ふたりともこの部屋だよ」
「「それは話が違う」」
「じゃあ、いっそふたりが僕の部屋で、僕がここでいいよ」
「「それも話が違う」」
ふたりの声がぴたりとハモる。
ちょっと嫉妬するくらい相性いいじゃん。
「話が違うって……では、どういう話なんですか。同級生男子の家にクラスメイトの女の子が居候するのはマズい、ましてや同じ部屋なんて。って、ラノベの長文タイトルみたいな流れじゃなかった?」
「何言ってるかわかんない」
「それはもう排水溝に流れたし」
「あー、そんなこと言うなら、もう川嶋先生に連絡するよ」
「え、まさか一緒に寝るつもり?」
「いや違ーう!」
あの先生がわざわざ来てくれるわけないだろ。
電話すら無視されそうだ。番号も知らんけど。
ああ言えばこう言い、こう言われたらああ返す。
そんなラリーを重ねるうちに、多勢に無勢で言いくるめられる。
結局、三人で僕の部屋に移ることになった。
妥協案だ。
これ以上足掻いても、どうせ勝手に忍び込んでくるところまで予測できた。
三人で固まっていたほうがスタンドプレイに走られなくて済む。
……大丈夫。きっと何も起こらない。




